第20話

 王の執務室に連行されたラスフィールは、後ろ手に縛られて王の机の前で床に座らされていた。すぐ隣に立つのはアレクである。机を挟んでジルベール新国王ディーンは椅子に掛け、エリスはラスフィールの剣を持ってディーンの隣で椅子に掛けている。

 ディーンのすぐ後ろに立ち、リグルはアレクがラスフィールを尋問する様子を眺めていた。尋問といってもラスフィールは無抵抗である。質問されたことにはすべて素直に答えている。

 リグルとエリスはラスフィールに叛意がないと解っているが、ジルベール国民は誰ひとりとしてそうは思っていない。その証拠がこの立ち位置に現れている。ラスフィールを後ろ手に縛り床に座らせたのは動きを封じるためであり、その上でディーンとの間に机という障害物を置き、ラスフィールを援護しかねないリグルはさらに距離のある場所へ立たせ、剣はいざという時に魔法で戦えるエリスに預けている。

 王の執務室にいるのはこの五人だけだ。入口を固めるのは反乱軍の仲間が二人。徹底した警戒態勢だった。

 最初に訊ねたのは何故三人が竜に乗って現れたのかということだ。それについては、盗賊討伐の最中に偶然再会、そのまま同行し森の中で竜と遭遇、制御できればとエリスの魔法で竜の背に乗ることはできたが制御不能。竜が最初からジルベールを目指したのか、偶然だったのかは不明。ディーンに向けて攻撃する気配を察してエリスが結界で防御。リグルとラスフィールは振り落とされ、エリスとともにディーンを守ろうとするが竜はそのまま飛び去っていった──と、ドワーフの森や竜が森で眠っていたことなどは伏せた。

 ところどころでアレクがエリスの方を見た。ラスフィールが嘘を言っていないかどうかの確認である。意図を察してエリスは無言で頷いた。彼はすべてを語ってはいないが、嘘はついていない。そして語らなかったことは、今必要な情報ではない。

「なるほど、魔物が棲むと言われる聖母なる森には竜がいた訳か。創世神話に出てくる巨木は森の世界樹を元にしているという話だが、もしかしたらおとぎ話や寓話ではなく、史実なのかもしれないな」

 聞き終えたディーンが苦笑して頬杖をついた。

「史実だとしたら冗談じゃねえよ、魔王が本当にいたってことになるじゃねえか。それにおとぎ話だろうが史実だろうが、お前が竜に襲われたのは事実だろ」

 対するアレクが嘆息する。飛来する竜は多くの者が目撃したが、実際に攻撃されたのはディーンだけだ。エリスの結界で守られたとはいえ、竜の存在を苦笑しながら語る神経にもっと危機感を持てと嘆き節である。

「でもまあ、エリスのおかげで助かった」

 エリスのおかげで助かったのか、エリス達が竜を連れてきたのか──いずれにせよ、もう会えないかと思っていた妹と幼馴染との思わぬ再会を、ディーンは心から喜んでいるようだった。

 久し振りにディーンの表情が緩むのを見て、アレクは内心ほっとしていた。ずっと仕事で根を詰めていたところに熱を出して寝込んでいたのだ。少しでも気が休まるのなら、それに越したことはない。

 小さく息を吐いて、アレクは表情を引き締めた。

「お前らが一緒に竜に乗ってきた理由は分かった。じゃあ次だ。──アープ夫妻を……ディーンの両親を捕らえた理由は何だ。一体何があった?」

 エリスが小さく身体を震わせ、すぐそばで表情を凍らせた兄ディーンと、その向こうに立つリグルの顔をそっと見た。視線に気付いたリグルが目配せする。

 母ベルティーナを救出するべくジルベールへ戻ったリグルは反乱軍と合流し、公開処刑を阻止するため女王軍と戦った。結果として公開処刑は中止となったがベルティーナとリグル、エリスは女王に捕らえられ、封じの塔に監禁された。そこから脱出する際に、白骨化したリーヴ・アープと──遺書と、粉を見つけた。だが、サウィン・アープの遺体はどこにもなかった。

 その後反乱軍と合流し女王を討ち取ったが、エリスはディーンに両親のことも遺書のことも伝えられないままリグルと共に旅立ってしまった。ディーンはベルティーナから「アープは天に還った」としか聞いていない。その直後に塔はベルティーナが崩壊させてしまった。遺体を回収できたかどうか解らない。

 ずっと気にはなっていた。兄に何も伝えなかったこと。遺書のこと。粉のこと。

 そして、母サウィンはどうなったのか。

 震える手で預かった剣を握り締めたエリスは、ただ黙って俯いたラスフィールを見守っていた。

 重い沈黙の中、ラスフィールが俯いたまま口を開いた。

「陛……ロゼーヌ様はアープ夫妻の死を望んではおられなかった」

「はあ!? お前ふざけるのも……」

「アレク。いい、続けて」

 声を荒げかけたアレクをディーンが制する。ラスフィールが顔を上げると、こちらを見下ろすディーンと目が合った。王としての仮面を被った彼からは表情を読み取ることはできない。ラスフィールはひと呼吸置いて続けた。

「……ロゼーヌ様はアープ夫妻を捕らえる少し前、高熱を出してしばらく伏せっておられた。それからしばらくして背中に血の染みのような痣ができた。それはルーク王やモルタヴィアの王ファリウスⅦ世と同じ症状だ」

 ディーンとアレクが顔を見合わせた。そんなことは聞いたことがない。ただモルタヴィア王が病に倒れ、兵士の士気が下がったことが終戦の要因のひとつであることは知っていたし、ルーク王も病に伏していたことは崩御後に知らされた。

「その病は発病すると一週間の高熱の後に血の染みのような痣が全身に転移していく。転移していく間発作が起き、半年後に痣は全身にまで及び、死に至る。治療法は見つかっていない。周囲には隠していたが、アープ夫人がロゼーヌ様の体調の変化に薄々気付いていたようだった。病の露見を恐れて、アープ夫妻を封じの塔に監禁した」

「だから捕らえて殺したのかよ!?」

「陛下はアープ夫妻の死など望んではいなかった!」

 悲鳴にも似た声で吠えてから、ラスフィールは唇を噛んで俯いた。しばしの沈黙を挟んで彼は続けた。

「……アープ夫人はロゼーヌ様にとって、数少ない心を許せる人だった。王妃となられて間もない頃からお二人は親交を深められていた。だから、口封じに殺すということはどうしてもできなかった。リーヴ様も占いで余計な予言をされては不都合だった。魔道士であるリーヴ様を監禁するには封じの塔しかなかったんだ」

 母サウィンが王妃と交流などまるで知らなかったディーンは、そっとエリスを見るが彼女も同じだったようで、困惑したように首を横に振る。

「封じの塔に監禁してから一週間もしない頃、内側から何らかの魔法を使ったのか中の様子が窺えなくなった。扉は開かず、何の反応もなく、食事も受け付けず……一月後だっただろうか、ようやく中の様子が窺えるようになった時には、リーヴ様はすでに自害されていた」

 時が凍る。息が止まる。

 エリスの脳裏に、封じの塔で見た父の変わり果てた姿が甦る。

 リグルは静かに目を伏せた。

 アレクは言葉を失った。

 ディーンはがたりと椅子を倒して立ち上がり、言葉もなく立ち尽くした。

「このことは箝口令が敷かれ、知るのはわずかな者だけだ。アープ夫妻が監禁された部屋はそのまま封鎖され、近づくことも禁止された。その後どうなったのかは私も確認はしていない」

「待てよ。サウィンさんはどうしたんだよ」

 沈黙の中で語ったラスフィールに問い質したのはアレクだった。

「リーヴさんは自害したんだろ。じゃあ、サウィンさんはどうした」

 アレクの言葉にラスフィールの視線が泳ぐ。

「……解らない」

「解らないじゃねえよ、どうしたんだよ!」

 胸倉を掴んで揺さぶり間近で睨み付けても、ラスフィールはしばらく答えなかった。幾許かの沈黙の後、ようやく言葉を見つけたのかラスフィールが口を開く。

「……アープ夫人の姿は封じの塔の中のどこにもなかった。監禁したはずの部屋に隠れるような場所はないし、遺体もなかった。あの一月の間に何かがあったとしか思えないが、何が起きたのかは誰にも解らない。ロゼーヌ様も特に捜索指示は出されなかった。だからそれきりだ」

 父は自害。母は生死、行方ともに不明。

 両親を救うために反乱軍として戦っていた頃、すでに彼らの手の届かないところに行ってしまっていたのか。ディーンは呆然と立ち尽くしていた。ならばあの戦いは何だったのだろう。何のために立ち上がったのか。助けを信じてはくれなかったのか。

 戦い始めてから半年が経過する頃には、もう手遅れなのではとどこか諦めもしていた。

 だが──殺されたのではなく、自ら命を絶ったという事実がディーンを打ちのめした。

「私は一体何のために戦ったのだ……」

 乾いた呟きは、涙にもならない。

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