第24話 告白

 アデレード先生の部屋を後にする頃には、彼女はいつもの雰囲気へと戻っていた。


 現実の世界で生きるという事は、みんなに新たな影響を与えている。今回の事を含め、それを強く感じる事になった。

 さくらが安易な気持ちで首を突っ込めるものではない。けれど、アデレード先生の抱えているものが少しでも軽くなればいいと、願わずにはいられなかった。


 ***


 話しながらも、さくら・リオン・アゼツの間には、どこか静かな空気が流れていた。けれど、薬草の森に近い玄関へたどり着けば、アゼツがそわそわし始めた。

 本来ならここで見送られるはずだったのだが、アゼツは森の入り口までついてきた。しかも、さくらとリオンが中へ歩き出しても、何度も声をかけてきて、思わず笑ってしまった。

 しかし、本当にリオンと2人きりになった瞬間以降の記憶がない。


 私、何喋ってたのか、覚えてない!!


 緊張したものの、ぽつぽつと、何か話していたはずだ。けれど、ランピーロのつぼみが光るランタンに照らされた、様々な表情を浮かべるリオンしか思い出せない。

 特別な日なのに、もう目の前にはランピーロに囲まれた泉がある。


 ここは、いくつかある泉の中から、アデレード先生に指定された場所。夏休み中、他にも残っている生徒が同じようにランピーロの開花を見に来ているようで、重ならないように配慮してくれた結果だ。


 どうして思い出せないの!?


 変な事は話していないはずだと自分を慰め続ければ、リオンと繋がる手を引き寄せられる。それに気付けば、さくらの想像以上に距離が近付いていた。

 夜ではあるが、お互いに制服姿。リオンとの間に黒マントが滑り込み、肌の触れ合いを防がれた気がした。


「座りましょうか」

「……うん」


 幹を半分に切った丸太の椅子に、ぎこちなく腰かける。お互い、ランタンも端に置く。すると、リオンが距離を詰めて座ってきた。それに、心臓がどきんと反応する。


「前は、みんなで見ましたね」

「そうだね」


 暑さの残る風ではあるが、それでもさくらが宿し続ける熱を冷ましてくれる気がして、心地良い。その中でリオンの声を聞き、さくらの心臓は少しばかり落ち着く。


「今思えば、最初の出会いは最悪でしたね」

「あれは、そうかも。まだリオンが顔を隠していた時だったし、お互いに恋しないって、決めてたしね」


 風に揺り起こされるように動くランピーロのつぼみを眺めながら、ゲーム内での出来事を思い出す。


 最初の遭遇イベントで、私にぶつかって、リオンはぶつぶつ呟きながらしゃがみ込んじゃったんだよね。

 そのあと謝られたけど、『何の感情も向けていない女性に触れた事を罰してほしいのですが……』なんて言われるとは思わなくて、いらっとしたんだよなぁ。


 最悪と言えば最悪だが、今では笑える思い出だ。


「リオンとぶつかっちゃって、何の感情も向けてないとか言われて、言い返しちゃったんだよね、私」

「『私もあなたの事を何とも思わないので、気にしないで下さい』、でしたよね。この言葉に、どれ程救われたか」

「素顔を見たがるヒロインにウンザリしてたとか、言ってたもんね」


 ざぁっと、強い風が吹く。その中に、別の物音が混じったような気がしたが、さくら達の他には誰もいない。この森を住処にしている動物がいたのかもしれないと見当をつけ、リオンとの話に戻る。


「けれど、さくらは違った」


 急に、リオンの穏やかな声が真剣みを帯びる。


「顔を見たいと迫ってくる事もなく、私達を攻略しないと宣言してくれた。友達になれて嬉しいなどど、泣きながら伝えてくれた。その関係だけで、私達全員が生きる未来を見続けてくれた」


 徐々にランピーロの光が強くなっていく。それに照らされるリオンの緋色の瞳が、さくらを捉えた。


「何より、自分の病気の事を差し置いてまで突き進むさくらに、勇気をもらえました。けれど同時に、それが危うくて目が離せなかった。きっと早い段階から、私の心はさくらにしか向いていなかったのでしょう」


 リオンの気持ちを聞きながら、そのひとつひとつの思い出が蘇ってくる。ゲーム内で過ごした日々も、みんなで生き抜いたのだ。

 その中で、リオンが好意までもを抱いてくれていた事実を知り、胸がいっぱいになる。

 そんなさくらの手へ、リオンも重ねるようにそっと触れてきた。


「私の目は、人を傷付けるだけのものだと、思い込んでいました。これが設定であったとしても、現実でも通用する力なのは事実です。けれど、こうして隠す事なく生きていけるのは、さくらからもらった言葉のお陰なのですよ」

「私?」


 いつも以上に緋色の瞳が優しく輝いて見えるのは、リオンの言葉がさくらの心を包み込んでくれるのがわかるから。

 けれど、彼の心をもっと詳しく知りたくて、尋ねる。

 すると、重ねていただけの手に力が込められた。


「医務室で私に言った事を、覚えていますか?」


 医務室って……。


 リオンの瞳に、熱がこもったような気がした。それぐらい、さくらの心臓がどくんと反応し、惹きつけられる。


 もしかして、あの時の会話は、リオンにとっても特別だったの?


 忘れもしない、自分が恋をした瞬間。

 だからさくらは記憶をなぞる。


「……リオンはなかなか納得してくれなかったけど、真っ暗な食堂の中で、リオンの目だけが頼りだった。だから、感謝する事はあっても、怖いなんて思わないから。この気持ちは、昔も、今も、これからも、ずっと変わらない。私は、リオンの赤い目だから、す――」


 強制イベントは、リオンの個人ルートでもあった。突然ワープさせられたのは、夜の食堂。その中で、初めて素顔のリオンと向き合えた。

 そして、血が足りずに正気を失った彼は、それでも自らの意志で吸血衝動をねじ伏せ、さくらの身を守ってくれた。


 思い出せば、当時の想いも溢れ出す。それを言葉にしようとしたところで、さくらはリオンの腕の中に閉じ込められた。


「あの時以上に、嬉しい言葉を重ねないで下さい」

「でも、本当の気持ちだから……」


 好きと、伝えたい。

 照れたような声も、壊れもののように大切に包み込んでくれる腕も、優しさしか感じないほのかに光る緋色の瞳も、全てが愛おしい。

 言葉にしたところで、正しくは伝えきれない。

 それでも、想いは止められないのだ。


 そう気付いたさくらの胸は、疼くような痛みを伝えてくる。早く声に出して解放したいと、訴えるように。

 けれど、その前にリオンが体を離し、さくらと向き合った。


「さくらの言葉は、いつも温かい。誰に対しても。それでも、私だけに向けてほしいと、願ってしまう。だからもう、これ以上は我慢できません」


 ゆっくりと近付く緋色の瞳から目が離せない。それが一段と輝いたのは、ランピーロの開花が始まる合図なのだと、さくらはぼんやり考えた。


「さくら。ずっとあなたが好きでした。私の恋人に、なって下さい」


 切なそうに細められたリオンの瞳に、さくらもつられそうになる。

 けれど、彼が自分へ贈ってくれた言葉を思い出し、息を吸う。


「私も、私が笑うと春が来たように温かな気持ちになるって言ってくれたリオンが、好きです」


 リオンの言葉は、『さくら』と名付けてくれた両親の想いもを受け入れてくれた、特別なものなのだ。

 ずっと、名前に込められた意味のように生きられていないと思い込んでいた、さくらの心を救い上げてくれた大切な言葉。


 その気持ちが伝わるように、笑顔を向ける。想いが溢れたように涙が頬を伝うが、それでも、さくらはリオンへの表情を崩さない。


「私はこれからも、リオンが見つけてくれた私のまま、生きていく。これからは、恋人として……」


 嬉しくて、恥ずかしくて、声が震える。

 それでも、リオンが微笑み返してくれる。

 それだけで、さくらは生まれてきた事に感謝した。

 その瞬間、強い光が辺りを包んだ。


「わぁ……!」

「……この光景は、何度見ても美しいですね」


 思わず目を向ければ、ランピーロが開花し、丸く輝く白い光が夜空を目指して舞い上がる。そして、線香花火のように散る。

 それに夢中になっていれば、頬を撫でられた。


「現実の世界で共にいられるのも、こうしてさくらの涙を拭えるのも、さくらが私達が生きる世界ごと、私達と一緒に生きていきたいと願ってくれたから。この奇跡は、さくらにしか起こせなかったでしょう。そう言い切れる程、さくらが重ねてきた想いは、願いの木が桜の花を咲かせた時に受け取りました。だから、現実の世界とゲームの世界が融合した新しい世界でも、たくさんの思い出を――」


 リオンの声に身を任せ、彼だけを視界に入れていた。

 だから、さくらは気付けなかった。


「その話は、本当なの?」


 リオンの声を遮るのは、菊花の声。

 思わず、泉の向こう側を見る。

 そこには、憎しみのこもる眼差しを向ける菊花と、薄く笑うノワールが佇んでいた。

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