第48話 願い

 雪が降りそうな寒い朝。

 見送りはいいと言われていたが、さくら達は願いの木の前で、菊花との別れを惜しんでいた。


「菊花、頑張りなさいよ!」

「菊花はとても努力家だから、適度に休憩しながらね」

「菊花の夢を、ずっと応援しているから」


 ナタリーが菊花の華奢な肩を遠慮なく叩く。ジェシカとダコタはその様子を眺めながら、気持ちを添えている。


「先輩達といると、ノワール先輩の取り巻きだと思われるので、居心地が良かったです」

「そうだろうねぇ。何せみんな、僕が目をかけた子は大切にするって決めているからね。こんなに良い子達は他にいないだろう?」


 ナタリー達も笑ってるけど、ノワールも全然気にしてないのが凄いよね。


 菊花の嫌味をさらりと受け流し、ノワールがのんびりと返事をしている。周りの状況も含め、さくらはある意味感心してしまった。


「はい。どこを探したっていませんから。最高の先輩達です。ですから、大切にしてあげて下さいね?」

「僕なりに大切にしているのはわかっているだろう? だからそこをうんと、取り入れてくれると嬉しいなぁ」

「あはは。期待していて下さいね」


 菊花の乾いた笑い声から、ノワールを参考にしたキャラは、またも女の子をはべらせるだろうなと、さくらは苦笑いしながら考える。


「いつでも遊びに来て下さいね。それに、菊花さんのお役に立てるのなら、どこへでも案内しますよ」

「ありがとうございます。また、絶対に来ます。でも、入ってはいけない場所もあるのに、いいんですか?」


 アデレード先生が菊花の質問に、柔らかく微笑みながら頷く。


「自分も付き添う。だから遠慮するな」

「それはキールくんがアデレード先生と一緒にいたいだけじゃないの?」

「むしろ、その理由しかない」


 キールの返事に、みんなの笑い声が重なる。その中でも、アデレード先生の顔は特に綻んでいた。


「自分達の設定はそのまま使うと言っていたが、どんな風に変わるのか、楽しみにしている」

「期待していて。だってわたしが制作に携わるんだから」


 恋のかたちを知りたくては菊花が考えたものだとして、タイトルもそのままに、新しいものへと生まれ変わる事が決まっている。

 だから、菊花は母と仕事をするために、彼女の願いのために、転校するのだ。


 菊花の母は乙女ゲーム業界の中でとても有名で、協力者の菊花の存在も知られていたようだ。

 始まりは親の七光だとしても、この機会は逃したくないと、菊花はみんなに話してくれた。

 だからこうして、笑顔で見送る事ができている。


「菊花先輩、わたし達の事もですよね? ライバルキャラがこんなにいたら、プレイする人が大変じゃないですか? やっぱり初めから友達とかの方がよくないですか?」

「それはね、わたしに考えがあるの。だからね、出来上がってからのお楽しみ」


 フィオナが白い息と共に不安を吐き出す。けれど、菊花には何か考えがあるようで、詳細は秘密にされている。


「あのさ! やっぱりぼくを参考にしたキャラだけは、最初からフィオナを参考にした子とくっつけておいてよ!」

「何度も言うけれど、それは無理」


 クレスは前からこの提案を伝えているが、それが実現した乙女ゲームなんて、ただの修羅場体験シミュレーションと化してしまう。気持ちはわかるのだが、さくらもこれだけは賛成できない。


「誰かのものになった獲物なんて、興味ないでしょう? 誰かのものになる前の獲物だからこそ、魅力が増すじゃない」

「イザベルの言葉は説得力がありすぎて困るんだけれど……」


 イザベルがやんわり会話に割り込むが、菊花は苦笑気味に微笑む。


「菊花がやりたいようにやればいいじゃねぇか。なんか困った事があったら、頼ってこい」

「ラウルくんからそんな言葉がもらえるなんてね。ありがとう。さらにやる気が出てきた」


 犬猿の仲かと思われた2人だが、今では立派な友人だ。それがさくらにとっても嬉しく、つられて笑顔になる。


「私達の事を誰よりも知っている菊花ちゃんなら、前以上に素敵な乙女ゲームに仕上がるよ。だからね、プレイするのがとっても楽しみ」

「アリアの言葉、絶対に忘れない。どれだけ時間がかかるかわからないけれど、待っていてね」


 菊花の手を両手で包み込み、アリアが優しく微笑む。それに応えるように、菊花は真剣に頷いている。


「あの、こんな時に言うのも何ですけど……、ボクはやっぱり白うさぎなんですか?」

「そうだけど?」


 アゼツ、そこ気にしてたんだ。


 アゼツがおずおずと尋ねた事により、何とも言えない雰囲気が漂う。


「少しだけかっこよくとか、できませんか?」

「さぁ、どうだろう? まぁ、これも任せて」


 粘るアゼツへ、菊花は何かを含む笑みを向けた。

「現実のアゼツくんがかっこいい事は、みんなも、私も知ってるからね」と、アリアの囁きが聞こえれば、アゼツは顔を赤くして胸を押さえていた。


「さくらとたくさん話をして案を練ったそうですね。だからという訳ではありませんが、私から言う事は何もありません。落ち着いたらまた、連絡を下さい」


 リオンが穏やかな眼差しを向ければ、菊花が上目遣いになる。その姿に、さくらの心臓がぎゅっと締め付けられる。


 菊花ちゃん、顔、赤い?


 やはりリオンに対して特別な感情があるのかと思えば、菊花の口から白い吐息がもれた。


「リオンくんって、攻略キャラの時の記憶、どこまで残っているの?」

「攻略キャラ、ですか?」

「そう。魂が宿る前の事、なんだけれど……」

「夏休みが終わる頃までなら覚えていますが?」


 菊花の言葉に、リオンが不思議そうに答える。いつの間にか胸の苦しさがなくなったさくらも、先が読めずに首を傾げる。


「じゃあね、になって、お別れを言ってほしいの」


 そっか。

 菊花ちゃんは、菊花ちゃんのお母さんが生み出したリオンが、好きだったんだ。


 菊花がその気持ちに区切りをつけようとしているのがわかり、さくらの胸が痛む。

 けれど、リオンは見てわかる程うろたえた。


「今、ここで?」

「今、ここで」


 どうしたんだろ?


 何か問題でもあるのかと思えば、周りが囃し立てる。


「久々に見たいなぁ」

「そういや、昔のリオンって今と全然違うよね!」

「演じるつもりでやればいい」

「そうだぞ。やってやれよ」


 ノワールはにやつく口元を手で隠し、クレスはパン! と手を鳴らす。キールは菊花をちらりと見て、促す。ラウルはあからさまに笑いを堪えていた。


「他人事だと思って……」


 それぞれの反応に、リオンが恨めしそうに呟く。けれど大きくため息をつけば、前髪をかき分け、ネクタイを緩めた。


「出会った時の、最初の台詞を言わせていただきます」


 薄っすら頬を染めたリオンが、色気を振りまくように微笑む。その姿に、さくらは目を奪われた。


「お怪我はありませんか? 麗しの姫君。私の不注意であなたの心を奪ってしまった事は、お詫び致します。けれど、それ以上の事は望まないでほしい。私にはもう、心に決めた人がいるのですから」


 あっ!

 ゲーム開始早々、私がリオンとぶつかった時に言われた言葉だ!

 最初しか言われなかったけど、続きがあったんだ。


 いつもとは違う雰囲気のリオンにどきどきしながらも、彼との懐かしい思い出が蘇る。


「わかりました。お幸せに」


 微かに震えた声を出して、菊花が泣きそうな顔で笑う。その姿に、さくらの胸が痛みを訴えてくる。


「ありがとう、リオンくん」

「少しは、お役に立てましたか?」

「充分すぎるほど。ほら、さくらちゃんの顔、見てみて? 赤くなってて可愛い」

「へっ!?」


 菊花がリオンへお礼を言えば、彼女の顔はもう元に戻っていた。しかしいきなり話を振られ、さくらはどきりとする。


「さくらは先程の私の方が好みなのですか?」

「そういうんじゃなくて、普段とは違った雰囲気にどきどきした……って、今それは関係ないよね!」

「なるほど。たまにはいいのかもしれないですね」


 リオンが不安そうな顔で見てくるので、思わず本心を伝えた。しかし、ここにはみんながいた事を思い出し、さくらは正気に戻って話を終わらせた。

 リオンがぶつぶつと何か言っているが、さくらは菊花と向き合う事を優先する。


「さくらちゃんもだけれど、スタッフクレジットにはみんなの名前も絶対に載せるから」

「それだけどさ、本当にいいの?」

「だってね、恋のかたちが知りたくてをまた作ろうって思えたのは、さくらちゃん達に出逢えたから。それにね、これからもたくさん、意見を聞かせてもらうから。覚悟してね?」

「うん!」


 寂しくないと言えば嘘になるが、ここで終わりではない。今からがまた、始まりなのだ。

 だから菊花の手を取り、未だ花の咲かない願いの木のもとまで連れて行く。


「みんな、願いの木に触れてくれる?」


 こうして送り出したかったんだよね。


 みんなには事前に伝えてある。菊花にだけは秘密だ。


「何をするの?」

「それはね――」


 菊花の質問に、さくらは答えで応える。

 同時に、みんなの息を吸う音が聞こえた。


「菊花ちゃんの願いが叶いますように!」


 みんなもそれぞれの呼び方で菊花の名を口にし、さくらと同じ言葉を重ねる。

 すると、菊花の見開かれた瞳に、涙がたまり始めた。


「ありがとう、みんな。それならわたしだって、祈る。これからのみんなの願いが叶いますように」


 菊花が言い切ると同時に、ぽたりと、彼女の涙が落ちた。

 するとじんわりと、願いの木が熱を帯びた。


「これは……!」


 いち早く反応したアゼツが願いの木から離れ、目線を上げている。


「どうしたの……、え?」


 何が起きたのかと思えば、さくらの目の前前を、透けるような黄色の桜の花びらが舞っていく。それを追いかければ、だんだんと白くなり、最後には薄ピンク色へと変化した。


「咲いた、の?」


 菊花の呟きが、花吹雪に飲み込まれていく。


「きっと、神様からの応援だよ」


 そうとしか思えない。

 私達の事、ちゃんと見守ってくれてるんだ。


 自分達はこれからも、迷い、立ち止まり、過去に囚われる事があるのかもしれない。

 けれど、こうして見守ってくれる存在がいる。どんなに遠く離れても、それは変わらない。


「この花びら、持っていくね」

「私も、持っておく」

「それじゃ、そろそろ行くね」

「うん。またね」


 菊花との関係も同じだ。

 だから、これから先も大切な友人のままの彼女へ、さくらは再会の挨拶を送る。


「またね」


 穏やかに笑う菊花も同じ言葉を残して、歩き出した。


 ***


 落ち着け、さくら。

 準備はいい?


 時刻は10時過ぎ。太陽の柔らかい光が、さくらの他に誰もいない部屋を照らす。

 それでも、さくらはきょろきょろと周りを見回す。不自然な影がない事を確認し、ベッドに寝そべる。

 そして、乙女ゲームの世界へダイブした。


 待ちに待った本命の告白シーン。

 どきどきしてきた!


 菊花から関係者へと先行で送られた『恋のかたちを知りたくて』を、大切にプレイしてきた。

 やはり、攻略は難しかった。けれど、心地よい難易度だ。それはもちろん、菊花の努力の賜物なのだが。


 リオンを参考にしたキャラ、ゲームの中でもかっこいいんだよね。


 名前や姿は違えど、やはりリオンの特徴が伝わり、どうしても現実の彼と重ねてしまう。こんな風にゲームをする日が来るなんて、考えられなかった。


『あなたの温かい言葉を、私にだけ向けてほしい』


 これって!!


 現実の世界でリオンから告白された時の言葉と似ており、思わず「リオン……」と呼んでしまう。


 まずいっ!!


「私の可愛らしい伴侶は、今誰を見て名前を呼んだのでしょうか?」

「ぎゃあ!!」


 ゲームから強制帰還させられれば、さくらの目の前で不機嫌なリオンが微笑んでいた。緋色の瞳に宿る光は強く、身体が反応して熱くなる。


「不用意に名前を呼ばないよう、お願いしていますよね?」

「ででで、でも、でもね、今日は、リオンを参考にしたキャラの告白――」


 最後まで言えなかったさくらの口は、大切な人に優しく塞がれてしまった。


 今のさくらの両耳には、リオンから贈られた証がある。もう強く握らなくても、名前を呼ぶだけで来てくれる。

 それだけ、名前には特別な力があり、名を呼ばれた時、さくらの状況も視えるそうだ。だからこそ、来たのだろう。


 リオンはずっと、ゲームのキャラにやきもちを焼いているのだ。


「まっ、待って!!」

「待てません。このように誘うのが、さくらの趣味なのでしょう?」


 すっごい怒ってる!!


 あまりにも夢中で恋のかたちを知りたくてをプレイした結果、リオンが我慢の限界を迎えてしまった。

 ゲームをするなら一緒に。そんな条件を出されたのはさくらのせいなので、素直に従ってきた。

 けれど告白シーンは1人で楽しみたくて、そわそわしながら今日という日を迎えたのだ。

 セーブもしなければ気付かれる事もない。そんな甘い考えを抱いた自分を責める。


「今日は私の気が済むまで、さくらの全てを堪能させていただきますね」

「――っ!!」


 それはさくらが動けなくなるまで愛される事を意味しており、回避する方法を必死で考える。


「し、仕事は!?」

「実はですね、今日は有給を取っているのです」

「なんで!?」

「さくらがあまりにも恋する顔を隠さないので、さくらの影を通していつゲームをしようとしているのか、探らせていただきました」


 私の!?


 まさか自分の影を利用されるとは思わず、何も言葉が出てこない。

 遅かれ早かれ、さくらには同じ運命が待っていた事にも気付いてしまったから。


「さくらの恋する顔は、私だけのものです。それを今日はたっぷりと、覚えてもらいますね」


 手加減してと言おうとすれば、先程とは比べ物にならないぐらい深い口付けをされる。


 私の恋のかたちは、ずっとリオンだけのかたちをしてるのに。

 それでも、こうして新しいリオンを知って、また私達の恋のかたちは変わっていく。

 変わらないものと変わるものが同時に存在するなんて、思ってもみなかった。

 だけどこれからも、そういう不思議で温かなかたちを、リオンと一緒に見つけていくんだ。


 さくらはリオンの愛に溺れそうになりながらも、彼への恋を再確認する。

 そして、今でもときめきを与えてくれる最愛の人へ、さくらは身を任せた。

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