第27話 アデレード先生の危機

 地面の照明に照らされる願いの木の前にいた菊花と目が合う。さくらは彼女に罵倒されると思っていたのだが、何故か菊花は微笑んできた。


「1人で、追いかけてきたの?」

「うん」

「そっか。あんなに酷い言葉をぶつけたのに、さくらちゃんは本当にお人好しだね」

「そんなんじゃ、ないよ。菊花ちゃんが怒るのは、普通の事だよ。だから、私はその気持ちを教えてほしいだけ……」


 先程から嵐が近付くように、風が強くなってきた。それを全身で受ける。菊花も同様なのだが、彼女の長い黒髪が顔を隠し、赤くふっくらした唇だけが笑みを作る。

 ただそれだけの事なのに、さくらは薄ら寒さを感じて、言葉が途切れた。


「まだ、頭が混乱していて、うまく話せないの。だから明日にでも、わたしの部屋で話さない? それまでに、気持ちを落ち着けておくから」

「そう、だよね。ごめんね、こんな事言って。すぐには無理かもしれないから、本当に大丈夫だって思えたら、連絡してくれるかな? それから菊花ちゃんの部屋に行くから」


 髪を直しながら、菊花が弱々しい声を出す。焦りから追いかけてしまったのもあり、さくらは自分の行動を反省する。けれど、菊花の方から話そうとしてくれる姿に、緊張が解けていく。


「ありがとう、さくらちゃん。わたしの事を心配してくれて」


 伏せられていた菊花の目が、真っ直ぐにさくらを見つめる。


「だから、これだけは先に話しておきたいの。さくらちゃんの大切な世界が、消えてしまわないように」


 消える?


 菊花の目、そして言葉には、強い感情が込められているのがわかる。

 だから、さくらは息を呑んだ。


「この世界は、わたしの母が創った乙女ゲームの世界が反映されているよね? でも、現実と融合した事で、全てがその通りではなくなっている部分もある。ずっとね、不思議だったの。何で少しずつ違うんだろうって。だからさっきは盗み聞きしたけれど、聞けた事で頭がすっきりした。だからね、今から言う事をよく聞いてね?」


 菊花の表情が曇り始め、不穏な空気が流れる。だからこそ、さくらは真剣に頷いた。


「いろんなエンディングがあるけれど、恋のかたちを知りたくてのバッドエンドは、アデレード先生が世界に、絶望して、その……」

「言いにくい事なんだろうけど、私は知っておきたい」


 アデレード先生の名前を出した途端、菊花は顔を伏せてしまった。けれどその様子に、なおさら知らねばならないと、さくらは決心する事ができた。

 すると菊花は顔を上げた。目には涙を浮かべて。


「あのね、世界に絶望したアデレード先生が、迫害されてしまった魔女達が遺したものに乗っ取られて、この世界を、滅ぼそうとするの。それに対抗できる力は、この願いの木だけ……」


 青く輝く幹に触れ、菊花は涙を拭って話し続ける。


「バッドエンドは、アデレード先生を願いの木の力を使って倒すだけ。アデレード先生の命と引き換えに、世界が助かる。そんな悲しい結末なんて、さくらちゃんは望まないよね? でも今なら、まだ間に合う。それに、そんな未来にならないかもしれない。それでも、不安は取り除きたい。そう、思ったの」


 そんなエンディングが用意されていた事に動揺しそうになるが、今考えるのは、回避する方法。菊花はそれを懸命にさくらへ伝えてくれようとしている。

 その事実に応えるべく、菊花の続く言葉を待つ。


「だからどうにかして、アデレード先生の秘密の部屋にある『遺恨の水晶』を手に入れたい。原因を少しでも早く遠ざけて、処理したい。手に入りさえすれば、願いの木にぶつけるだけでいい。それだけで、解決するから」


 秘密の部屋!


 まさか今日初めて足を踏み入れた場所が関係するとは思わず、さくらは興奮して話し出す。


「私、その場所知ってる! でも正直に話してアデレード先生にも協力してもらった方が――」

「それはだめ。アデレード先生に変化がないように見えても、長年近くに置いていた事で影響を受けているから、触れ続けると乗っ取られてしまうかもしれない。だから、影響を受けていないわたし達だけで取りに行ければ、いいんだけれど……」


 それなら、早く動かなきゃ。

 でも私達じゃきっと、開かないよね……。


 先程見たアデレード先生の、一瞬だけ影が落ちた顔を思い出し、焦りが募る。

 けれど、あの部屋にはさらに強力な魔法が施されていて、さくらには入り口すらわからない。


「あっ!!」

「何? どうしたの?」


 よく思い出せば、頼もしい相棒がいた事に気付く。だからつい大声を出してしまった。それに対して、菊花が眉をひそめていた。


「ごめんね! あのさ、それ、解決できると思う!」

「そう、なの? そんなに簡単な事じゃ……」

「あのね、アゼツに何とかしてもらおう!」


 さくらは声の大きさに気を付けながら話し続ける。すると怪訝そうな顔をしていた菊花の目が、輝いた。

 それと同時に「うぎゃっ!」と、何かが潰れたような声がして、さくらと菊花が周りを確認する。


「もしかして、誰かの使い魔が逃げ出したかも」

「そうかも。でもそれなら他の生徒もここに来ちゃうだろうし、この話はここまでにして、明日また話そう? あと、今の話はアゼツくん以外には絶対に秘密にしてね。みんなを怖がらせたくないから」


 菊花の冷静な判断に頷けば、彼女が嬉しそうに笑う。


「さくらちゃんと話していたら、気持ちが落ち着いたよ。ありがとう」

「そんな、お礼を言われる事なんてしてないよ! それに、目標ができたから、気持ちが落ち着いたのかもしれないし」

「それでもお礼を言いたい……、あっ!」


 共に歩き出せば、菊花が目を見開いて立ち止まる。


「ごめんなさい! わたし、さくらちゃんとの邪魔、しちゃったよね?」

「邪魔なんて、してないよ」


 菊花ちゃんの呼び方、戻ってる……。

 辛く、ないのかな?


 本当に申し訳なさそうに頭を下げる菊花を止めながら、彼女の言動にずきりとする。きっとさくらとこうして話すのも今は苦しいはずだと、改めて考える。

 それなのに、菊花は首を横に振った。


「わたしが、2人の仲を引っ掻き回した。今回だって、余計な事しちゃって……」

「でもそれは、菊花ちゃんがリオンを好きだったから、でしょ? だからね、私から聞くのは酷い事だと思うけど……」


 こんな前置きして話すの、嫌な感じ。

 でも、聞いておきたい。


 失恋したばかりの相手に、ライバルからの言葉は嫌味にしか捉えられないかもしれない。

 それでも、こうする事で菊花の辛さをぶつけやすくなる。そう予想して尋ねた。


「菊花ちゃんはリオンに気持ちを伝えなくて、いいの?」


 さくらの言葉に、菊花は目を見開いた。

 そして、破顔した。


「もうね、いいの。吹っ切れたの。だってね、さくらちゃんとリオンくん、


 涙を流しながら笑う菊花は、本当に悲しんでいる様子がない。そんな彼女から、さくらにとって嬉しい言葉をもらえたはずなのだ。

 けれど、今の状況に違和感しかなかった。


「だから今からでも連絡してあげて? さっきの続きでも、したらいいよ。夜はまだ、始まったばかりでしょう?」


 さくらとリオンはランピーロの開花が終われば、部屋に帰る予定でいた。だから菊花の含みのある言い方を訂正しようとすれば、背を向けられた。


「今日は、1人で帰らせて」


 やっぱり、菊花ちゃんは……。


 さくらに対する怒りを強く感じるが、菊花はそれを抑えてまで話をしてくれた。それも、大切すぎる話を。だから彼女を追いかける事は、できなかった。

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