第46話 望む世界の始まりとアデレードの変化
嵐が過ぎ去り、雲の隙間から月が覗く。
けれど地上へ届く光は、心もとなくも思えた。
その中で、さくらは菊花の元へ辿り着く。
「今度はさ、菊花ちゃんが最初にプレイしてね。クリアもね」
「もちろん。それは任せて」
「よかった。それにさ、今なら前の恋のかたちを知りたくての、人気なかった部分も工夫できると思うし!」
「人気がなかった、じゃなくて、プレイした人の見る目がなかっただけ、じゃない」
ん?
ここにきて、菊花が自身の母が作ったゲームに盲目的な意見を口にする。けれどこの違和感は前にも感じたものなので、さくらは思わず意見する。
「はっきり言うけど、それは違うよ?」
「はぁ? どういう事?」
先程までは穏やかだった空気が、張り詰めた。
だからか、周りが騒つく。心なしか、辺りが暗くなったようにも思えた。
「まずさ、攻略キャラに好きな人がいるからって、ずっと冷たい態度だけ取られたら、好感度を高くする前に心折れるから」
「でもその方が、乙女ゲーをやり慣れてる人にとって、攻略してやるって気持ちになるでしょ?」
「ならないよ」
融合前の世界で、さくらが美咲から教えてもらった問題点を伝えれば、菊花が得意げな顔をした。
だからさくらは、そんな彼女の考えをばっさり切り捨てる。
すると、菊花が短く呻いた。
「それなのにさ、好感度を上げられなかったら、夏休み後に攻略キャラと全く会えなくなるなんて、おかしいよね?」
「それはね、現実の世界を反映させたから。ほら、タイミングが合わなくて疎遠になるなんて、よくある事じゃない」
「言いたい事はわかるんだけど、乙女ゲーをしたい人って、そこまでのリアルさを望んでないと思うよ? だってさ、恋愛を楽しみたいのに攻略キャラがいないなんて、そのあとゲームで何したらいいのかわかんないよ」
またも、菊花が言葉に詰まった。だから、さくらは前の悲劇が繰り返されないように、とどめを刺す。
「今のままじゃまた、新しい恋のかたちを知りたくても消えちゃう。私にとってもこの乙女ゲーは特別だから、はっきり言うね。もっとプレイする人の気持ちになって、作ってほしい」
今度こそ、たくさんの人に楽しんでもらえる乙女ゲーになりますように。
そんな想いを込めて、さくらは菊花を見つめた。
すると、彼女はこちらを睨んだ。
「そこまで言われたら、わたしだって黙っていられない。さくらちゃんがのめり込むぐらい、プレイした人みんなから愛される乙女ゲーを、母と一緒に作ってみせるから」
その宣言と共に、カチチッと、聞こえないはずの葉音がした。
「凄いな。もう、成長したのか。それだけたくさんの想いを叶えているのだろうね、この願いの木は。前は桜の花を咲かせていたけれど、次はどんな花が咲くのだろうね」
月が出たのに薄暗いと思ってたら、願いの木が遮ってたんだ。
青く透き通る大きな木は、囁くように葉音を奏でる。そして、つぼみと思われるものも、少しばかり確認できた。
他のみんなは気付いていたのだろう。それぞれが声を上げている。
ノワールは新しい願いの木を見上げて、眩しそうに微笑んでいた。
その口が、とんでもない事を告げてきた。
「それにしても、残念だったな。前の世界に戻れるのなら、戻りたかったな」
「ノワールは、この世界が嫌いなの?」
「違うよ」
ノワールがこの世界に不満があった事を気付けず、さくらは動揺する。
すると、ノワールは可笑そうに目を細めた。
「前の世界に戻ったら、今度こそ、さくらに伝えるべき言葉を間違えないのになって、思ってね。そうすれば、リオンなんかに奪われる事もなかったのに」
「それは聞き捨てなりません」
いきなりリオンが会話に割り込んできたが、ノワールはわかっていたかのように、声を出して笑った。
「たとえばだよ、たとえば。それにね、さくらは何度だって、同じ選択をするだろう。だからさ、本当にこの世界が消えてしまっても、大丈夫だとも思っていたんだ。さくらならまた、僕らを導いてくれると信じていたから」
ノワールの琥珀色の瞳が、さくらへ向けられる。その穏やかさに、彼の言葉の意味に、胸がいっぱいになる。
けれどリオンは険しい顔のまま、ノワールへ詰め寄った。
「そのように、綺麗にまとめたのは素晴らしい事だと思いますが、確認したい事があります」
「何かな?」
「さくらをゲームの世界に閉じ込めようとしたとは、どういう事ですか?」
「……それは、聞かないのがお約束ってものじゃないのかな?」
分が悪くなったようで、ノワールがリオンから視線を外す。そんな余裕のない彼が珍しく、さくらと菊花は顔を見合わせ、笑った。
***
願いの木が復活した事に、皆の無事に、菊花の心からの笑顔に、明るい笑い声が響く。
けれどそろそろ、自室へ戻る時間だ。まだ話し足りなそうにする皆を『続きはそれぞれの談話室で』とやんわり説得し、アデレードはその背中を見送る。
その中で1人、キールだけが残った。
「話とは、何だ?」
先程、頑なに頭を下げ続けるキールへ、アデレードは『あとで話があります』とだけ告げていた。今の彼の顔は、謝罪していた時と同じ。
まずはそれを解決しようと、アデレードは微笑みを浮かべる。
「何かをわかってしまう事は、時に辛いものですね。けれど、それに救われる者もいるのですよ」
「あれが、救いになったのか?」
「どうぞ、私の音を聴いてみて下さい」
きっと、私とノワールくんの不安は、同じような音をしていたのでしょう。
だからこそ、ノワールくんの行動を止められず、歯痒かったでしょうね。
優しすぎるキールが怒るのも無理はなく、けれどその事で、アデレードの心が軽くなったのも事実だ。
「……自分には、ノワールのように、考える事ができなかった。だから、託してしまったのもある。それを、怒りに任せてノワールを責めた。何より、アデレードをぞんざいに扱われた気がして、許せなかった。そんな事は、あいつにはお見通しだったに違いない」
ふわりと、キールのプラチナブロンドの髪が風にさらわれ広がる。宝石のような碧眼を細め、苦悩を吐露する姿は悪魔には見えない。
そんな彼の真っ直ぐさが、いつもアデレードの心を救ってくれている。
「そのようにキールくんが感じ、動いてくれた事で、私は救われています。どうですか? 嘘は言っていないかと思いますが」
「……あぁ。音で、わかる」
キールの場合はクレスと違い、力の使用時に特殊な変化はない。
けれど、安堵が混じる表情が全てを物語っている。それでも、彼は自分を責めるのだろうが、少しでもその負担が軽く慣ればいいと、切に願う。
「今回は心配をお掛けしました」
「どうしてそんなに幸せそうなんだ?」
この話は終わりだとして、アデレードは歩き出そうとしていた。
けれどそれを、キールの声が止める。
「ふふ。それはこうして、変わらずにキールくんと話ができているからですよ」
私達は皆、恋のかたちを教えるために作られた存在だった。
けれど意思を持ち、共に過ごし、またこうして穏やかな日常へと戻っていく。
これ程幸せな事なんて、ないでしょう。
1人ではこんなに満たされた気持ちにはならない。だからこそ、アデレードはここにいる全ての生徒を愛している。
依存と言われればそれまでだが、それでも、教師というものは教える事以上に、素晴らしい事を学び続けられる生業である。
今回のさくら達からも、目の前で首を傾げるキールからも、とてもたくさんの事を教えられた。
「話すだけで幸せなら、いつまでも話す」
「その気持ちだけ、いただきますね」
キールらしい発言に、笑みがこぼれる。ここでアデレードがそうしてほしいと言えば、彼は本当に実行するだろう。
「なぁ。アデレードは、恋をしないのか?」
「いきなりどうしたのですか?」
「共に過ごすみんなが恋をしているから、アデレードも誰かに恋をするのかと、気になった」
「私からそのような音がしましたか?」
「いや……」
気まずそうに目を逸らすキールを愛おしいとは思う。
けれど、恋という淡い感情は、とうの昔に置いてきてしまった。
今感じられるのは自身の恋のかたちではなく、親愛しかない。
「私に恋は無縁かと。見た目と違い、年齢を重ねていますので」
「年齢なんて関係ないだろう? 女性はいつまでも女性のままだ」
「そのような言葉は、一生を共にしたい相手に伝えるべきですよ」
何故キールはこんなにも必死なのだろうか? アデレードがそう疑問に思えば、彼の眼差しが熱を帯びた。
「アデレードがどう思おうが、自分の気持ちがはっきりした。自身の水晶を利用するなどと、そんな危険な事を平気でやってのけるアデレードが心配でたまらない。だから、そばにいる。この学園の生徒でなくなっても、だ」
このように、誰かに気にかけてもらえる。
それだけで充分なのですが……。
不思議と、並んで歩く姿を想像してしまう。
それはとても穏やかな光景で、ずっと昔に諦めていたものだ。
だからだろう。胸が痛むのは。
「今、私の中に、恋のかたちはありません。あるのは、たくさんの可能性を秘めたあなた達に対する、親愛のみ。それでも、いいのですか?」
「それはもう、わかっていた事だ。だからただ、そばにいさせてくれ」
切なそうに目を細めるキールの言葉が、アデレードの心を僅かに震わす。
どんな形にも当てはまらない関係。本当なら、拒むべきなのだろう。けれど、アデレードは微笑みで応える。
「ならば、今まで通り、過ごしていきましょう」
「もう少しだけ、時間を増やす」
「お好きにどうぞ」
「そうさせてもらう」
変わらぬ日常が愛おしい。けれど、これから緩やかに変化していく日々にも、アデレードは思いを馳せずにはいられなかった。
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