第45話 消える事のない想い

 嵐の夜。光に包まれ、音が消えた。

 そして、さくらは体が浮く程の風に吹き飛ばされそうになった。

 しかし、アゼツが手を握り、リオンがさくらを抱き締め、この場に留めてくれる。


 視力が戻れば、根だけを残した願いの木が姿を現す。


 何が起きたの?

 みんなは?

 ノワールは?


 さくらが周りを確認すれば、ノワールとキールを除くみんなが、いつの間にか菊花の元に集まっていた。ラウルとイザベルもあちらへ動いたようで、無事を確認できた。


「まさか、君が動くなんてね」


 上空からノワールの声がすれば、キールが闇よりも黒い翼をはためかせ、下降する。2人が地へ足をつけた瞬間、キールは彼の手を離し、ノワールの胸ぐらを掴んだ。


「お前が持っているものは、アデレードそのものだ。返してもらう」


 普段、あまり感情を見せないキールの怒りがはっきりと伝わる。そんな彼へ、ノワールは挑発するように微笑んだ。


「だから、利用させてもらったんだ。それをわかっていて止められなかった君も、同罪だよ?」

「……何とでも言え」


 ノワールから受け取った遺恨の水晶を、キールがゆっくりと手のひらに包み込んだ。

 そして、アデレード先生の方へと向かった。


「何もできずに、すまなかった」

「……いいえ。こうして私の元まで届けてくれました。ありがとうございます」


 キールが謝る必要はどこにもない。それをアデレード先生もわかっているだろう。だから、穏やかな表情でお礼を伝えている。

 けれど、キールは頭を上げない。すると、アデレード先生が何かを囁いていた。


「……わかった」


 すぐに顔を上げたキールが眉間にしわを寄せたまま、アデレード先生から離れた。


「さて。これで菊花の答えがわかったね。君は、どうしたいの?」


 まるで何もなかったかのように振る舞うノワールだが、彼があのように行動した理由はあとでいくらでも聞ける。みんなも無事だ。だからさくらも、菊花を優先した。


「わたしは……、消えてほしくない」


 嵐は今の光で消えてしまったのか、とても静かだ。その中で、菊花の声だけがはっきりと聞こえる。


「ゲームも、今の母も、わたしを守ってくれて、説得してくれた、みんなも。だから、決めた。この世界で、生きていく」


 菊花の目に溜まっていた涙が、流れる。けれどその瞳はもう、影すら感じない程、輝いて見えた。


「この世界を消そうとしたりクレスくんを誘惑したのは今でも許せないですけど、菊花先輩が消えるのは望んでないですから」

「「誘惑?」」


 菊花の腕をしっかりと掴んでいたフィオナが、そっぽを向いて話し出した。その言葉に、菊花とクレスの声が重なる。


「だって、その、クレスくんの事、よくわかってるって、自慢してましたよね?」


 じろじろと菊花を眺めるフィオナへ、彼女は涙を拭いて笑った。


「あれはね、攻略。クレスくんもだけれど、みんなの設定上の性格は把握しているから、喜んでもらえる言葉を知っていただけ。まぁ、だいぶ違くて、大変だったけれど」

「それでも、クレスくんが嬉しそうで、嫌でした」

「なんかさ、ぼくの事も怒ってるよね?」

「これからは気を付けるから」


 菊花からの言葉に、フィオナが彼女とクレスを交互に見る。そして、頬を膨らませた。

 それにクレスは焦ったようで、天使の輪が輝きを増す。けれども、菊花は楽しそうに微笑んでいた。


「あのさ、そろそろ大丈夫だから」


 穏やかな空気に、さくらも気が抜ける。それなのにリオンが離してくれず、先程から背伸びをして、彼の向こう側の様子を見ていた。


「このままでもいいのですよ?」

「よくないから!」

「よくないです!」


 首を傾げたリオンに、さくらとアゼツの声が重なる。

 するとリオンは名残惜しそうに、ゆっくりと腕を解いた。そして、ノワールへと体を向けた。


「それでは、納得のいく理由を、お聞かせ下さい」


 この場にそぐわないリオンの低い声に、みんなが静まる。


「僕はずっと、願いの木が消えてしまったらこの世界はどうなるのか、気になっていたんだ」


 ノワールの声を聞きながら、さくらは無惨な姿になってしまった願いの木へ目を向ける。もう、不思議な葉音は聞こえない。

 けれど、先程よりも存在感が増したように、さくらには感じられた。


「願いの木が叶えた世界だから存在している。それは、願いの木がなくなればこの世界が消える。そう、読み取れるじゃないか。そんな不安に振り回され続けるなんて、生きた心地がしないだろう?」


 ノワールはいつも自分だけじゃなくて、みんなの事を考えて動いているんだ。

 これからもずっと一緒に生きていく相手だって、みんなの事を認めているからだろうな。


 ノワールはたくさんの可能性を考え続ける人なのだろう。だからさくらはノワールの言葉に、自分なりの答えを見つけた。


「だから試したんだ。それにアデレード先生のものなら、酷い事にはならないと思ってね」

「それでも、やりすぎだとは思わなかったのですか?」


 あまりにも軽く話しているからか、ノワールに対して咎めるようにリオンが問いかける。


「……これから言う言葉は僕らしくないのだけれど、伝えておこうか」


 急にノワールが真剣な顔になり、リオンに強い眼差しを向けた。


「僕らが命を賭けて救ったさくらが願った世界だ。だから最後に、同じ願いを抱けたんだ。そんな僕らの想いが宿るこの世界が、簡単に消えたりなんてするはずがない。それを証明したかった」


 そんな風に、考えてくれていたんだ。


 ノワールは本心をさらけ出す事をあまりしない。ましてや、こんな大勢の前で。

 だからこそ、ノワールがみんなへ伝えたかった事が、心に染みる。


「ですが、万が一の事があれば、大変な事になっていました」

「そうかな? 一応、神様って奴がヒントをくれていたようにも思うけれど。アデレード先生もよく使う願いの木の説明がさ、文献にも記されていたんだ。『ここに生きる全ての者の想いを叶え続けるように、咲き誇っている』って」


 リオンの戸惑いを含む声に、ノワールの態度が戻る。そして、僅かに微笑んだ。


「この願いの木は、この世界に生きる人々のものだ。だからね、本当にこの世界を消すのなら、この世界に生きる人の想いを消さなければならない。そんな事は無理だろう? 記憶がなくなっても、想いは残るものだ。それに命が終わったとしても、同じように想いは誰かの中に残っている。そうは思わないかな?」


 ノワールの言葉が心の中にゆっくりと広がる。さくらにはもう、十分納得できる理由だった。


「しかし、誰にも相談しないのは……」

「ここにいるみんなは素直すぎるからね。隠し事なんて出来ないだろう? それじゃ、菊花の本心が見えなかったはずだよ。なんて、それらしい理由を並べたけれど、僕のやり方が強引なのは理解しているよ」


 リオンの声に呆れが混ざる。それに気付いたのか、ノワールが意地の悪い笑みを浮かべた。


「アゼツもアデレード先生の水晶は大丈夫だって言ってたし、ノワールの言っている事に気付いてたの?」


 思えば、大変な事があると騒ぎ立てるアゼツが、ずっと冷静だった。だからさくらは尋ねたのだが、アゼツは首を横に振った。


「以前感じたのは、渦巻くような何かでした。けれどアデレード先生のものには、静かに、でも力強く存在するものも感じられました。だからそれを願いの木が受け取れば、世界は滅ばないのをわかっていたので」

「力強く存在するもの?」

「なんて言えばいいんでしょうかね……。ほら、パンドラの箱みたいなものです」


 パンドラの箱?


 さくらが思わず首を捻れば、また静かな時間が訪れた。アゼツの話を聞いているのはさくらだけではなく、他のみんなもだったようだ。


「人の心はパンドラの箱のようだと、ボクは思うのです。あらゆる恐ろしいものを秘めつつも、希望は決して消えない。それが、アデレード先生の遺恨の水晶からも感じられました。他のものは、今まで蓄積した希望のみを持ち主に渡す代わりに、犠牲になった時の無念と魔力も閉じ込めたのでしょう。それが、魔女の想いを蓄積する救済の水晶と言われる由縁です」


 さくらが気になっていた救済の水晶の正体を、アゼツに教えられる。すると、菊花が息を呑む音が聞こえた。


「それは、この世界になってからの、設定?」

「いえ。ゲームの時からです」

「そう……。やっぱり、母から聞いていた設定だけじゃないのね。製品版をプレイしていないから、わたしの知らない事も、あるのね」


 アゼツの答えに、寂しげな顔で菊花は目を伏せた。そんな彼女を眺めていたら、さくらの体は動き出していた。

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