第15話

 ドワーフの村に着いたのは日が西に傾いた頃だった。日没にはまだ時間があるが、影が長くなるのを意識し始める頃。リグル達が宿屋に着くと、外に並べられていた簡易テーブルは半分程度に減っており、隊商の野営も減っていた。

「あれ、まだ隊商はいるはずなんだけど……静かだね」

 馬に負わせていた荷物を下ろしながらリグルが呟く。

「ガゼルさんを呼んでくる?」

「うーん、お願いしてもいいかな。俺は馬小屋に寄ってから行くよ」

 リグルが馬の手綱を引き、手持ち無沙汰なラスフィールが後に続こうとした時だった。

「おう、エリス! おかえり、早かったな。ん? リグル、新しい客か?」

 宿から出てきたガゼルが見慣れぬ銀髪を見つけてリグルに問う。

「客っていうか……俺の知り合いで、剣の兄弟弟子だよ。盗賊退治してたらばったり出くわして」

「お前の知り合いって言ったら十年以上前だろ。盗賊退治でばったり出くわすとかどういう運命だよ。──俺はガゼル。リグルの兄貴分みたいなもんだ、よろしくな」

 差し出された手に戸惑いながら、ラスフィールは咄嗟に何と名乗るべきか迷い──一呼吸置いてから、

「ラスフィールだ」

 ガゼルの手を握った。

 隊商には偽名を名乗っている。隊商がここに滞在しているのなら偽名を名乗るべきかとも思ったが、今は素性を知るリグル達がいる。何かの拍子に露見して取り繕うより、今の内に偽名を名乗っていたことを謝罪した方が無難だ。

「カディールはいるだろうか」

「おう、カディールならさっき飯を終えて奥で休んでるぜ」

「もう? まだ明るいのに?」

 日没にはまだ早い。夕食にはずいぶん早い時間だ。

 リグルから馬の手綱を受け取りながら、ガゼルが親指を立てて扉の奥を指す。

「明日の夜明けに出発だとよ。で、早めの飯と風呂だ。部屋で寝る奴はもう寝てる。あとすまねえエリス、風呂が荒らされた後だ……」

 申し訳なさそうな顔をしたガゼルに、エリスがそんなにがっかりした顔をしただろうかと慌てて首を横に振る。

「大丈夫、気にしないで」

「一応お前ら二人分の部屋はとっておいてあるけどよ。ラスフィール、リグルと同じ部屋でいいか?」

 少し長い銀髪が縦に揺れた。

「馬は俺が繋いでおくからよ、お前らは中に入ってろよ。盗賊退治したんだろ? カディールがにやにやしながら聞いてくれるぜ」

「にやにやしてるのはガゼルだろ。じゃあ、よろしく」

 馬を労いながら馬小屋に歩いて行くガゼルと馬の後ろ姿を見送って、リグルは開け放たれたままの扉の奥に入った。

 がらんとしていた食堂はいつも通りのテーブル配置に戻っており、奥のテーブルでカディールがひとりで杯を傾けていた。リグル達の姿を見て軽く手を挙げる。

「ようアルス、元気だったか! お前達やっぱり知り合いだったのか」

「やっぱりって、気付いてた?」

 驚いた顔をしたリグルに、カディールが声を上げて笑う。

「確信したのは今だ。やたらとアルスのことについて聞いてきただろう。何か心当たりがあるのか単なる好奇心か測りかねたが、前者だったな。あんな聞き込みじゃすぐに怪しまれるぞ」

「次からは気を付けるよ」

 そんなやりとりがあったのかと驚くエリスと苦笑するリグルの表情を見たカディールは、二人の後ろで無表情のまま立ち尽くしているラスフィールを見た。知り合いと一緒でもこの無表情は変わらずか、とそんなことを考えていると、

「カディール、すまない。あなたに謝罪しなければならないことがある」

 ラスフィールが声をかけてきた。

「以前名乗ったアルスというのは偽名で──」

「ああ、知ってる。ラスフィール殿」

 仮面をつけているのかと見紛うような無表情のラスフィールも、さすがにわずかに目を見開いた。リグルとエリスは分かりやすく顔が硬直している。

「え。嘘。カディール、どこから知って……?」

 絞り出すようにリグルが問うと、

「お前と知り合いってことはジルベール出身で、剣の腕が立って、なおかつその目立つ銀髪碧眼とくれば、まあだいたい範囲が絞られるからな。直接お目にかかったことはないが、ウュリアに自慢話を聞かされたことがある」

「父上から?」

「リグル、お前ウュリアと一緒に飲んだことあるか? あいつ酔っ払うと嫁さん自慢と息子自慢と続いて、決まって銀髪の弟子の自慢だぞ。何だったか……ああ、あいつは騎士団長になる男だってなあ、あんまり暑苦しくて引くぞ。しかもやたらと酒に強くて寝落ちしないし、そう何度も一緒に飲んだ訳でもないのに頭に刷り込まれたくらいだからな」

 笑いながら過去の不満をぶちまけると、カディールはぐいとコップの水を飲み干した。

「……、ウュリア様が」

 そう言ってくれた人を裏切ったのか。ラスフィールの顔が僅かに歪む。

「父上と飲んだことはないけど、ドワーフの言葉を借りるなら、今頃地底王国で誰かに弟子自慢をしてると思うよ」

「酒もなしにか?」

「自分の息子に弟子自慢をするような人だからね。酒は関係ないと思うよ」

 肩を竦めながら、リグルはちらりとエリスの横顔を盗み見た。リグルはガゼルにもカディールにも、父が死んだことは伝えたがラスフィールに討たれたことは言っていない。エリスが口を挟む様子はないし、ラスフィールの胸中はいざ知らず、現状は言葉を失ったままだ。

 事情が事情だったとはいえ、もしラスフィールがウュリアを斬った張本人だと知ったら、ガゼルもカディールも態度を硬化させるだろう。リグルからそれを公にすることはない以上、エリスも余計なことは言わないはずだ。ラスフィール本人が言うのであれば、それはそれだ。

「おう、盛り上がってるとこ悪いけどよ、メシと風呂、どっちが先だ?」

 馬小屋から戻ってきたガゼルが割り込む。

「俺はどっちでも……」

「あの、私、できれば先にお風呂に入りたいんだけど……」

「じゃあエリスが風呂に入ってる間にメシの準備をしとくからな。リグル、お前ちょっと手伝え」

「はっ? 手伝えって、何を」

「いいから来いよ。じゃあラスフィールは適当に座って待っててくれよな」

 エリスは着替えを取りに二階に上がり、リグルはガゼルに厨房へと引きずられ、取り残されたラスフィールは仕方なくカディールの正面の席に座る。

 しばらく続いた沈黙を破ったのはカディールだった。

「……まあ、言いたくないことは言わなくていい。で、盗賊は倒したのか」

「ああ、リグル達の助けもあって討伐した。捕虜は領民に引き渡したところを次期領主を名乗る者が横取りしていった。後のことは領民がどうにかするだろう」

 そうか、とカディールはコップをテーブルに置いて立ち上がった。

「明日は夜明けに出発なんでな。先に失礼する。お前がこの先どうするにせよ──自分を大事にしろよ」

 立ち上がりかけたラスフィールに振り返ることなく、

「じゃあな、ラスフィール。またどこかで会うこともあるだろう」

 カディールがひらりと手を振った。

 ラスフィールはただ、その背中に無言で頭を下げたのだった。

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