第13話

 リグルが風呂から出た後、食事をしてからエリスと二人でガラス工房へと向かった。カディール、酒屋の店主、宿屋の主人と併せて三通の紹介状を持って行くことになったのだが、工房の職人は紹介状を受け取る前に二人を笑顔で迎え入れた。

「おお、お前さん達だね、盗賊退治の話は聞いているよ。上の連中が使えない奴らばっかりでなあ、お前さん達のおかげで助かったよ。本当にありがとう」

 リグルとエリスの手をぎゅうと握って、

「その無能達相手に啖呵を切ったんだってな! いやあ、見てみたかったよ! 胸がすくっていうのはこういうのを言うんだろうさ」

 大声で笑った。どこでどう漏れたのか、エリスが怒鳴りつけたことがすでに広まっていた。あちこちで言われるのだが、またリグルに引かれるのではないかとエリスは気が気ではない。

「で、工房の見学だったな。すまんが最近は原料が入ってこなくてな……ここのところ作業ができてないんだ。動いてない工房の見学と、在庫品を見るくらいならできるがね。それでいいかね」

 せっかく見学に来てくれたのに、と肩を落とす職人に、エリスがもちろんと頷いた。

「それで、あの、宿屋で見たんですけど、あのティーセットはこちらで……?」

「おお、あのティーセットを見てくれたのかい。あのグラスのカットは色々挑戦してみたいことを詰め込んだ作品なんだ。飲み物を入れたときに一番美しく見えるように角度を工夫して……」

 饒舌になった職人の話に熱心に耳を傾けるエリスを横目に、リグルは工房に並べられた作品を眺めていた。花瓶、グラス、繋げてアクセサリーになるであろうビーズ、置物などが所狭しと並べられている。鮮やかな色彩が光に輝く物もあれば、光をそのまま透き通らせている物もある。いずれも繊細な作品で、ジルベールではまずお目にかかれないものばかりだ。

 ふと、ジルベールの家にあったガラスの花の置物を思い出した。母ベルティーナは幼い頃に兄王ルークに贈られて、しばらくは毎日花に水をやっていたという。あの本物と見紛うような花の置物は花弁や葉などガラスが薄く、運搬には細心の注意が必要だろう。隊商も荷物は荷車で運ぶ。道なき道を行くこともある隊商である。このガラス工芸を運ぶのは至難の業だろう。

(直線距離ならジルベールからもそう遠くはないのに、あまり交流がないのはそういうことかな……)

 聖母なる森とドワーフの森を抜ければジルベールから二日程度でたどり着ける。だがその経路を通る者はなく、もし通るとしても荷車は使えない。それ以外の、つまり一般的な公道を使うとだいぶ遠回りになるはずだ。

「えっ、いいんですか?」

 ガラスを眺めながら考え事をしていたリグルは、エリスの声に意識を引き戻された。

「盗賊退治の英雄様に、特別に何か作れたら良かったんだがなあ……ある物で良ければそっちの兄さんとひとつずつ、好きなのを持って行くといい。梱包はちゃんとするから安心しな」

 どうやらここに並べられた作品をひとつずつくれることになったらしい。盗賊退治の件もあるだろうが、エリスのガラス工芸に対する興味への対価としての意味合いが大きそうだ。

「いえ、でも俺は……」

「お前さんが興味ないなら、誰かへの贈り物にでもどうだい。その時にあそこのガラス工芸は他にもいいのがあったって一言添えてくれればありがたいがね」

 カディールは割引するよう口添えしておくと言っていたが、紹介状の差出人しか見ていない職人が知る由もない。ここの製品を使うことで宣伝にもなる、という考えもあるのかとリグルは改めて並べられた作品を吟味する。

 グラスや置物は道中で割れる可能性が高い。そうなると小物か。ペンダントタイプの小瓶、装飾の施された燭台。ボタンや髪飾り──。

 ふと、目を引く青があった。

 深い青に、銀の箔がちりばめられた四角いペンダントトップ。

 まるでガラスの中に閉じ込められた星空のようだった。

(それに、エリスの瞳の色だ)

 迷わずにリグルがそれを手にすると、まだ迷っていたエリスが驚いて、

「リグルさん、決めるの早いのね。先に取られちゃった」

 同じ物に惹かれたのがくすぐったかったのか、小さく笑った。

「ううん、これはエリスに」

「えっ?」

 手に取ったペンダントトップをエリスに差し出した。

「似合うだろうなって」

 優しく微笑まれて、エリスの頬が薄紅色に染まる。

「いいねえ、じゃあ紐を通して仕上げるからちょいと貸しな」

 職人がにこにこと笑みを浮かべながらペンダントトップをリグルから受け取ると、棚から革紐を取り出して紐を通し、長さを決めて紐を切ると端を整え始めた。

「え……あの……じゃあ……」

 エリスが手にしたのもやはりペンダントトップで、艶やかな黒に金の箔が散りばめられている。

「……リグルさんに」

「好きな物を選ばなくてもいいの?」

「いいなって思った物をリグルさんに貰ったから大丈夫」

 それにお揃いになるし、とは言葉にすることなくエリスが微笑んだ。

「いいねえ、恋人同士でお揃いのペンダント。じゃあそっちもちゃっちゃと紐を通そう」 

まるで心を見透かしたような職人の言葉に、エリスがぎくりとした。

(そっか、他の人からはそう見えるんだ……)

 恋人同士。これまで意識したこともなかった。どきどきしながらリグルの表情を窺えば、いつもと変わらぬ様子である。

「そうだ、あの銀髪の兄さんはどうしてる」

 ペンダントトップに紐を通しながら店主が言う。

「彼なら今頃宿屋で寝てると思いますよ。元々夜通しで宿屋周辺を警護していたみたいなので」

「詳しくは知らんが、あの兄さん、盗賊退治のためにわざわざ戻ってきたんだろう? 盗賊を退治した後はどうするのかねえ」

 リグルも今後どうするつもりなのかは聞いていない。どうでしょうね、と適当に言葉を濁した。

「それでお前さん達、銀髪の兄さんの分も選んでくれんかね。この後宿屋に戻るんだろう? あの兄さんに渡して欲しいんだが」

 職人としては盗賊退治の英雄の内、二人だけに贈り物をするのは気が引けるようだ。それはいいのだがラスフィールがガラスに興味があるのか、そもそも欲しい物も好みもさっぱり分からない。

 リグルとエリスが途方に暮れていると、職人が机の引き出しから細長い箱を取り出した。

「じゃあ、こいつを渡してくれるか」

 箱の中には緩衝材に包まれた筒状の革製品があり、そこから取り出されたのは細長い棒状のガラスである。

「まだまだ試作の段階なんだがな。グラスや瓶みたいに実用的な物もあるが、土産物となると装飾品が多いだろう? だから何か実用的で、運びやすくて、土産にしやすい物を作って売り出そうと思っていてな。それでガラスのペンがあったら面白いなと思ったんだが、なかなか難しくてな……こいつは書けるようになった方だ」

 棒状のガラスはよく見れば片方の先が細くペンのようになっている。机の上に置いてあったインク壺にガラス棒の尖った先を浸けると、手元にあった紙に直線を書く。

「すごい、ペンみたい」

 エリスの率直な感想に職人が笑う。

「そりゃあペンのつもりで作ってるからなあ」

「あっ……すみません」

「ほれ、羽ペンは摩耗が激しいし、金属のペンは高い。だがガラスのペンなら割らなければ耐久性もまあまあだし、値段も他の土産品とそう変わらない。ここの軸のところに色をつけたり装飾したりすれば書く度に気分が揚がると思わんかね」

 楽しそうに話す職人を見ていると、聞いているこちらまで楽しくなってくる。

「それ、少し書いてみてもいいですか」

 エリスが訊ねると職人はもちろんだと笑ってガラスのペンを渡す。

「インク壺に入れる時は、ペンの先をぶつけないようにそーっとな。そうそう、それで紙に書くときは……先にいくつか溝が入ってるだろう。そこにインクが溜まってるから時々ペンをくるくる回すように……」

「一回インクをつけただけで、こんなに書けるんですか」

「羽ペンを使う時、何回もインクをつけるのが面倒でなあ……ガラスのペンで解決できないかと思って何度も作り直して……ま、必要は発明の母って奴だ」

 エリスからガラスのペンを受け取ると、職人はインクを拭いながら胸を張った。

「あの兄さんが使うかどうかは分からんがね。今うちの店で用意できるとっておきってことで」

 丁寧に梱包され直したガラスのペンはリグルが受け取り、

「確かにお預かりしました。今夜にも渡します。あと、使い方の説明も。今日は本当にありがとうございました」

 深々と頭を下げた。エリスもそれに倣う。

「礼を言うのはこちらこそだよ。じゃあ、今日はゆっくり休めよ」

 店を出てどちらからともなく手を繋いだ二人の後ろ姿を見届けながら、職人は腕組みをした。

(恋人同士でお揃いのペンダント、今度からそれを売り文句にしてみるか……。お揃いとなれば売り上げが倍になるし、そうすると色も男用に少し色味を抑えた感じに……。お揃いのペンならそれで文のやりとりを、とかもいいかもしれんな)

 思いついたものを片っ端から羽ペンで紙切れに書き連ねていく。

(本当に礼を言うのはこちらこそだな)

 職人の顔が輝いていた。

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