第29話 本当の話

 さくらが連絡をすればリオンに居場所を聞かれ、すぐに影を使い姿を現してくれた。けれど、その時に彼が浮かべた苦しそうな笑顔が忘れられない。

 だから、ノワールと何があったのか尋ねたが、『今はまだ、聞かないで下さい』と言われて、別の話に移ってしまった。


 そして別れ際、『今日という日が私にとって幸せすぎて、辛いのです』と囁いてきたリオンが、全然幸せそうには見えなかった。

 ノワールからの言葉は、心の中にしまっていた想いを揺り起こされる事がある。

 だからリオンは、自分自身と向き合っているかもしれない。

 そう考え、さくらはリオンから事情を話されるのを待とうと決めた。


 ***


 リオンの恋人になれた次の日。

 どんな顔をして会えばいいかと緊張したが、リオンは寝不足だから朝食には来ないと、ラウルから告げられた。

 やはりまだ悩んでいるのだろうと、心配と寂しさがさくらの心を埋める。

 けれど、『今はほっとけ。昨日の事で何か考えすぎてんだろ』と呆れ顔のラウルに言われ、無理やり頷いておく。


 そしてどういうわけか、ノワールの姿もなかった。

 けれどナタリーが『ノワールくん、夏休みに出された難しい宿題を早く終わらせたいんだって! だから朝からも忙しくて、先に食べちゃったって!』と教えてくれた。上級生になるとそんなに大変な宿題があるのだなと、さくらは納得する。


 だからリオンとノワールを除いた、いつものみんなと朝食を済ませたあと、さくらは自室で質問攻めされていた。


「さくら先輩、どこまで進んだんですか? キスってどんな味でした?」

「キス!? あ、あの、進んだって、その……」

「そんなの、最後までに決まっているでしょう?」

「最後!?」

「あら? 違うの? 結ばれたのなら身体も……。あぁ、ごめんなさい。これは私の、獣人の認識よね」


 さくらのベッドに座るフィオナが、青く透き通るアゲハ蝶のような羽をしきりに動かす。そのまま、どんどん詰め寄ってくる。

 そんな彼女の好奇心に圧倒されれば、反対側から逃さないとばかりに挟み込んで座るイザベルが、真顔でもの凄い言葉を口にした。


「もうそれぐらいにしてあげた方がいいかも。だってさくらちゃんの顔、真っ赤だよ?」


 目の前のベッドに座る、ふふっと笑っているアリアと目が合う。だからさくらはこくんと頷いた。


 これ以上はもう、心臓がおかしくなる!


 こういう時、助けてくれる友人がいるのは有り難い。それぐらい、さくらの頭の中はリオンとのあれこれに埋め尽くされそうになっていた。


「でも、話はそれだけじゃないんだよね?」

「ナタリー、あなたね……」

「気持ちはわかるけど、ね」


 すると、運び込んだ簡易の椅子に腰掛けるナタリーが、ぎこちないイントネーションで話しかけてきた。

 その横に座るジェシカが、呆れたように呟く。さらに隣に座るダコタは、困ったように笑っている。


「……そうなんだよね。あのね、昨日、菊花ちゃんにこの世界が融合した世界って、知られちゃって。私からちゃんと話したわけじゃないから、凄く傷付けた。だから今日、これから全部を話しに行ってくる。みんなも記憶がないフリしてくれて、ありがとう。これからはもう、隠さなくていいから」


 ナタリーがせっかく空気を変えてくれた。だからさくらも深呼吸して、真剣にみんなへ伝える。


「本当に、1人で大丈夫?」

「うん。大丈夫。それに私と話したあとで、アゼツにも説明してもらうから。納得してくれるのかは、わかんないけど……」


 アリアとアゼツには、昨日の事情を話している。だから心配なのだろう。けれど、みんなを連れて行けば菊花は威圧されるだろうし、何より秘密の話の続きをしなければならないので、誰にも聞かれたくない。


「あのさ、ちょっとでも危険を感じたら、あたし達に声かけてよ?」

「危険? 相手は菊花ちゃんだよ?」

「そ、そうなんだけど、えーっと、うーんと……、そうだ! 今までの腹いせに、ご飯のメインは菊花に渡す! とかになったら、殴り合いの喧嘩になるかもしれないし!」

「それはナタリーだけじゃない……」


 ナタリーらしい例えに、ジェシカが俯いて額に手を当てていた。

 でも、そんな激しい喧嘩になってしまうかもしれない事を心配されているのだろう。

 それだけで、さくらはこの先辛い事を言われたとしても、何度でも立ち上がれると思えた。


 そして、激しい喧嘩になってしまってもいいと、さくらは考えていた。

 それは自分の罪悪感が薄らぐからという意味もあるのは、わかっている。


 でもそれ以上に、あんなに激昂していた菊花は、普段からも気持ちを抑えていたに違いない。そんな事を続けていたら、いつか壊れてしまうだろう。

 だから、菊花が少しでも本音を出せる相手になりたいと、さくらの中に願いが生まれた。


 それに、彼女の記憶があるのにはちゃんとした意味があるはずだ。生きていて、意味のなかった事などない。みんな繋がっていると、今は思えるから。

 だからさくらは本当の友人になるべく、彼女の想いを受け止めようと決めたのだ。

 

 ***


 菊花から連絡が入り、さくらが向かおうとすれば、ナタリー達も立ち上がった。彼女達も宿題を終わらせる事を優先するそうだ。

 そんな話をしながら途中まで一緒に歩き、笑顔で別れた。



「あのね、昨日あんな言い方しちゃったけれど、この世界に何が起こったのか、ちゃんと教えてくれないかな?」


 昨日の怒りを微塵も見せない菊花が、部屋に招き入れてくれる。その優しさに感謝しつつ、さくらは彼女が用意してくれていた椅子に座る。

 すると、菊花の方から話を切り出してくれた。


「順に、話していくね」


 さくらがそう返事をすれば、菊花は頷き姿勢を正した。


「難しい手術や長時間の手術の場合、生きる気力が成功率を上げるんだ。今は術中にゲームの世界へ行って、夢中でプレイすると気力が湧く事が証明されてる。そのために私が選んだのが、恋のかたちを知りたくてだったんだ。理由はね、誰にもクリアされた事がないからって、『何のために作られたかわからない』って言われていた乙女ゲーと、小さな頃から病気で、何のために生まれてきたのかわかんない自分を、重ねたから」


 世界はこんなにも鮮やかに色付いているのに、あの時の自分が見ていた世界は、その色が全て抜け落ちていた。

 その中で、恋のかたちを知りたくてには、心が強く惹きつけられたのを思い出す。


「誰からも必要とされていないなんて、まるで私みたいだなって。生まれてきたのにその結末を誰にも知られないなんて、悲しいだろうなって。だからね、恋をするって素敵な事なんだろうなって教えてくれた乙女ゲーに恩返しのつもりで、誰かの役に立ちたくて、選んだの。最低な理由でしょ?」


 きっとゲームを選ぶ時、やってみたい! って気持ちが1番大切だと思う。それなのに製作者さんの子供にこんな事を言うのは、失礼だ。

 でも、もう隠したくない。私が伝えられる事は全部、伝える。


 さくらが菊花の様子を見守っていれば、彼女は考え込むように目を伏せた。


「母はね、真摯に向き合って、恋のかたちを知りたくてを、作っていた。他にも乙女ゲーを何作も世に送り出していたけれど、それらとはひと味違った、独創的なものに仕上げたいって、言っていたの」


 そこで言葉を切り、菊花はさくらを見つめ、眉を寄せた。


「だからね、プレイヤーも真摯に向き合わないと、クリアできない仕様だったの。それなのに母の想いを読み取れなかった人ばかりがプレイした結果、残念な事になったのよ」


 菊花ちゃんの言いたい事はわかったけど、でもクリアできない理由はそれじゃない気が……。


 しかしそれを言ったところでどうにかなるわけでもなく、さくらは話題を切り替えた。


「その理由を聞いて、納得した事があるんだ」

「納得?」

「あのね、菊花ちゃんのお母さんの強い想いが、みんなに魂を宿らせたんだよ!」

「魂……」


 さくらの話を聞く菊花が、幼い子供のような顔で首を傾げ続ける。その姿が可愛らしくて、さくらの頬が緩む。


「よくわかんないと思うけど、大切に創り上げたからこそ、みんなの中にその想いが蓄積されたんだよ。あとね、菊花ちゃんのお母さんの『最後まで楽しんでもらえなかった』って強い未練がきっかけで、魂が宿ったんだよ」

「……最後、まで……」

「菊花ちゃん?」


 さくらの話を、絵本でも見ているような顔をしながら聞いていた菊花の目が、大きく見開かれた。その様子に不安を覚え、さくらは菊花へ声をかけた。


「……ごめん。確かにわたしの母は、『誰にも、最後まで楽しんでもらえなかった』と、嘆いていたから……。完成した時の母の顔はキラキラしていた。その顔が、わたしは1番好きだったの。他に生み出した乙女ゲーの時も似た顔をしていたけれど、恋のかたちを知りたくては、母にとっては特別だったのよ」


 菊花の懐かしむような声から、さくらも想像してみる。

 大切な人が生み出したもの。その過程。結果。

 それらは全て、その本人よりも見てきた人の中に色濃く残るだろうと、そんな結論に辿り着いた。


「それにね、母がよく言っている事があるの。『大切にするとね、どんなものにも想いが宿る。だからね、生きているつもりで接する事。そうすれば、本当に生きているように、自分の気持ちに応えてくれるのよ?』って。仕事道具もだけれど、キャラクターの事も当てはまるって、母は言い切っていた。だから、魂が宿った事は、不思議じゃない、かな」


 照れたように少しだけ頬を染めた菊花に、思わずさくらは立ち上がって距離を詰めた。


「菊花ちゃんのお母さん、とっても素敵な人なんだね! だからみんなも菊花ちゃんも、こんなに優しいんだ。乙女ゲーの世界も優しくて綺麗なものがたくさん詰め込まれているのは、菊花ちゃんのお母さんの温かい想いが反映されていたからなんだね!」


 凄い人だな、菊花ちゃんのお母さんって!

 なおさら、恋のかたちを知りたくてと出逢えた事が、嬉しい!


 感謝の念が少しでも伝わるように、さくらは菊花の手をぎゅっと握る。すると彼女は驚いたのか、大きく肩を揺らした。けれど真っ黒な瞳は、さくらを捉えたまま、動く事はなかった。

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