第16話
翌朝、リグル達が目を覚ました頃にはすでに隊商は出発した後で、野営の痕跡のひとつも残されてはいなかった。
朝食を済ませるとリグル達はギズンの家を訪れた。鍛えて貰ったエリスの剣についての報告と、ラスフィールの剣の手入れの依頼である。
盗賊討伐の後、行く当てもなさそうなラスフィールに、剣の手入れをしてもらってはどうかと持ちかけたのだ。ドワーフの存在については懐疑的だったラスフィールも、エリスの剣を鍛えた鍛冶屋そのものには興味があるらしく、長考することもなくすんなりと話に乗った。
あのまま別れてしまったとして──生きる目的を失ったラスフィールがどうするのか、想像もつかなかった。どういった経緯で隊商と出会い、護衛として雇われたのかは分からないが、恐らくそれ以前は生気を欠いた状態だったことは想像に難くない。だから時間を稼ぎたかった。少なくとも剣の手入れが終わるまでは一緒にいられるだろう。
リグルはギズンの家の扉を数度叩いて、返事も聞かずに扉を開けた。
「ギズン、久し振り。仕事の依頼に来たんだけど、酒臭いから明日にしようか」
「お前は相変わらずだね。エリスはこんな奴と一緒にいて辛くないのかね。……おや、新しい顔だね。今度の客はお前さんかい?」
リグルが振り返ると、ラスフィールが相変わらずの無表情であるが戸惑っているように見えた。
「昨夜ガゼルのところに泊まったなら、ドワーフを見るのは初めてじゃないだろう? そんなにじろじろ見るのは失礼なんじゃないかね」
腹まで伸ばした髭を三つ編みにしているドワーフは他にいない。それは凝視したくもなるだろうとリグルが心の中で呟いていると、ラスフィールが深々と頭を下げた。
「申し訳ない、大変失礼をした。私はラスフィール。リグルの紹介で剣の手入れを頼みに来たのだが、その……鍛冶屋が女性とは、思わなかったので……」
「えっ」
「えっ」
リグルとエリスの声が重なった。
「ほう?」
ギズンがにやりと口の端を上げながら自慢の三つ編みの髭を撫でる。
「えっ? ラス、え? ギズンが、え? もしかしてガゼルに聞いてた?」
驚きのあまり言葉がうまく出てこない。エリスは初対面では完全に男性だと思い込んでいたし、リグルも父ウュリアもそうだった。ドワーフとの面識はガゼルしかないラスフィールが一目でギズンの性別を見抜いたことに、完全に言葉を失っているリグルとエリスを脇目に、
「……見れば分かるだろう」
呆れたようにラスフィールが呟いた。
いやいやいやいやいや見て声を聞いても分からないから。
言葉にならない声を重ねてリグルとエリスが首を横に振る。
何を言っているんだ、とラスフィールが訝しんでいると、思いも寄らぬ強い力で腕を引っ張られた。完全に不意打ちだったため、ぐらりとよろめき、そのまま倒れ込みそうになるラスフィールをギズンが抱きとめる。
ギズンの胸(のあたりの三つ編みの髭)に顔を埋める格好になったラスフィールが慌てて身体を起こそうとするが、逞しい彼女の両腕でがっちりと抱きしめられてしまい身動きが取れない。
「いやあ、お前さんよく見ればいい男じゃないか! 私がもう少し若けりゃあねえ。いいよいいよ、剣の手入れかい? 安くしとくから、どうだい一杯やっていかないかい?」
「いや、その、私は酒は……」
「ラス、なんか取り込み中みたいだから、先に戻るね。どうぞごゆっくり」
「ちょっと待てリグル! 取り込み中では、待っ……、ギズン殿、髭が……!」
***
「お前達、いつまで笑っている」
不機嫌そうにラスフィールが呟いた。ギズンに頬ずりされた時に髭で引っかかれたのか、整った顎の辺りが少し赤くなっている。
「ごめん、だってラスがあんなに慌てるの、初めて見たから」
睨まれながらリグルが必死に笑いを噛み殺すが、殺しきれなくて笑いがこぼれ落ちている。エリスもつられて口元が緩んでしまう。
あの後何とかギズンを引き剥がして、ラスフィールは改めて剣の手入れを依頼した。依頼料は盗賊討伐で受け取った銅貨の半分を渡している。銅貨に関しては昨晩リグルとエリスに渡そうとしたのだが丁重に断られ、半分はガゼルに宿泊費として渡してある。
商談は成立し、手入れが終わるまで代わりの剣を借り、リグルとラスフィールは剣の手合わせをするために移動中である。エリスは二人の後に続いている。
「それで、今度はどこに向かっているんだ。手合わせなら宿屋の前でもできるだろう」
「まあ、そうなんだけど。どうせなら邪魔されないところがいいかな。宿屋の前だとあれこれとガゼルに用事を言いつけられるからね」
普通に会話しながら歩いて行く二人の後ろについていきながら、エリスはラスフィールの後ろ姿を眺めていた。
あの野宿の夜、寝付けなくて何となく二人の会話を聞いていた。兄弟子に父親を殺されたというのに変わらずに接するのか、と思ってはいたが、リグルがそれを赦しているというのであれば、エリスが口を挟むことではない。
ただ、エリスにとってラスフィールは敵であり、反乱軍の仲間にも犠牲者が出ている。それを赦すことができるかと言われると──将来はともかく、今はまだ難しい。あれこれとラスフィールに突っかかってリグルに嫌われたくはないので、ただ黙るだけだ。
(それにしたって、リグルさんにくっつきすぎじゃない?)
正確にはラスフィールが心配なリグルがあれこれと世話を焼いたり話しかけているのであって、ラスフィールからリグルに何かをしている訳ではないのだが 感覚的には数日間とはいえ、半年間の修行から戻ってきてようやくリグルと一緒にいられると思ったのに、まさかのお邪魔虫の登場である。面白いはずがない。思わずラスフィールを眺める視線が厳しくなってしまう。
「着いたよ」
リグルの声に、エリスは少し暗くなった気持ちを振り払うように軽く首を振った。村の背後にある切り立った崖が左右に広がり、横穴の入口が見える。その入口のすぐ横に、見慣れた顔があった。
「お前達か。……いや、今日は知らぬ顔があるな」
盲目のエルフが横穴の入口の手前にある岩に座っていた。腰まで届く金髪はひとつに束ねられ、長く伸びた耳がより目立っている。相変わらず目が閉ざされているにも関わらず、ラスフィールが見えているかのように視線をそちらに向ける。
「師匠!」
足を止めたリグルとラスフィールを他所に、エリスが盲目のエルフの元へと駆け出した。
「あの、改めてお願いがあるんです。儀式魔術を教えていただけませんか」
「……以前話したやつか。儀式魔術には記述が伴う。今の私の眼では限度があるぞ」
「構いません、知識があるのとないのとでは違うでしょうし……」
リグルとラスフィールのことなどすでに存在すら忘れているかのような雰囲気でエルフとエリスが話し込む。
「不満そうだな」
立ち止まったままその様子を眺めていたリグルだったが、ラスフィールの唐突な言葉に顔をそちらに向ける。
「別に、そんなことないよ。ただラスを紹介し損ねたなあって」
「……そうか」
まだリグルが幼い頃──ラスフィールが兵士となる前。ウュリアに剣を習っているのを見ていたときのリグルの表情そのままだった。あれは自分も早く剣を習いたいという焦りや羨望のようなものかと思っていたのだが、今改めて思えば父親をラスフィールが独占していることへの嫉妬だったのかもしれない。
「本当にお前は変わらないな」
「え? 何が?」
自分の負の感情を見せまいとする。或いは自分自身でも気付いていないのかもしれない。見栄なのか自ら律しているのかは本人にも分からないだろう。
「何でもない。それで、手合わせはここでするのか」
「うん。ここなら邪魔は入らないしね。借りた剣はどう?」
「手に馴染むな。違和感もない。使いやすそうだ」
「良かった。じゃあ、始めようか」
リグルとラスフィールがすらりと剣を抜いた。
「儀式魔術は通常の魔法とは異なり、規模が大きく複雑だ。基本的には地に陣を描いて発動させる。その陣の大きさや描く陣の複雑さも目的や規模によって異なる。陣の模様も一定の法則があるが、私の眼ではさすがに見本を描くことは難しいな」
リグルとラスフィールの真剣での手合わせをよそに、盲目のエルフは隣に座ったエリスに説明する。
「他には儀式を行う時や場所が重要になる場合もある。厳密に言うなら星の位置だな。太陽や月がどこにあるか──天空の星の配置はどうなっているか。天空の星の配置と陣を対応させて、星の配置そのものを陣に組み込むと考えればいい。天体の食を組み込む場合もある。その場合はさらに儀式を行う時間が限られてくる」
閉ざされた眼で空を見上げながら、ふうと大きく息を吐く。
「面白くなさそうだな」
苦笑しながら呟く声に、エリスがはっと顔を上げる。
「そんなことないです! 星を陣に組み込むなんて、」
「無理をするな。原因はあれだろう」
エルフが顔を向けた先で、リグルとラスフィールが剣の手合わせをしている。
「それは……その……」
お互い真剣での手合わせである。一瞬も気が抜けないはずだが、リグルの表情はとても楽しそうだ。ラスフィールは相変わらずの無表情で全く読めない。
「あれは何者だ」
言われてようやく、紹介していなかったことに気付く。
「あ……彼は……」
言いかけて口籠もる。ジルベール最強の剣士と言われた翡翠騎士団長。リグルの知り合い。同じ師から剣を学んだ兄弟弟子。エリスにとってはかつての敵だったその人を、どこまでどう説明したものか。
「リグルに似ているな」
「えっ?」
「音がとても似ている。音……動き方の癖と言うべきか。身のこなし、足のさばき方、息継ぎ……合わせているのかと思うくらいだ」
「二人とも、リグルのお父上から剣を習ったそうなので……動きが似ているのかもしれませんね……」
言いながら、心の奥底がざらりとする。
改めて二人の動きを注視すれば、躱し方や踏み込み方が確かに似ている。約十年、それぞれに剣の鍛錬を積んだはずなのに、それでもなお似ているという動きは──それが身体に染みつくまで共に過ごした日々を物語っている。
エリスが知らないリグルを、ラスフィールは知っている。
ざらつく心に顔を曇らせたエリスに、空気で察したエルフが小さくため息をつく。
「まあ、お前達も似た者同士だろう」
何のことか分からずきょとんとしたエリスの頭を、エルフの手がぽんぽんと軽く叩いた。
カァンと高い音を立てて、リグルの手を離れた剣が宙を舞う。
「手合わせの最中に余所見か、リグル」
「ちょっと手が滑っただけだよ。次は勝つよ」
「言ったな」
大地に刺さった剣を抜いてリグルが構え、ラスフィールがそれを待って地を蹴った。
休憩も挟まず再開された手合わせを、エリスが心配そうに目で追っている。
「えっと、何でしたっけ……?」
ふと我に返って、エリスが盲目のエルフに向き直ると、
「いや……何でもない」
苦笑いを浮かべるしかなかった。
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