第42話 遺恨の水晶

 アゼツも怖いはずなのに、凄く頼もしいよ!


 おばけが苦手なアゼツがここまで頑張ってくれるとは思わず、さくらは場違いながらも感動していた。

 そんな彼が必死にさくらと菊花を導いてくれる。


 黒い人影は実体がないようで、すり抜けた。その瞬間に氷を服の中に入れられたような悪寒が走るが、台座はもう手の届く範囲だ。


 着いた!


 さくらは躊躇する事なく、水を張った台座に手を突っ込む。隣からは、アゼツの息切れが聞こえる。


「とっ――」


 指先に石が触れ、取ったと言おうとした。けれど、動くのは1つだけ。


「これしか取れない!!」

「「えっ!?」」


 1番上にあった黒い水晶だけを握り締め、さくらは泣きそうになりながら叫ぶ。


「他は固まってるみたいに動かない。何で……?」


 そこまでさくらが言えば、黒い人影がぐにゃりと崩れた。それらがゆっくりと集まり始める。


『返せ……』

「ま、待って、もう、無理……」


 目を開けてしまった菊花の声が、震え出す。

 その瞬間、アゼツが叫んだ。


「願いの木へ!!」


 ぶわりと、熱風を感じる。

 同時に、左手が下へ引っ張られた。


「や、やりました……」

「外だぁ……」


 アゼツが座り込み、菊花もぺたんと地面へ腰を下ろす。

 風が強く吹き始めたようで、願いの木が忙しなく葉音を立て、桜の花を散らしている。


「これしか、持ってこれなかった……」


 恐ろしい声のしなくなった、闇を固めたような遺恨の水晶を、さくらは握り締める。

 すると、よろよろと菊花が立ち上がった。


「……大丈夫。今は、1つで十分」


 菊花の囁きが、風にさらわれていく。


「さくらちゃん、それを願いの木に」


 先程よりもしっかりとした顔付きに戻った菊花の声に背中を押され、さくらはアゼツの手を離し、一歩踏み出す。

 これが成功すれば、あとはアデレード先生に事情を話して、他の遺恨の水晶も運べばいいだけ。

 それに気付けたのだが、風が強く、思ったよりも進めなかった。


「そういえば、遺恨の水晶を願いの木まで持ってくるだけと聞いていましたが、そのあとはどうするんですか?」


 この場が和むようなアゼツの質問に、さくらは違和感を覚える。


 あれ?

 そこまでしか、アゼツには話してなかったっけ?


 アゼツに協力を仰いだ日、説明したとばかり思っていた。


「あのね、遺恨の水晶をぶつければいいんだって!」


 そう言って、またさくらは一歩進む。しかし、願いの木から押し返すような風が来る。


 何か、変だ。


 先程からの風は嵐のものではないのかと思えば、アゼツの声が耳に届いた。


「ぶつける? それは……、えーっと……」


 アゼツが悩みながらも立ち上がる姿を見ていれば、まだ青白い顔をしている菊花が、こちらへ向かって歩いてくる。


「あれ? ボクの勘違いですかね? 願いの木に浄化を願うのかと思っていたのですが、それをしないでぶつけて平気なのでしょうか? だって遺恨の水晶をそのままぶつけたら、その想いに願いの木が反応して――」


 え?


 アゼツの言葉の意味を、さくらの頭が拒絶する。

 けれど、事実を突きつけるように、続きがさくらの耳に流れ込む。


「世界が滅んでしまうかもしれません」


 滅ぶ?


 それならば、今のさくらがバッドエンドへ導く存在なのでは? と、最悪な答えに辿り着く。

 次の瞬間、菊花に遺恨の水晶を奪われていた。


「なんだ。アゼツくん、ちゃんと覚えているじゃない」


 遊んでいるかのような楽しげな菊花の手を追いかけるが、不思議な風に阻まれる。


「菊花ちゃん、それ、返して」

「あれ? やっぱりさくらちゃんが自分の手で終わらせてくれるの?」

「違う! その水晶、ここに持ってきた時から、おかしい。だから、元の場所に戻そう?」


 笑う菊花の目は、さくらを冷たく見下している。

 彼女の怒りは収まるどころか、膨れ上がり続けていたのだろう。もしくは、もう戻れないぐらい、溢れていたのかもしれない。

 だけど、説得するしかない。

 これ程追い詰めてしまったのは、さくらなのだから。


「戻したところで、戻らないじゃない。こんな世界に、もう、用はないの。だからね、終わりにする。そうしたら、前の、わたしが生きていた世界に戻るから。さくらちゃんもそう思うでしょ?」


 光を失った黒い菊花の瞳が、さくらを見つめる。


「ゲームの世界と融合したこんな世界は、リセット。1番お似合いの終わり方じゃない?」


 口角だけを上げて笑う菊花が、願いの木へ視線を移した。

 けれどさくらは両手を広げ、行手を阻む。


「ここはもう、ゲームの世界じゃない。リセットなんて、できないよ。それに、リセットなんてしても、元に戻るかわかんない――」

「戻るの」


 言い切る菊花が、自分を押し退けるように動く。その隙に、さくらは遺恨の水晶へ手を伸ばす。けれど、触れられないように風が巻き起こる。


 この水晶、自分の身を自分で守ってる?


 先程、願いの木から風を感じたと思ったが、違うようだ。さくらが考えている事が正解ならば、遺恨の水晶は願いの木を拒んでいる事になる。

 なら、どうして菊花はさくらの手から簡単に奪う事が出来たのか?

 その疑問に辿り着いた時、彼女はさくらの手首をぎりっと掴んできた。

 

「さくらちゃんはさ、戻るのが怖いだけでしょ?」

「戻るのは怖くない。みんながいなくなる方が、怖いよ。もちろん、菊花ちゃんも」


 何の表情も浮かんでいなかった菊花が、さくらの本心を聞いて、形相を変えた。


「じゃあ戻った時にでも、また出会い直せばいいんじゃない? 記憶があるかは、わからないけれど」


 菊花に憎しみのこもる目を向けられ、吐き捨てられる。彼女はきっと、さくらに2度と会いたくないのだろう。それを理解してしまい、言葉に詰まる。


「それじゃ、さよなら」


 さくらの手首を投げ捨てるように離し、菊花が別れの言葉を告げる。そして、願いの木へ歩き出そうとする。

 そこに、ずっと黙っていたアゼツが割り込む。


「菊花さんのやろうとしている事は、終わらせるだけのものです。戻るかどうかは、神様が決める事です。だからそんな馬鹿げた真似は、もうやめて下さい」

「……馬鹿げた?」


 アゼツはいつも通り、淡々と説明しているだけ。けれど、菊花は苛立ちを見せる。


「わたしには記憶が残っているの。それは神様が認めてくれた存在って意味でもあるでしょ? だからわたしが決めた事は、馬鹿げてなんかいないっ!!」


 後退した菊花は怒りを隠す事なく、怒鳴る。そんな彼女からアゼツが遺恨の水晶を奪おうとするが、どうやらさくらと同じく風に阻まれたようだった。


「触らないで!! 神様に近かった存在が触ったら、救済の水晶に戻るかもしれない。それじゃ、意味がない……」


 救済の水晶?


 さくらの知らない単語が菊花の口から飛び出したが、アゼツに遺恨の水晶を任せなかった理由がはっきりした。

 これは隠しておいた真実なのだろうが、追い詰められた菊花は話した事すら気付いていなさそうだ。

 だから彼女を落ち着かせるために、さくらはゆっくりと声をかけた。


「菊花ちゃんの言う通り、菊花ちゃんの記憶が残っているのは、絶対に意味がある。だからそれを、一緒に考えてみよう?」

「そういうの、やめて」


 菊花との距離を縮めたくて、一歩、踏み出す。

 けれど彼女は、三歩、後ずさる。


「やめない。菊花ちゃんの記憶が消えない程の強い想いも、叶えたい願いも、全部知りたい。大切な友達だから、力になりたい」


 菊花が少しでも話を聞いてくれるように、さくらは足を止めて彼女だけを見つめる。

 風は先程よりも穏やかになったが、菊花は泣くのを堪えたような顔をしている。


「それが、菊花ちゃんの大切な世界を変えてしまった私の、今の願いだよ」


 全員が幸せになる。

 それだけを考えて、ゲームでの日々を過ごした。

 その結果、菊花ちゃんの幸せを奪う事になるなんて、あの時の私は知らなかった。

 それでも、恨まれ続けていいから、菊花ちゃんにも幸せになってほしい。

 これが私の独りよがりだったとしても、菊花ちゃんだけが苦しむ世界なんて、嫌だ!!


 強く、誓いのような願いが生まれる。

 そんなさくらを、彼女は泣き笑いのような顔で見ていた。


「今さら、遅いよ……」

「遅くなんて――」

「遅い。全部、遅すぎた。だって、さくらちゃんが、クリアしちゃったから」


 ぽつりぽつりと呟く菊花にさくらが反応すれば、彼女は言葉を遮り、話し続ける。


「もう、母が作った、恋のかたちを知りたくては、消えちゃったから」


 掠れる声を出す菊花は、笑っていた。そうしなければ、彼女は立っていられないのだろう。

 だからさくらは理解した。

 菊花の願いは、彼女の母が創り上げた恋のかたちを知りたくてを、消さない事だと。


「さっきは、1人じゃないって言ってくれて、ありがとう。でも……」


 貼り付けたような笑みを消して、菊花がさくらを見据える。


「やっぱり、さくらちゃんを許す事はできない」


 強い意思が戻ったような菊花の黒い瞳が、細まる。

 それでも、さくらは見つめ返す。


「許さなくていい。だからね、この世界でもう1度、恋のかたちを知りたくてを、作らない?」

「……何、言ってるの?」


 これが最善策ではないかと、さくらは伝える。その言葉に驚いたのか、菊花の目は徐々に見開かれていく。


「菊花ちゃんのお母さんは、まだ乙女ゲームを生み出しているんだよね? だったらまた、恋のかたちを知りたくてを作ってもらおうよ!」


 さくらが再度口にすれば、菊花が射抜くような眼差しを向けてきた。


「そんなの、前の世界の母が作ったものとは、別物じゃない。それじゃ意味がないって、わからないの!?」


 菊花が怒りに任せたように、遺恨の水晶を振り上げた。それに反応したのか、アゼツがさくらの手を引く。


「ごめんなさい! だけど、それを投げたって何も解決しない!」


 無言でさくらの手を握り続けるアゼツは、光る金の目を菊花へ向けている。

 けれど、さくらは必死に菊花へ近付こうと足掻く。


「期待したわたしが馬鹿だった。それじゃ、本当に、さよなら」


 ただ笑って手を振るように、菊花が遺恨の水晶を持つ手に勢いをつける。


「あぁ、そっか。さくらちゃんが世界を戻したくない理由は、みんながゲームのキャラに戻る事だけじゃないのか」


 今ならまだ間に合う!


 一瞬空を見つめた菊花へ、さくらは駆け出そうとした。けれどもアゼツに掴まれた手がびくともしない。

 そこに、菊花の冷ややかな声が届く。


「でも、大丈夫。さくらちゃんの手術はまた成功するんじゃない?」


 その言葉に、未来に希望がなかった自分を思い出し、さくらは動きを止める。


「今がそんなに元気なら、どうせ、大した病気でもなかったんだろうし」


 酷い言葉なのだろう。でも、それを言った菊花が、とても傷付いた顔をした。

 だから、さくらは笑みを作る。


「そうだよ。私の病気なんて、大した事ない。私はみんなと、菊花ちゃんと出逢えるなら、何度だって乗り越えてみせる」


 その言葉がきっかけとなったように、菊花が顔を歪め、遺恨の水晶を投げようとする。


「待って!!」


 もう自分では間に合わないと、さくらは諦めそうになる。


 違う。

 まだ出来る事があるでしょ!?


 そんな自分に喝を入れ、さくらはこの状況を変えてくれるであろう、大切な人からもらった証を強く握る。


 リオン、気付いて!!


 右耳が熱を帯びる。

 すると、アゼツの静かな声がした。


「あの遺恨の水晶は大丈夫です」


 次の瞬間、さくらの前に影が揺らめく。


「遅くなりました」


 さくらを庇うようにリオンが降り立つ。


「ずっと近くにいたけどな!」

「こんなに心臓に悪い事は、2度としたくないわね」


 続いて、ラウルとイザベルが両脇に着地した。

 そして菊花の背後からは、暗い笑みを浮かべるノワールが現れた。


「これは、僕がもらうね?」


 何が起きたかわかっていないのは、菊花も同じだろう。簡単に遺恨の水晶をノワールに取られていた。


 そこでようやく、クレスとキール、アリアとフィオナ、そしてナタリー・ジェシカ・ダコタも周りを囲んでいた事に、さくらは気付いた。

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