第41話 秘密の部屋

 さくらの目の前に広がるのは、柔らかい光を放つ、ランピーロのつぼみのランタン。前に見た時と変わらずに、群青色の泉を囲むように照らしている。


「バレて、ないね?」


 思わず出た自分の言葉に、さくらは少しばかり安堵する。


「今はね。ここから動かず、行けそう?」

「えぇ、行けます。何だか前よりはっきりと感じられるので……」


 菊花が周りを窺いながら、小声で確認してくる。それにアゼツは、前方だけを見ながら答えた。やはり、彼の金の瞳が光を宿しているように見えた。

 もしかしたら、アゼツの力は鍛える事ができるのかもしれないと、さくらはこの時感じた。


「秘密の部屋に入ったら、ドラゴンが守るように大きな水球を抱えている。その中に、水を張った石の台座がある。そこに遺恨の水晶はあるから。音を立てないで近付いて、すぐに飛び込んで掴む。そのあとの移動は任せるね」


 改めて菊花の説明を聞くと、何もなければすぐに終わるのは理解できる。だからさくらは強く祈る。みんなで無事に戻ってくると。


「それでは、行きます。遺恨の水晶の元まで!」


 水球、飛び込む、掴む!


 さくらは頭の中で想像し、見える景色に集中した。



 目を閉じる事なく、さくらは周りの状況をすぐに理解しようとする。

 けれど秘密の部屋だと思われる場所には、天井から降り注ぐ、白銀の光を浴びる水球しかない。他の存在は、闇のみ。


 ドラゴンは……?


 耳が痛くなる程の静寂の中、周りを見回さなくともドラゴンがいないのはわかる。


「生き物すら、いない?」


 アゼツの呟きが、暗闇に吸い込まれるように、消える。


「喋っても、大丈夫……?」

「そうみたいだけれど、これは罠?」


 さくらも囁くように話すが、菊花は訝しげな顔で、何もない空間に注意を払っている。


「どういう事なのでしょうか?」

「でもさ、水球はあるよ? 行くしかないんじゃない?」

「……そうするしか、ないね」


 何が起きているのかわからないが、現実の世界と融合した事で起きた違いなのかもしれない。油断は禁物だが、ドラゴンがいないのであれば焦る必要はない。


 石の台座。そこに遺恨の水晶がある。


 目の前には、大きすぎる水球。さくらなど余裕で飲み込める程の存在に、気後れしそうになる。

 けれど、左手にはアゼツが。その向こう側には菊花がいてくれる。


 黒い小さな水晶を、あるだけ掴む。すぐにポケットにしまう。

 私がやる事はこれだけ!


 まぶたを閉じ、集中する。

 心が決まった時、さくらは目を開けた。


「行こう」


 さくらの言葉に応えるように、アゼツが繋いだ手に力を入れてくれる。だから踏み出す。

 そして指先に水球が触れた時、地を這うような低い声が響き渡った。


『我らの眠りを妨げるのは、誰だ?』


 えっ!? なに!?


 思わず周りを見るが、やはり誰もいない。それならば、この声の正体は限られる。


「ま、まさか、遺恨の水晶が……?」


 さくらがそう声を出せば、正体不明のものが、地響きのような笑い声を上げた。


『今ここで引き返すのであれば、咎めはしない。しかし、これ以上先へ進むというのならば、手加減はしない』


 遺恨の水晶に意志があるなんて知らなかった。だからここにはドラゴンがいなかったのだろう。

 それでも、進まなければならない。

 そうさくらが腹をくくった時、菊花の低い声がした。


「これが罠なら、もうアデレード先生が気付いてるはず。迷っている暇なんて、わたしにはないの!」


 最後は叫んだ菊花が水球へ飛び込む。遅れて、アゼツとさくらの順で続く。

 不思議な事にひやりとするだけで、濡れていない。けれど、寒気が止まらない。

 でも、目の前には菊花が教えてくれた石の台座がある。

 あとはもう、その中にある遺恨の水晶を手に入れるだけ。


 それなのに、足が何かにまとわりつかれるように、痺れるほどかじかんで動かない。


 いったい何が――。


 身体の異変に、さくらは視線を落とす。そして、息を呑む。

 深い闇のように黒い床。そこからいくつもの黒い手が生え、さくらの足を引き止めていた。


「……うわあぁぁあ!!!」


 隣からアゼツの悲鳴が聞こえれば、立ちすくむ菊花も目に入る。


「…………これは夢。そう、夢……。起きて、菊花。ほら、早く……。お願いだから……」


 ど、どうしよ!!


 おばけが苦手なアゼツと菊花の混乱ぶりに、さくらまで目的を見失う。


「神様ー!! 見えていますよね!? 助けて下さいー!」

「……そうか、目を開けているのが悪いのね。夢の中で夢を見て、夢が終わらない。そうよ。簡単な事なのよ」

「ふ、2人とも、落ち着いて!!」


 無理やり足を動かし、アゼツと菊花の前へ進む。

 そんなさくらの姿を見た2人は、一応黙ってくれた。


「これは、罠だよね!? おばけじゃないから! 菊花ちゃんもアゼツも1人じゃないから! 頼りないかもしれないけど、私がいるから!」


 勇気付けるように、さくらは声を張り上げた。

 すると、菊花の顔が泣き出してしまいそうに歪んでいく。

 しかしすぐに、アゼツと菊花が目を見開き、さくらの後方を指差した。


「う、うし……」

「さくらちゃ……」

「え?」


 思わず振り向く。

 そこには、黒い人影がうごめいていた。


 何これ!?


 まるで壁のように、どんどん床から現れるものに、視界が遮られていく。


「このままじゃまずいよ! 私だけでも行ってくる!」


 これ以上は、アゼツと菊花は耐えられないだろう。さくらはそう判断し、手を離そうとした。けれども逆にアゼツに引き寄せられ、彼の胸に倒れ込む。


「ちょっと、どうしたの!?」

「さくらだけなんて、だめです! 行くなら一緒にです! だから、ボクが、先頭です!!」


 もの凄く震えているアゼツが、それでも前方を睨んだ。


「菊花さんは、目を閉じていて下さい。ボクが、引っ張りますから」


 アゼツが青白い顔をした菊花へ声をかける。彼女は忙しなく周りを見ていたが、言う事を聞いてくれた。

 気付けば、足にまとわりついていた手は消えている。けれど、体が芯からゆっくりと冷えていくのがわかる。


「ボクだって、男です。ですから女の子は、守るんです!!」


 そんな状況の中で、アゼツが自身に気合を入れるように叫ぶ。繋いだ手を絶対に離さないという気持ちが伝わるように、きつく握ってくれる。

 そして勢いよく走り出したアゼツを追いかけるように、さくらも菊花も駆け出した。

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