第19話

 少し時を遡る。

 アレク・シェイドは短い濃茶の髪を揺らしながらジルベール王宮内を駆け回っていた。行き交う人々に新王ディーンを見かけなかったか問うのだが、誰ひとりとしてその行方を知る者がいない。

(あいつ、どこをふらついてんだ……? まだ病み上がりだってのに)

 これまでの疲れが一気に噴出したのか、ディーンは一週間程高熱を出して臥せっていた。食事もろくに受け付けず、ようやく昨日あたりから食べられるようになったばかりだ。

 よく眠っていたようだったので、アレクは自分の仕事をするためにディーンの寝室を後にした。仕事に没頭し始めた頃、ディーンの食事を任せているルティナが部屋に飛び込んできて「ディーンさんがいないの」と泣きそうになりながら訴えたのである。

(もう半年か……)

 ディーンの姿を探しながら、アレクはもう随分遠くに感じる日々を思い返した。


 ディーンの父リーヴ・アープは二十年程前の大国モルタヴィアとの戦争で、新興国であるジルベールを勝利に導いた三英雄のひとりであり、終戦後は幼馴染でもある国王ルーク・ジルベールの臣下として国を支えてきた。ルーク王の没後は女王となったルークの妻ロゼーヌに仕えた。変わらずずっとジルベールに貢献した英雄をその妻もろとも、女王は突然監禁したのである。

 ディーンは両親を取り戻すために戦うことを決めた。アレクはそれに協力した。

 アープ夫妻の監禁を皮切りに、女王は規律をことごとく厳しくして国民を取り締まり始めた。背く者は処刑である。当然国民は反発する。

 ひとり、またひとりと女王と戦うディーンの元へと集まった。それが反乱軍の始まりである。

 それから約半年後──十年程前に亡命していた三英雄のひとりウュリア・シルヴィアの息子であり、ディーンの幼馴染でもあるリグル・シルヴィアが現れた。突然の帰国の理由を問えば、連れ去られた母を救うためだという。ウュリア・シルヴィアの妻はルーク王の妹ベルティーナであり、戦時中も王妹でありながら負傷した兵士の治療に当たったこともあり国民の支持は亡命後でも絶大である。

 そしてすぐにベルティーナの公開処刑が行われた。ベルティーナを救出するため反乱軍は戦ったが、公開処刑の阻止には成功したものの、ベルティーナとリグル、それにディーンの妹であるエリスを捕らえられてしまった。

 その夜三人を救出するため反乱軍は王宮内に侵入し、途中でディーンの両親の死亡を知り、またベルティーナは後を追った。最終的にそのまま女王の近衛兵である翡翠騎士団を倒し、女王を討った。女王の遺体は翡翠騎士団長が抱えて立ち去ったため、行方知れずとなっている。戦いの中でディーンが瀕死の重傷を負ったため、その後を追うことはしなかった。

 戦いが終わった後、リグルは旅立ち、エリスはそれについて行った。反乱軍として女王と戦ったディーンは自然な流れで新王となった。アレクはその補佐となった。

 ルーク王没後に大臣達の不審死が相次ぎ、その後はすべて女王が兼務していたため、まずは各方面ごとの責任者を選ぶことから始まった。女王亡き後、国民が一致団結し──という美しい流れは物語の中だけで、現実は体制が変わるこの機会に少しでも自分が利益を得られるようにと画策する者の方が圧倒的に多い。精神的に疲れ果てた各所の責任者選任から、不法なことをしていないか視察という名の監視を続けつつ、国を立て直す──。ディーンの疲労は限界に達していた。


(もう少し俺がちゃんと気を回していれば……、もっと何か手伝えてたら……)

 アレクはディーンの補佐といっても、何らかの役職がある訳ではない。ただ反乱軍の副リーダーとしてディーンの補佐をしていたから、そのままの流れでこの立場にいるだけだ。ディーンは三英雄の息子であり反乱軍のリーダーであるが、国民にとってアレクはただの一般人である。ディーンが動きやすいように補佐することはできても、何らかの事案に対して決定権を持たない。常に決断はディーンの仕事だ。

 国王となってから、ディーンは忙しくてもしばらくは自宅に戻って寝ていた。

「王宮にいると心が休まるときがないんだ。別にこっちに来ても寝るだけなんだが、寝るときくらいはちゃんと休みたい……」

 そう言っていたのも束の間で、その内に自宅に戻る時間すらなくなり、今は王の寝室を使っている。

 どれだけ張り詰めていただろう。どれほど苦しいことだろう。

 ディーンは女王を倒して国を守りたかった訳ではない。ただ捕らえられた両親を救いたかっただけだ。反乱軍などという大層な組織を作りたかった訳でもない。

 それが気がつけば国を背負うことになっている。逃げ出しもせず、文句も言わず、弱音も吐かず、ただ身を粉にして国のために働いている。

 背負ったものを肩代わりしてやることもできず、だからといって代わりの誰かがいる訳でもない。今、この国を任せられるとしたらディーンだけだ。それは確信している。

(俺にあと、何ができる……?)

 幾度も考える。考えてはぐるぐる回る。何をしてやれていたら、ディーンが高熱で倒れるような事態を回避できた?

 考えても答えは出ない。王宮中を探し回っても見つからないディーンのように。

(どっかの部屋で倒れてねえだろうな……まさか外に……)

 考えても答えの出ない思考など無駄の極みだ。ばっさりと切り捨てて、アレクは足を止めて手近にある窓から外を見た。

「何だ、ありゃあ」

 空の彼方に鳥の影が見えた。否、鳥にしては少し形がおかしい気がする。聖母なる森の方から、真っ直ぐこちらへ飛来してくる。距離感がおかしい。何だ、あれは。

 射手であるアレクは視力がいい。この国の誰よりも早く、その飛来物が何か悟った。

 鳥ではない。翼のある蜥蜴。空飛ぶ蜥蜴など聞いたこともない。鱗のある、角が生えた、鋭い爪のある、空を飛ぶ──

「竜!? 嘘だろ!?」

 信じられなかったが、瞬く間に謎の飛来物は王宮との距離を縮め、明確に目視できるようになった。おとぎ話に出てくる竜が、そこにいる。疑いようのない事実だった。

 アレクが駆け出しながらすれ違う者達に指示を出す。途中で弓矢を持って王宮の外に向かう間にも、あちこちから悲鳴が聞こえる。落ち着いて指示に従える者がどれほどいるか疑問に思いながらも、アレクは最短距離で王宮の外へ出た。

 竜は王宮の上空で旋回し、その背に人を乗せているのが見えた。

「あの野郎、ふざけんなよ」

 竜の背に乗る二人の内、黒髪に見覚えがあった。半年前、反乱軍の最後の戦いに参戦し、エリスを連れてこの国を去ったはずのリグル・シルヴィアが、何故竜の背に乗って戻ってきたのか。その隣にいるのは顔までは解らないが銀髪の男だ。エリスではない。どういう状況か把握しかねるが、何はともあれ腹立たしいことこの上ない。

 障害物のない、竜を射程距離に捉えられる場所まで駆け抜けて、アレクは弓を構えた。

「おいおいおい、勘弁してくれよ……」

 アレクの視界の先に、探していたディーンの背中があった。そのディーンを守るように竜と対峙している背中は、見間違えるはずもない──エリス・アープだ。矢を竜に向ければ、黒髪と銀髪が竜の角にしがみついている。

(そういうことか)

 何となくだが状況を把握して、竜の眼に狙いを定める。鱗で守られた身体は矢を通すか解らない。だがおとぎ話に出てくるような動物でも、眼は刺し通せるだろう。

 竜は自分を狙う射手に気付いていない。竜の眼を狙うが、角にしがみついている人間を振り落とそうと頭を激しく動かすためになかなか射ることができない。

 やがて黒髪と銀髪が振り落とされ、軽やかに着地したかと思うと即座に剣を抜いてディーンを守るように竜と対峙する。急降下した竜は、空気がびりびりと震えるような大きな鳴き声を上げて再び上昇し、そのまま飛び去っていった。

 はあ、と大きく息を吐いてアレクは弓矢を下ろした。

「アレク! 何だよあれは!」

 反乱軍の仲間が数人、各々武器を持って駆けつけた。集まったのはこれだけかという思いと、あの混乱の中でもこの顔触れは来てくれるのかという思いが混ざり合う。

「俺が聞きてえよ。あれが竜で間違いないなら、創世神話もおとぎ話じゃなくて史実なのかもしれねえな」

 アレクが肩をすくめる。

「ま、おかげでディーンは見つかった訳だが……」

 ディーンの方へと歩き出した足が止まる。こちらに背を向けたままのディーンに、向き直ったエリスがへたり込み、黒髪が歩み寄る。少し距離を取ってディーンに背を向けたままだった銀髪が振り返った。

 息が止まるかと思った。

 見覚えのある顔。この国であの顔を知らないのは今年生まれた赤子だけだ。

 約半年前、独裁の女王の亡骸を抱えて姿を消した──翡翠騎士団団長ラスフィール・アルシオーネがそこにいる。

(どの面下げて戻ってきやがった、あの野郎)

「アレク、どうした?」

 突然険しい顔をして弓を構えたアレクに、集った同志達の間に緊張が走る。

「騎士団長様のお帰りだ、丁重にもてなそうぜ」

「──了解」

 駆け出した仲間の背中のその向こう──銀髪の男を目がけて矢を放つ。

「動くな!」

 アレクの怒号に、ラスフィールは動きを止め──駆けつけた同志達によって押さえつけられた。無抵抗で捕らえられる様を眺めながら、鼻をふんと鳴らしてアレクは弓を収めた。

 どれだけ仲間を殺されたか。アレク自身もエリスを誘き寄せる餌として、腹を斬りつけられ瀕死の重傷を負った。どれだけ憎んでも飽き足らない相手が、わざわざ戻ってきてくれたのだ。

「ただで済むと思うなよ」

 どうしてくれようかと考えながら、アレクはディーンの元へと駆け出したのだった。

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