第18話 家族

 いつも穏やかな気持ちでいられる願いの木の側にいるのに、冷や汗が止まらない。

 それに気付いた時、さくらの目の前にアゼツが現れた。


「さくらー! 今度の健診……ちょっ、ちょっと! 顔が真っ赤ですよ!!」


 用があってさくらの位置を確認し、アゼツはここへ来たのだろう。けれど、にこにこした顔が一瞬で変化する。それが面白くて、気が緩んだ。


「ずっと、ここにいたから……」

「ずっとって、いつから!? じゃなくて、えーっとえーっと……、食堂へ!」


 肩を掴んできたアゼツと、瞬時に移動する。

 教会の礼拝堂のような造り。そしてどこまでも続くような白い壁には、歴代の先生達の写真が飾られている。

 それらを理解すれば、一気に涼しい空気に包まれ、まばらにいる生徒達の談笑も聞こえてきた。


「早く、何か飲んで下さい!」


 近くの席にさくらを無理やり座らせ、アゼツがテーブルに設置されているメニューボタンを押す。すぐにホログラムが現れ、それを眺める。

 今はアフタヌーン・ティーの時間なので、飲み物の種類も豊富だ。


「アゼツは、何にする?」

「ボクの事はいいですから、早く選んで下さい!」

「ははっ……。心配性なんだから……」


 正直、今は何も口にしたくない。でもそれを言ってしまったら、アゼツをさらに心配させてしまう。だから、麦茶を選択する。

 すると少しして、目の前に光の粒が渦巻き、透明なグラスに入った飲み物が現れた。こういう身近なところに魔法が組み合わさっており、未だに目を惹かれる。


「そういえば、健診とか、言ってたよね?」

「あ、そうでした。今週末でしたよね? 病院の方に行くのは。それ、ボクもやっぱり行きます」

「え? 時間かかるし、大丈夫だよ?」

「でも、さくらを病院まで1人で行かせるのも心配です」


 さくらが飲み物を口にした事により、アゼツが落ち着きを取り戻したようだ。

 まだ先程の、菊花から教えられた事を話せるまで頭が整理できていない。だから違う話題を出せば、正面に座るアゼツがずいっとこちらへ顔を近づけ、囁き始める。


「あと、さくらと一緒にいられる時間が減ったので、なるべく一緒にいたいんです」

「あ、その気持ち、わかる。ずっと一緒だったもんね」


 照れたように頬を染めて話すアゼツが、さくらの言葉でさらに赤くなった。よほど恥ずかしかったようで、彼は誤魔化すようにすぐに姿勢を正した。


「それに、さくらの両親は、今はボクの両親でもあります。だから、なるべく一緒に過ごす時間を作りたいなって、思うんです」


 家族というものも初めてなアゼツは、『何だかくすぐったいです』と嬉しそうに話してくれた事がある。両親はアゼツの敬語が気になるようだが、それも個性だと、最近は受け入れ始めている。


「そういう理由なら、一緒に行こう! それにほら、私の経過観察もあるし、夏休み中も寮で過ごすでしょ? だから寂しいって、お父さんが言ってたし」

「いつも思うのですが、さくらの両親はもの凄く、よく喋りますよね? どうしてなのでしょうか?」


 さくらに笑顔で頷いたアゼツも、ようやく飲み物を注文する。彼がよく飲むのは、スムージー。果物が好きなようで、新作は全部試している。

 けれど、『にんじんが多めに入っているのもが1番好きです!』なんて宣言された時には、やっぱり元がうさぎだからなと、妙に納得したのは秘密だ。


「私達がどんな事を考えているのか、少しでも理解したいからってお母さんが言ってた。それにね、話せる事が嬉しいんだって。あとアゼツも、私と同じように自分の子供として接したいって。血の繋がりがないからって寂しい思いはさせたくないって、言ってたよ」


 アゼツは目の前に現れたキャロットマンゴージュースをすすりながら、さくらの言葉を黙って聞いていた。


 両親は最低でも月に1度は学園を訪ねると約束してくれた。実際は毎週来てくれる。その時、どんな事があったか、何が楽しかったのか、悲しい事はなかったのかなど、聞いてくれる。そして、どんな些細な事でも一喜一憂して、寄り添おうとしてくれるので、面会時間がすぐに終わってしまう。

 でもそれが嬉しくて、照れ臭くもある。


「会話するって、やっぱり大切なんですね。ボクはうまく、伝えられていますか?」

「いつも楽しそうでしょ、お母さんもお父さんも。だから、伝わってるよ。それにさ、うまくとかじゃなくて、話したい事を話せばいいよ。それが1番、喜んでくれると思う」


 アゼツも手探りなのだろうが、歩み寄ろうとしている。たまに変な事を言うが、両親はそれを聞けるのも楽しみなようだ。

 それぐらい、通信機器を通しても、直接話す時も、幸せな時間なのは間違いない。


「……あの、ボク、さくらの両親の事を――」

「さくら!!」


 さくらの言葉が途切れたのを合図に、もじもじし始めたアゼツが、上目遣いになりながら何かを言いかけた。

 しかし、食堂の入り口に現れたリオンの声にかき消される。


「ど、どうしたの?」


 どうにも意識してから、リオンの声に心臓が勝手に反応する。こうなると止められないので、気付かれないように振る舞うしかない。


「こんなに暑いのに、ずっと外にいたって聞いて。具合はどうですか?」

「誰からですか?」


 だいぶ慌てているリオンに対して、アゼツが怪訝な顔をした。


「ノワールから、聞いて」

「ノワール?」

「心配で声をかけようとしたら、アゼツが食堂に連れて行ったって、わざわざ連絡してきて……」


 ノワールもあそこにいたんだ。

 こんなに暑いのに?


 意外な人物の名前に、さくらも問う。

 周りに人の気配なんてなかったはずだが、それはさくらの意識が別の事に集中していたからだろう。

 何より、あそこには願いの木がある。さくらにとってもみんなにとっても特別な場所なので、いても不思議じゃない。

 けれど、リオンに伝える意味がわからない。

 だから理由を考えようとしたのに、リオンが身を屈めながらさくらをうしろから包み込むようにして、顔を覗き込んでくる。

 その事実に、頭が真っ白になった。


「気分はどうですか?」

「え、あ、アゼツが! アゼツがすぐにここに連れて来てくれたから、飲み物飲んで、もう、元気……」


 心配そうな緋色の瞳に見つめられ、さらに心拍が速くなる。けれど同時に、この目を無くさないといけないかもしれない事に、動揺を隠し切れなくなる。

 けれどリオンはほっとしたように微笑み、さくらの手を握った。


「少しだけ、時間をもらえますか?」

「え、なっ、何!?」

「ちょっと! 今、さくらはボクと話していたんですよ! ノワールみたいにさくらに触らないで下さい!」


 ぎゅっと、少しだけ手に力を入れながら話すリオンに、体が沸騰したように熱くなる。

 そこへ、立ち上がったアゼツが割り込んでくる。


「申し訳ないのですが、アゼツの、お借りしますね」

「貸しません! 特にリオンには!」

「ご、ごめんアゼツ! 私もね、リオンに話があって……」

「ここで話せばいいじゃないですか!」

、話したいのです」


 リオンが顔だけをアゼツへ向ければ、怒った彼に拒否されていた。しかしこれは良い機会だと、さくらもリオンに話を合わせる。

 それなのに、2人の喧嘩が始まり、他の生徒も何事かと目を向けてきた。


「ちょっと、2人とも落ち着こう? アゼツの話が終わってから、場所を移動してもいい? 何か言いかけてたよね、アゼツ?」


 リオンに少しだけ待っていてもらおうとしたのに、アゼツがぷるぷるしている。


「ボクは、さくらと2人で話したかったんです! もういいです! 自室へ!」

「まっ――」


 しまったと思った時には遅くて、アゼツは瞬間移動してしまった。言い出しにくそうにしていたのは、よほど大切な話だったに違いない。

 けれど今すぐ連絡しても、彼はもっと怒るだろう。だから夜にでも、日を改めて話を聞くと伝えようと決める。

 だからリオンへ目を向ければ、気まずい空気の中残された彼は、眉を寄せていた。


「申し訳ありません。大切な話の途中だったようで……」

「私の言い方も悪かったんだよ。あとでちゃんとまた話をするから、気にしなくていいよ」


 距離は変わらず近いが、落ち込んでいるリオンを励ます事に集中する。

 すると、彼の表情が和らいだ。


「ありがとうございます、さくら。それなら、女子寮まで送りますので、その間、話を聞いてくれますか?」

「わ、わかった」


 前にも増して、キラキラして見える……!


 格好いいのは、知っている。けれど、こんなにも輝いて見えるのも恋の作用なのかと、さくらは新たな事実に驚かされっぱなしになる。

 しかもさくらが立ち上がるために1度離した手は、すぐに繋ぎ直されてしまった。でもここで動揺したら、気持ちが知られてしまう気がして、平然を装いながら返却ボタンを押す。

 さくらとアゼツの飲み終えたグラスが光に包まれ消えたのを確認し、リオンがゆっくりと手を引いてくる。


「では、行きましょうか」

「う、うん……」


 ただ、帰りながら話すだけ。それだけなのに、特別な場所へ行くように、さくらの胸が高鳴った。

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