第17話

 ラスフィールがギズンに剣を預けて約一ヶ月。今朝手入れの終わった剣を受け取り、盲目のエルフの元を訪れていた。

 何度か言葉を交わす内に何となく気が合い、ラスフィールは盲目のエルフを訪れて話し込むことが多かった。エルフが盲目となった理由、ここに留まる意味──そして眠れる竜を目の当たりにして、その実在を知った。

 何となく気が合う理由──それはお互いの境遇が似ているからであろうとラスフィールは考えている。目の前にいるのに触れることもできず、決して届かない想いに身を焦がしながら、それでも側にいようと心に決めた存在がいる。違いは、エルフはまだその存在が目の前にあり続けるが、ラスフィールは失ってしまったということだ。

 届かなくても、触れられなくても、側にいられるだけで幸せを享受できる存在──エルフにとっての銀竜は、いつか数百年の眠りから目覚めるのだろうか。

 そんなことをぼんやりと考えていると、エルフはラスフィールが渡した箱の中から手探りで革製のケースを取り出し、そこに収められたガラスのペンを取り出した。指先でひとつずつ探りながらではあるが、危なげなく取り扱っている。輪郭を確かめるように全体をなでてから太陽に透かす。

「ほう、美しいな。ガラスのペンとは、人間は面白いことを考える」

「……あなたは本当に盲目なのか」

 呆れたようなラスフィールの呟きに、目を閉じたまま太陽に掲げたペンを見上げてエルフが言う。

「見ることはできないが、光を感じることはできる。瞼に落ちる影の濃さで透明度がなんとなくは分かる。きっと澄んだ水のように透明なのだろう」

 色の着けられていないガラスのペンは、蒸留水をペンの形に固めたかのように透き通っている。いくつも溝が刻まれているペン先ではきらきらと水面のように輝いているが、果たしてそこまでエルフは感じ取っているだろうか。

「エルフにはない発想だ。いつか実物を見てみたいものだ」

「エルフはペンを使わないのか」

「エルフの言葉も文字もあるが、紙に書いて残そうということはまずしないな。紙の寿命より我々の寿命の方が長い」

 長命なエルフは紙に書いて残さずとも、知識を蓄積する己自身が書物のようなものだ。いずれはぼろぼろになってしまう紙に、わざわざ書いて残す必要がない。

「……例えば、手紙とかは」

「会って直接伝えればよいのでは?」

「……なるほど」

 エルフからペンを受け取ると、ラスフィールは丁寧に箱に戻して懐にしまう。

「人間は同族同士で争うのか。短い寿命で難儀なことだな」

 ガラスのペンを入手するに至る経緯を聞いたエルフがため息交じりに呟いた。

「人にとっては遠い昔だが、我らにとってはそう遠くない昔──思い上がった人間が他の種族に戦争をしかけた。結果、人間は滅ぶ寸前まで追いやられた。今も昔も変わらぬな」

「他の種族というのは、本当に実在したのか」

 目の前にエルフを見ながら言うのもおかしなものだ、と言ってからラスフィールは気付いた。盲目のエルフは特に気にすることもなく、

「私は直接見た訳ではないが、両親から聞いたことがある。戦に長けた竜族、治療に特化した一角族、エルフやドワーフ、人狼族、人馬族に天使もいたそうだ。この森でドワーフとエルフがかつて共生していたように、もしかしたらどこかでひっそりと生きているかもしれないが……」

 盲目のエルフが空を仰ぐ。遙かな高みから見下ろす太陽神ならば、すべてを知っているだろうか。

 会話が途切れ、流れる雲を眺めながらゆるゆると時間が流れていくのを感じていると、森の奥から聞き慣れた声がした。

「ごめん、お待たせ」

 リグルが軽く手を挙げ、すぐ後ろにエリスが続く。

「今日に限って馬が暴れて」

 リグルがジルベールから連れてきた白馬は、ジルベールにいた頃から人に懐かなかったそうだが、ドワーフの森に来てからは世話を拒絶することもなく大人しかった。今朝に限って嘶き、暴れ、蹴ろうとしたので魔法で眠らせてしまったのである。

「今日から連携の訓練ですよね。楽しみにしてたんです」

 嬉しそうに微笑んだエリスの腰に、二本の剣があった。

 誤って触れてしまえば大変なことになる破邪の剣をどこかに置いておくことはできず、しかし訓練に使用して何かの拍子に傷つけることでもあれば取り返しがつかない。そのため先の盗賊討伐の件も報告し、ギズンが訓練用に鍛えてくれた、破邪の剣と同サイズの剣も一緒に持てるよう二本差しのベルトを作って貰ったのだ。

「敵に対し、リグルとエリスが共闘する場合──二人とも剣を使う場合、エリスが魔法を使う場合。敵を倒す場合と捕獲する場合。これらを想定した訓練だったな。周囲には結界を張っておく。魔法が外れても森を焼くことはないから心配するな」

 盲目のエルフが周囲に結界を張る。

 今回の訓練はリグルが提案したことだった。エリスの父リーヴ・アープは破邪の剣で何かと戦うことを示唆していた。あの威力をもって戦わねばならないとなれば、並の相手ではないはずだ。どんな魔物にも対抗し得る破魔の刃となって、とあった以上、人ではない可能性がある。ならばありとあらゆる場合に備えておきたい。

 同時に、ラスフィールを引き留めておく理由にも都合が良かった。剣の手入れのためと言ってドワーフの森へ連れてきた。その剣の手入れが終わった今、彼がこの森に留まる理由はない。この森を去った後、自分の命を投げ捨ててしまうのではないかという懸念がリグルの頭から離れなかった。

 訓練に付き合ってくれと頼んだ時、断られるかと思っていたがラスフィールはあっさりと了承してくれた。生きることに無関心だとしても、剣にはまだ興味があるようだった。 エルフの指示でそれぞれに間隔を取って立ち位置を確認すると、

「エリス、お前達の中間地点に風の槍を叩き込め。砂埃が舞ったら開始だ」

 距離を取ったエルフが手を挙げて合図する。

 ふと、ラスフィールがガラスのペンを懐に入れたままだったことを思い出した。丁寧に梱包されているが、衝撃で割れてしまうかもしれない。

 待ってくれ──そう言いかけた時だった。

 ずしん……とも、ごう……とも言いがたい振動が足下から伝わってきた。

「……何だ?」

「エリス?」

「私はまだ何も……」

 全員が周囲を、足下を見回した時だった。

 どん、と落雷のような轟音と衝撃に続き──洞窟のある切り立った崖が、崩落した。

「何が……」

「師匠! 崖が!」

 突然のことに状況が飲み込めない盲目のエルフがバランスを欠いてよろめいた。エリスが駆け寄りながらエルフ目掛けて魔法を放つ。

 己のすぐ頭上で何かが砕ける音と衝撃、ぱらぱらと小石のようなものが落ちてくる感覚で、エルフは状況を悟った。エルフのすぐ背にある崖が崩れ、岩が落下してきている。咄嗟に手を頭上に上げて結界を張る。そのすぐ後にいくつもの岩が降り注ぐ。

「エルフ殿!」

「師匠は大丈夫! それより、岩がこっちにも!」

 飛来する岩を魔法で撃ち落とし、リグルとラスフィール、エリス自身にもそれぞれ防御結界を張る。周囲を見回せば、先程エルフが張った結界のおかげで岩が村の方へ転がっていくことはなく、見えない壁に当たって結界内で停止している。

「え? あれは」

 落下した岩の中に、水晶のように透き通った塊があった。見覚えのあるそれは、

「どういうことなの……? リグルさん、あれって……リグルさん?」

 崩れ落ちる崖を凝視しながら立ち尽くすリグルに、その先の言葉を飲み込んだ。

「リグル、どうした! ひとまず退くぞ」

「待って。聞こえる」

「リグルさん……?」

 リグルの様子に二人が立ち止まる。

「聞こえない? 何か──声のような」

 リグルの声をかき消しながら、崩落していた崖が──爆発した。

 大きな岩の塊に紛れて飛んでいく透明の塊は、氷だった。太陽の光を浴びてきらきらと輝きながら、呆然と崖を見守る三人の頭上を飛び越え、また結界にぶつかって足下に転がり落ちる。

「……うそ、でしょ?」

 エリスは目の前で起きていることを、現実として受け止めきれなかった。エリスだけではない。リグルも、ラスフィールも、ただ立ち尽くしていた。

 呆然と、ただ呆然と、結界の中から見ていることしかできなかった。


 崩れ落ちる崖から咆哮とともに現れた銀色の竜の姿を──

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