第14話

「そんな酷い話ってある!?」

 エリスの怒声に馬が驚いて足を止めた。

「落ち着いて。確証がある訳じゃないんだ」

 不愉快そうな馬を宥めながらリグルが馬上のエリスを見上げる。

 ガラス工房を見学した日の翌朝、リグル達は帰路に就いた。行きはリグルと二人で馬で駆けたために一日で着いたが、帰りは何故かラスフィールが一緒である。エリスが馬に乗り二人は徒歩のため、行きよりも帰りは時間がかかる。途中で野宿が確定しており、その準備は宿屋の主人にしてもらった。

 後にした領地が遠くなった頃、馬の前を歩く二人が盗賊について話し合っていた。会話に入らずとも何とはなしに聞いていたエリスの耳に入ってきたのは、あの盗賊が領主争いをしているいずれかの派閥に雇われていたのではないか、という話である。

 その場合、理由は明確だ。領内を荒らす盗賊を討伐したとなれば、領主争いが有利になるだろう。そうだったと仮定して、どの派閥が仕組んだのかが問題になってくる。

 実は雇われていたなどと口外されては困るので、全員捕らえて領主の座を獲得した後に恩赦で釈放かこっそり逃がすのか、あるいは口封じに全員処刑するのか。いずれにせよ盗賊は全員余すことなく捕らえる必要がある。そうなると一番怪しいのは門の内側でリグル達を待ち構えていた派閥になる。手柄はもちろん横取り、盗賊も全員そのまま引き取っている。

「本当に雇われてたのかどうかはこれから分かると思うよ」

「どうやって?」

 もし口封じに盗賊を全員処刑したとしたら、真実は闇の中だ。

 訝しむエリスにリグルが悪戯っぽく笑った。

「ほら。酒場の店主に盗品を積んだ荷車を任せたよね。あれにひとり盗賊を積んだんだ」

「え、え? いつの間に、途中で目が覚めたりしないの」

「そこは気を失ってもらって、その間に丁重に梱包したよ」

 つまり厳重に拘束したということか。

 次期領主候補達が何かを企んでいたとして、捕らえた盗賊を全員逃がすなり殺すなりで証拠隠滅を図ったとしても、領民の手に生きた証拠が残っている。そう簡単にうまくはいかないだろう。

「なんかこういうの……嫌だね……」

 守らなければならないはずの領民を、領主の利益のために苦しめる。そんな手段を使って領主の座に就いたとして、果たして本当に領民のために尽くすだろうか。

「エリスは気が付いた? あの盗賊の中に、何人かジルベールの兵士が紛れてた」

 リグルの言葉にエリスが絶句する。

「ラスと会った時、革の鎧を着た男が人を斬ろうとしてたよね。間に入ったラスの顔を見て驚いてた」

「……よく気が付いたな」

 感情を乗せない声でラスフィールが呟いた。

「塀の上で人質を取っていた男も同じ鎧だったから、多分そうかな」

「そうだ。他にも何人かいた。捕捉できる限りは斬り伏せたが、全員かどうかまでは分からないな」

「ラスがわざわざ戻ったのって、それが理由?」

 一瞬言葉に詰まって、ラスフィールがそうだと頷いた。

「反乱軍に敗北したあの時、国軍は逆賊となった。兵士は主君の命令に従っただけで、彼ら個人に罪がある訳ではない。だが国民感情はそうはいかない」

 実際に兵士に家族を斬られた者は、それが主君の命令だったからと言われてもその兵士を許すことは難しいだろう。

「国に居場所を失ってジルベールを後にした者もいるだろう。本来なら私が残って彼らを守らなければならなかったのに、ひとりで主君を失った絶望に飲み込まれて死のうとしていた。──これは私の責任だ」

「責任を取って、殺したの?」

 腑に落ちないとエリスの眉間に皺が寄る。

「……あの領地はジルベールに近い。将来的に交易が行われるかもしれない。そうなった時に、元ジルベール兵士が盗賊として人を斬っていたと分かったらどうなる」

 これまでは隊商経由でしか関わりがなかったとしても、今後直接関わることになった場合、それは重大な問題となる。もしあの時、元兵士が人を斬っていたら──

「ましてジルベールは政権交代直後の混乱期だ。これまでの歴史も浅く外交の経験に乏しい。どんな小さな負の要素も取り除けるものは取り除いておくに超したことはない」

 最後まで感情を乗せないまま話したラスフィールは、それ以上言うことはないとばかりに口を閉ざした。

 後ろでひとつに小さく結わえられた銀髪を馬上から見下ろしながら、エリスはラスフィールに対して抱いていた印象との違いを修正する作業に追われていた。

 女王ロゼーヌの絶対の盾であり剣であった翡翠騎士団長は、その女王を討った反乱軍と新生ジルベールを憎んでいるのかと思っていた。

 女王から騎士団長へ下された最後の命令は、最期まで見届けることだった。女王は最初から反乱軍に討たれる結末を望んでおり、それはラスフィールの目の前で成就された。女王の命令には復讐は含まれておらず、ただ女王の命じた通りに見届けることしか許されなかった。女王の刃となることも、盾となることも。

(この人、リグルさんのことをどう思ってるんだろう)

 ラスフィールが全てを捧げた主君ロゼーヌを討ったのはリグルだ。そしてリグルの父であり剣の師匠でもあったウュリアを討ったのはラスフィールである。

 それぞれ大切な人を奪い、奪われた者同士が、肩を並べて歩いている。

(どうしてこんなことになってるのかしら……)

 エリスの深いため息は、馬の嘶きにかき消された。


 日が暮れる前に野宿の準備をして、食事を済ませてしまうと後は寝るだけである。火の番はリグルとラスフィールで交代でするからと、エリスはひとりで毛布に包まった。エリスにとっては初めての野宿である。毛布越しの地面は固く、夜もまだ早いし、なかなか眠れそうにない。焚き火を囲む二人に背を向けて横になり目を閉じる。

 幸いなことに風もなく、ぱちぱちと焚き火が弾ける音だけが聞こえてくる。

「リグル。お前は私が憎くないのか」

 拾い集めた枝を焼べながらラスフィールが呟いた。

「……ラスは俺が憎いと思う?」

「それは……」

 最期の戦いの前──ロゼーヌはシルヴィアと決着をつけることで、自由になれると言っていた。ならばリグルがロゼーヌの胸を貫いた刃は彼女を悪夢から解き放ってくれたということだ。それはロゼーヌが望み、その結末のために周到に用意した。主君が恨んでいないものを、騎士たるラスフィールが憎むことはできない。

「俺だって一緒だよ」

 かつて一緒に剣を習っていたあの頃の笑顔でリグルが笑った。そうではない、とわずかに声を荒げたラスフィールにリグルが続ける。

「ひとりでずっと考えてたんだ。父上はどう思ったのかなって。ずっと心の中の父上と対話してた」

 揺れた炎がリグルの横顔を照らした。

「何度対話を繰り返しても、『言っただろう? ラスは騎士団長になる男だぞって』って返ってくるんだよね。私情に流されず主君への忠誠を貫いたラスを『立派な騎士になったな』って、毎回毎回。恨み言なんて一度だって出てこないよ」

 苦笑するリグルに返す言葉を持たないラスフィールは、ただ黙ることしかできなかった。 幾許かの沈黙の後、ラスフィールが再び枝を焼べた。

「火は私が見る。リグルは先に寝るといい」

「え、でもまだ……」

 夜は早い、と言いかけたリグルに、ラスフィールは空を指さした。

「あの星が天頂に来たら交代だ」

「……分かった。じゃあ、先におやすみ」

 有無を言わせぬ口調に、リグルはラスフィールの示した星がまだ東の彼方にあるのを確認して横になった。彼に背を向けて毛布に包まり目を閉じる。

 しばらくして、火が弾ける音に混じって聞こえてきた小さく鼻を啜る音を、リグルは聞かなかったことにした。

 夜の帳に瞬く星だけが、静かに見守っていた。

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