第26話 リオンへの伝言と菊花の決断

 すぐにでも動くべきだった。

 けれどノワールに、薬草の森から去るさくらの背中を見送る事を強いられる。

 しかし動揺を悟られないよう、リオンはノワールと対峙した。


「証に、何か問題でも?」


 ノワールは肝心な話をすぐにしたがらない。けれど、そんな彼に付き合う気はさらさらなく、リオンは早く終わらせてしまおうとした。


「おや? 思慮深い君からそんな言葉が飛び出すなんて、思ってもみなかったな」

「そのような評価をいただけてとても光栄なのですが、今はさくらを追いかけたい。あなたはいったい、何が言いたいのでしょうか?」


 掴まれ続けていた腕を振り解き、ノワールを睨み付ける。すると、彼はわざとらしく身震いし、笑った。


「それは失礼したね。では、簡潔に伝えるよ」


 女性へ向けるいつもの微笑みを浮かべたノワールに、寒気がする。けれど、彼の目はどこまでも暗く冷たい。


「君はさくらの体を変化させてまで、自分に縛り付けておきたいのかな?」


 変化……?


 ノワールは証の話をしているはずだ。けれど、意図するものがわからない。


「あぁ、やっぱりか。君達ヴァンパイアにとっては当たり前すぎて、理解できていない顔をしているねぇ」


 微笑んだままのノワールは、全く笑う事のない琥珀色の瞳を細めた。


「ここからは、彼女の言葉を借りようか。ゲームの中で、君とヒロインが結ばれる際、選択肢が現れるそうだ。それによって君が、ヴァンパイアの伴侶として迎え入れるか、ヴァンパイアでいる事を終わらせるのかが決まる」


 終わらせる?


 きっとこの話は、菊花から教えられた設定だろう。しかし、ヴァンパイアが終わりを迎えるとすれば、それは死を意味する。何故、それをわざわざ伝えてくるのか。

 リオンは沈黙で応え、先を促す。


「ヴァンパイアの伴侶とするのなら、君の血をヒロインに混ぜるのだろう? そうすれば君だけの伴侶となり、他のヴァンパイアに奪われる事もない。けれど、君との真のエンディングは、君が自分でその目を潰す事に意味があるそうだよ?」

「それが、何だと言うのですか?」


 ここは現実の世界。そのような設定通りに動く必要もない。ましてや、忌まわしいと思っていた赤い目を、さくらは受け入れてくれた。だから潰す理由など、どこにもない。

 ノワールが揺さぶろうとしているのはわかるが、リオンは冷静に答える。


「それが?」


 低い声を出すノワールが、一歩、こちらへ踏み込んでくる。


「さくらと想いが通じ合って、よほど浮かれているようだ。けれど僕らは、さくらの願いを知っているはずだよ?」


 下から見上げるように、リオンの顔を覗き込むノワールが徐々に暗さをまとう。

 そろそろ、ここにあるランピーロが全て咲き終えるようだと、笑みを消したノワールを眺めながら考える。


「さくらは、普通の人間として生きたいと、願っていたよね? 遺伝子を操作して病を治した人間を、この世界の住人は『人ではないもの』として認識する者もいる。それでも、今のさくらは笑顔で過ごしているよね? それなのに、君の都合だけで、またさくらにそんな傷を負わせるのかな?」


 ノワールの言葉に、リオンは目を見開く事しか出来ない。


 そんなつもりは……。

 確かに、証を贈れば、さくらの血は変化する。

 ヴァンパイアにしか違いがわからない程の、血の匂いの変化だ。

 だからといって、他は人間と変わらない。

 でも、特別な人間には、なってしまう。

 それを知ったさくらは、私と共にいる事ですら、辛い思い出になっていくのだろうか?


 そう考えた瞬間、ゲーム内でさくらが生死を彷徨った時の記憶が蘇る。



『『こんな私でも人間なんだって思えたら幸せなのかもしれない』と、泣いていました。サクラの病気は特殊で、手術が終わっても、『原因の遺伝子を消して治すってそれってもう、人じゃないよね?』と、こんな言葉を投げかけられるものだと、泣き続けていました』


『恋してみたかったって、泣いていた。いつ死ぬかわからない自分が恋する意味もないし、普通の人間になれない自分に好かれて嬉しい人などいないって、震えながら叫んでいたんだ』



 アゼツとノワールの言葉が頭に響く。

 突然目の前が暗くなったのは、ランピーロの開花が終わっただけではない。

 もう、これからさくらと共に過ごす未来がないと、リオンの中で答えが出てしまったからだ。


「何もそう、落ち込む事はないんだ。それなら、君が変わればいい。そうすれば、さくらの笑顔は変わらない」


 囁いてくるノワールの言葉に救いを求め、するりと心の中に入り込ませてしまう。


「だから、目を潰す事に意味があるんだ。ゲームの中では、それが君なりの誓い、だそうだ。人間のヒロインと人間のように過ごしたいと願う、愛に生きる何者にもなれない男、なのだろう。けれど現実でも、さくらの笑顔を見る事は出来なくなるけれど、吸血衝動を薬で抑え、共に過ごす事ができる。良かったじゃないか。後戻りできなくなる前に気付けて」


 ノワールの声は単調で、何の感情も込められていない。それでも、リオンの耳が全ての言葉を拾い続ける。


「君なら正しい答えに辿り着けると、信じているよ。だって、さくらが選んだ相手、だからね」


 それだけ言うと、ノワールが何かを取り出し、弱い光が生まれた。ランタンではなく別の明かりを準備していたのだろうが、そんなどうでもいい事を考える自分が煩わしく、リオンは奥歯を噛み締めた。


 ***


 ふざけるな。


 もう薬の効果はなく、周りもよく見えない。けれど菊花は夢中で駆けた。

 この偽りの世界から逃げ出すように。


 何が奇跡だ。

 なんであんな子に、神様みたいな事ができるわけ!?


 さくらが嘘をついていた事。

 それは何となく察していた。

 けれどそれ以上に、理解し難い真実を知ってしまい、憎悪が膨れ上がる。

 やはり自分の現実は夢の方であり、もう手が届かないとあんな形で知らされたのだから。


『そのエンディングの内容を伝えれば、リオンはきっとさくらを諦める。そうすれば、振り向いてくれる確率は上がるだろうねぇ』


 告白が始まったら止める予定だったのに!

 それなのに瓶を取り上げて邪魔してきて!

 これはわたしに対する当て付け。

 ノワールは、あの子のためにしか動いていない。

 そうだとしても、ノワールの性格も把握していたわたしがここまで利用されるなんて!!

 

 ノワールにも騙されていた事。

 リオンの言葉から、ゲームのキャラクターである皆の記憶もあるのだと、気付かされた。

 そして、いくら孤独だからと、ノワールを受け入れすぎていた自分を恥じる。


 それにあれは、わたしが知っているリオンじゃない!

 

 リオンを奪われてしまった事。

 けれど、告白の内容も、彼の性格も、全てが違う。だから元の、母が創り上げた彼を頭に描く。


 こんな酷い世界に、いたくない。

 誰か、助けて。


 弱音を吐いたところで、受け止めてくれる人などいない。この世界には、偽者しかいない。大好きな家族ですら、別のものなのだ。

 だから、泣き叫びたくなった。めちゃくちゃに暴れ回りたくなった。そうすれば目が覚めるかもしれないと、ありもしない希望に縋りつきたくなる。

 しかし菊花は、願いの木を目指して走り続けていた。


「なん、で、こんな時、まで、ここに来たの?」


 呼吸を整え終わる前に、あまりにも馬鹿げた自分の行動を声に出せば、笑えてきた。


「こんな花、枯れてしまえば、いいのに」


 桜を咲かす願いの木が、菊花に応える事はない。

 その事実に、少しばかり冷静さを取り戻す。

 だが、新しい世界が誕生してしまった事は理解が追いつかない。

 だからこそ、奇跡なのだろう。でもどうしてさくらの願いしか叶えないのか。それが最も不可解で、理解したくもない。

 しかしふと、学園を案内された時の、アデレード先生の言葉を思い出した。


『この願いの木は、育てた想いを花開かせる力が宿っています。ですから今もこうして、ここに生きる全ての者の想いを叶え続けるように、咲き誇っているのでしょう』


 そうか。

 あるじゃない。

 まだ、出来る事が。


 自分はきっと、この間違った世界を戻すために記憶が残されているのかもしれない。だからこそ、その手段を思い出せた。


「あの子だけの願いを叶え続ける願いの木なんて、消してやる。わたしには、それができる」


 遺恨いこんの水晶。

 それをアデレード先生から、盗み出すしかない。


 風が強く吹く。ぱきりと、何かの音がした。しかし願いの木がカチチッと葉を鳴らし続け、菊花の気を引いてくる。


 やるべき事は決まった。

 こんな世界に未練はなく、攻略も、もう興味はない。


 いや、今から菊花が目指すのは、バッドエンド。

 それは、アデレード先生が絶望に囚われ、世界を滅ぼそうとするエンディング。

 友情エンドのような展開ではあるのだが、アデレード先生を犠牲に皆が生き残るルートでもある。その時も、願いの木が狙われていた。これを壊す事が、世界の終わりを意味するから。

 そうする事でしか、菊花は元の世界に戻れる方法がないと、気付けたのだ。


 しかし、この世界のアデレード先生は闇に堕ちそうもない。だからこそ、菊花が代わりに役目を担うのだ。


 迫害を受けていた力の強い魔女は皆、自分の黒い感情を暴走させないよう、救済の水晶を身に付けていた。そこに彼女らの恨みが蓄積され、殺害された時、本人の魔力も吸収され、黒く染まる。

 そうしなければ、たくさんの人を巻き込む程の魔力が暴走するから。

 要は、迫害されてもその相手まで守ろうとする、博愛の心の持ち主が魔女なのだ。


 わたしに魔法が使えたら……。

 でも、どうにかするしかない。


 菊花は普通の人間だ。それでも、こんな自分が存在する事に意味があるのだと、信じ込むしかない。

 しかし自分の耳が、忌々しい声を拾う。


「菊花ちゃん、お願い。少しだけでいいから、話したい」


 振り向けば、息を切らしながらもしっかりとした声を出すさくらの姿が目に入る。


 あぁ、いるじゃない。

 最高に使える駒が。


 さくらにだけ優しい世界だと勘違いしていた。

 けれど、それは間違いだった。

 神様はいつも平等だ。

 菊花にもこうして、対抗できる手段を用意してくれている。

 だからこそさくらの顔を見て、笑みがこぼれた。

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