第19話 お誘い

 まだ夕食前なので、食堂付近に人は少ない。それでも、誰かとすれ違う。だから、さくらはなかなか本題に入れずにいた。

 けれど急に、リオンが進行方向を変えた。こちらは実習室などがある別棟に向かうもの。それを不思議に思えば、上へ続く階段が視界に入る。


「どこ行くの?」

「どこというか、その……」


 繋いだ手が熱すぎて、自分の汗で不快にならないか心配になる。けれど、リオンはさらにしっかりと握り直してきた。


「少しだけ、遠回りさせて下さい」


 本当に申し訳なさそうに、歩みを止めてさくらを見つめてくる。この瞬間は周りに誰もおらず、このまま時が止まればいいなんて、不可能な願いが浮かんだ。


「……いいよ」

「よかった」


 さくらとリオンの声だけが響く廊下。それに緊張もするが、彼が周りを確認している方が気になった。


「どうしたの?」

「いえ、その、ここで話をしてもいいですか?」

「うん、いいよ」


 ちょうど2人きりだもんね。

 話って、何だろう?


 リオンの視線が、ちらりと階段へ向けられる。それにさくらが頷けば、2階へ続く階段の裏側、少しだけ薄暗い空間の奥まで連れて行かれる。よほど他の人に聞かれたくないのだろう。

 だからさくらも、真剣にリオンと向き合う。

 もしかして、何か悩んでいるのかもしれない。そう思うと、先程まで騒がしかった心臓が大人しくなっていく。


「まずは、謝罪を」

「謝罪?」

「球技大会後からさくらを避けてしまって、申し訳ありませんでした」


 球技大会……。


 繋ぎ合ったままのリオンの手が、僅かに力が入ったのがわかる。

 しかし、彼が謝罪する理由はどこにもない。球技大会は、リオンと菊花の恋の始まりになっているのかもしれない。だから、当然の行動なのだ。

 そこまで気付けば、ここに留まるのが息苦しくなった。今だって、菊花に誤解されたくないからこそ、周りを気にしていたのだろう。


「謝る事ないよ。気にしなくていいから」


 ずきんと胸が痛むのは、そんな風に大切に想われている菊花が羨ましいから。でもそんな事を伝えても、リオンを困らせるだけ。

 だからさくらは、今だけは彼の友人でいられるよう、仮面を被る。大丈夫。ちゃんと笑えていると、何度も自分に言い聞かせる。

 でも、今のうちに手を離そうとした。それなのに、逆にリオンの方へ引かれる。


「今後はこのような事がないよう、気を付けます」

「それはもう、いいから。あのさ、誤解されるのを心配してるんだよね? だったら、手は離した方がよくない?」

「誤解?」


 菊花の名前を出したくない。けれど今、さくらはリオンの友人だ。だから、彼に最適な言葉を告げるしかない。

 そう思えば呼吸が苦しくなり、声が震えてしまった。


「菊花ちゃんに、それに、今の私達を見た、他の生徒にも、誤解、されちゃうでしょ?」


 納得した顔をして、リオンが離れる。そう思っていたのに、彼は僅かに不快そうな表情を浮かべるのみだった。


「それは誤解ではありません」


 リオンの言葉の意味も、怒らせてしまった事も、さくらには理解できていない。それなのに、彼は急に不敵な笑みを浮かべた。


「いっそ、私としてはそちらの方が好都合なのですが」


 ……何で?

 都合、悪すぎじゃないの?


 理解が追いつかず、変な顔をしてしまったに違いない。するとリオンは笑みを消し、切れ長の目を細めた。


「それとも、さくらが誤解されたくない人でも、いるのでしょうか?」

「え? そんな人いないけど……、あっ! そっ、その! ほら、私達って――」


 事実を伝えた瞬間、うかつな発言だった事に気付く。これでは自分は誤解されてもいいのだと答えているのと一緒だ。

 それにさくらが慌てれば、リオンの顔がゆっくりと変化する。その笑顔に目を惹かれれば、彼がさくらの言葉を優しい声で遮った。


「それなら、何も問題ありませんね」


 何でそんなに嬉しそうな顔してるの?


 答えは出ないのに、とくんと胸が高鳴る。他の事なんてどうでもよくなってしまうぐらい、今のリオンを目に焼き付けたくなった。

 けれど、繋いだ手をリオンが両手で包み込んできた。それに体が反応し、びくりとしてしまう。


「ここからが本題なのですが、さくらは夏休み、寮で過ごすと言っていましたよね?」

「う、うん」


 さくらの言い訳は聞かれる事なく流されてしまった。

 けれど見間違いでなければ、リオンの白い肌がどんどん赤くなっていく。それが気になり、何をそんなに恥ずかしがっているのだろうと思えば、さくらの耳に意外な言葉が届いた。


「それなら私と、ランピーロの開花を眺めに行きませんか?」

「…………え? 菊花ちゃんじゃ、なくて?」


 思わずもれた言葉に、自分でも動揺する。この誘いの意味は、さくらと仲を深めたいという意味だと、誤解しそうになる。

 すると、薄暗さの中でもほんのり輝くリオンの緋色の瞳が、揺らめいた気がした。


「私が誘っているのは、さくらだけです。この意味を、わかっていただけますよね?」


 まさか、ほんとに?


「そ、それって、リオンにとって私が……」


 そういう意味での大切な人なのかと、問おうとした。けれど、リオンの人差し指がそっとさくらの口を塞ぐ。


「その先は、ランピーロを眺める時に。私から、言わせて下さい」


 あまりにも近い距離でリオンと見つめ合う事になり、呼吸を忘れる。

 それなのに、未だ繋がったままの手が、彼の胸に寄せられた。


「だから、心の準備をしておいて下さいね」


 そう言い終えたリオンは、初めて見る異性の顔をしていた。


 準備……?

 準備って、何!?


 嬉しさと恥ずかしさが同時に全身を駆け巡るように、一気に体が熱くなる。そんな自分の顔を見られないように、さくらはこの場にへたり込みたくなった。

 しかしリオンが離れ、とても真剣な表情を浮かべて口を開いた。


「つきましては、ご両親に外出の許可をいただきたいのです。差し支えなければ今すぐ連絡を取っていただけますか?」

「へ? 外出? 薬草の森のランピーロを見に行くんじゃないの?」


 こてんと、同時に顔が傾く。きっと表情も同じだろう。しかし何故、リオンまでもが驚いているのだろうか。その答えは、すぐに彼の口から伝えられた。


「そうですよ? 夜間に自室から連れ出す。しかも異性と。ましてや私はヴァンパイアです。あとからその事実を聞かされたら、さくらのご両親は卒倒してしまうでしょう。本来ならば直接ご挨拶に伺いたいのですが、突然目の前に私のような純血のヴァンパイアが姿を現したら、ただの不審者ですからね」

「それ、ヴァンパイアじゃなくても不審者だから」


 そこまで考えてくれるのは嬉しいが、リオンの気遣いが斜め上で、思わずつっこんでしまった。


「そうですか?」

「リオンだって、目の前にいきなり誰かが現れたらびっくりするでしょ?」

「まぁ、確かに。勢い余って倒してしまうかもしれないですね」


 倒すって……。


 一瞬、瞬間移動でリオンを訪ねたアゼツが遠くに吹き飛ばされる映像が脳裏をよぎる。友であり弟の彼には、リオンから距離を取って姿を現すよう、アドバイスしておこう。そんな事を、さくらは心に決めた。


「あ、相手はちゃんと見てからにしてね?」

「極力、そうしますね」

「絶対にね? でもさ、私の家、知らないよね? どうやって行こうとしてたの?」

「住所を教えていただければ、地図の映像を見て移動できますから」

「そうなの!?」

「影が生み出せるのであれば、この世界のどこにでも。ですが、法に背いてまで家の中には入りませんので、安心して下さいね」

「さすがにそこまでは心配してないよ」


 ヴァンパイアって凄いなぁ。


 嬉しそうに教えてくれるリオンを見ていると、ヴァンパイアに対して悪いイメージを抱く事はない。

 けれど菊花の言う通り、彼は人間のようになりたいのだろうかと、疑問が浮かぶ。

 だからこそさくらは、リオンが菊花の事をどう思っているのかも含め、確認せねばと覚悟を決めた。

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