第17話 知ってしまった事

 幼子でも見守るようなアリアの視線に耐え切れず、下を向く。グレーのスカートは無意味な皺を作り、さくらの握りしめる手に力が入っている事を伝えてくる。

 すると、ぎしっと、アリアのベッドが鳴った。


「答え、出た?」


 ぽふんと音を立てるように、アリアが隣に座ってくる。声色だけでわかるのは、彼女が嬉しそうな事だけ。


「うん……」


 肯定の意味を告げた事実に、全身が熱くなった。


「周りから恋してるって言われてから気付くなんて、思ってなくて……」


 これ以上顔を赤くするのを止めたくて、意識を逸すように声を出し続ける。

 すると、アリアがくすりと笑った。


「さくらちゃん、みんなを平等に大切な人として見ようとしていたもんね。それにね、恋に気付く余裕がなかったのかもしれない。でもちょっと、鈍いなーなんて、思ってたんだよ?」


 最後の言葉がぐさりと胸に刺さり、さくらは思わず横を見た。すると、少しだけ意地悪な顔を覗かせるアリアと目が合った。


「だからね、これからたくさん、さくらちゃんの恋の話、聞かせてね?」


 薄緑色の瞳を輝かせるアリアに反論できるはずもなく、さくらは頷く。すると彼女は誰かに連絡を取り始めた。



 このあと、女子会という名の作戦会議が始まり、女の子達に根掘り葉掘り聞き出された。

 だからさくらもリオンとの様々なやり取りを思い出し、熱がずっと冷めないまま、しどろもどろで答えた。

 その時、決まってしまった事がある。


『ランピーロを2人きりで眺めるのはどう?』


 アリアからの提案に、他の女の子達が賛成する。これはゲーム内のイベントでもあった、夏休みの夜、光る白い花の開花を見るものだ。

 ランピーロが花開くとき、花弁の中に閉じ込められていた光が空へ舞い上がる。それを大切な人と眺めれば、仲が深まると言われている。


 何故そんな行動を起こさねばならないのか。まだ気持ちが追いつかないと伝えたが、『そんな事言ってたらさくら先輩、ずっと動きませんよね?』なんて、フィオナから言われ、ぎくりとした。

 好きになったからと、今すぐ関係を変えるつもりはなかった。けれど、フィオナの言葉に背中を押され、自分から誘うと、宣言してしまった。


 ***


 7月中旬。

 下旬までにリオンを誘わないと、夏だけに咲くランピーロの開花に間に合わない。でもその前に、菊花とも話をしなければならない。

 最近、どことなく上の空な菊花の様子が気になり、肝心な事は伝えられずにいた。けれど、時間が経てば話しにくくなると思い、放課後、彼女を誘い出した。


「話って、何かな?」

「今まで、ちゃんと言えなくてごめん。私、もう菊花ちゃんに協力できない」


 熱のこもる風が、西日をさらに強く感じさせる。しかし今は、青く輝く願いの木のそばにいるので、視覚的には涼しい。

 それでも、この時期に外にいる生徒は少なく、ましてや用のない正門付近など、誰もいない。

 だから、さくらはここを選んだ。


「どうして?」

「今さらなんだけど、私もリオンが、好きだから」

「だから?」

「え……」


 この理由で菊花が何故納得してくれないのかわからず、唖然とする。


「それなら、一緒に頑張らない?」

「一緒に?」

「だって、リオンがわたしとさくらちゃん、どちらを選ぶのかなんて、まだ決まっていないでしょ?」


 確かに、という言葉を飲み込み、さくらは改めてきちんと気持ちを伝える。


「ごめん……。私、菊花ちゃんみたく、思えない。だって、一緒に頑張ったら、きっと……」

「きっと?」


 この前の球技大会が、2人の恋のきっかけになっているかもしれない。

 それに、菊花は自分にないものをたくさん持っている。綺麗な容姿も、長く艶のある黒髪も、そして、いつも真っ直ぐな言葉も。

 その、どれもが羨ましい。でも、さくらはさくらにしかなれない。

 それでも、そんな菊花に近付きたくて、気持ちを隠す事をやめる。


「きっと、選ばれるのは菊花ちゃんだと、思うから」


 菊花に促され言葉にした事で、胸がずきりと痛む。リオンが選んだ相手なら、祝福したい。でも、自分を選んでほしい。

 恋をするのは辛い事でもあるのだと、さくらは知ってしまった。

 それなのに、菊花が冷たく笑った。


「それ、本気で言ってるの?」

「本気でしか、言ってないよ」

「そっか。まぁ、さくらちゃんだもんね。嫌味とかじゃないのがまた、嫌だな」


 さくらの反応を覗き込むように菊花が顔を近付け、呆れたような笑みを浮かべた。


「だから、ちゃんと話してくれたさくらちゃんに、情報をあげる」

「情報?」


 菊花の少しだけしっとりした両手が、さくらの頬を包む。彼女の真っ黒な瞳に自分の姿映っているのが確認できた時、菊花の声が届いた。


「ヴァンパイアはね、自分の生命維持のために血を求める。今は薬でどうにかなっているのかもしれないけれど、それもいつかは限界を迎える」


 ヴァンパイアの話をしているが、それがリオンの事を指し示しているのがわかり、暑さを忘れる。


「その時、さくらちゃんはリオンのために、何ができる?」

「何って、それは――」


 菊花が僅かに首を傾げる。さくらは顔を固定されたまま、答えようとした。


 血をあげるのが、解決策なんだろうけど……。

 でも、リオンは血を飲みたがっていない。


 ゲーム内で、リオンは正気を失うまで血を飲む事を我慢していた。そんな彼はきっと、誰の血も望まないだろう。

 だから、返答に詰まる。

 すると、菊花の笑みが深くなった。


「さくらちゃんも知ってるよね、リオンが人間の血を飲まない理由。アリアを好きになったから、飲まないって設定」


 またもゲームを連想させる言葉が吐き出され、さくらは伝えようとしていた事を思い出す。


「話の途中だけどさ、その、設定とかいう言い方、凄く嫌なんだけど」

「どうして?」

「ここは現実だよ? ゲームの中じゃない。だから、生きているみんなと向き合ってほしい」


 きょとんとした顔になった菊花が、さくらの頬から手を離す。

 そして、願いの木を見上げた。


「生きてる……、か」


 菊花の呟きが、やけに耳に残る。しかし彼女はすぐに目線を戻し、微笑んだ。


「さくらちゃんが嫌なら、言い方に気をつけるね」

「うん。そうしてくれると、嬉しい」

「さくらちゃんって、本当に素直だね」


 風が吹き、願いの木がカチチッと葉音を立てる。その中で、汗で首筋に張り付く長い髪が、菊花に色気を与えている気がした。

 そんな彼女の口元が、動き続ける。


「生きているみんなを大切にするさくらちゃんは、アリアに恋をした時から人間のように生きたいと願っているリオンも、大切にしてあげられる?」


 人間……?


 もしかしたら菊花は設定の話をし続けているのかもしれないが、それよりも気になる事があった。


「リオンの願いは、叶えられるの?」


 もし本当にそんな方法があるなら、知りたい!


 リオンには、嫌な思いをしてまで血を飲んでほしくない。そんな想いを強く込めて、微笑む菊花を見つめる。すると、こくんと頷かれた。


「リオンの場合は純血だから、他のヴァンパイアのように完全に人間には近付られないけれど、薬で抑えられるものにはなる。限界を迎える事もないよ」

「教えて! どうすればいいの?」


 リオンの望みを叶えたい一心で、縋るように問う。すると、菊花が囁いた。


「目をね、潰してあげればいいの」


 ……目?


 菊花はいつも通り笑っている。けれど、何を言っているのか理解できない。


「純血はね、あの赤い目の力を維持する事で生命力をかなり消費しているの。使わなくても、ただそこにあるだけでも、ね。だからね、リオンが苦しんでいたら、それを実行できる? それぐらい、できるよね? 大切な人、だもんね、さくらちゃんにとって」


 だからって、そんな……。


 大切だからこそ、そんな残酷な決断はできず、声が出せない。

 そんなさくらの頬を優しく撫でながら、菊花が目を細めた。


「わたしはできるよ。大切な人の望みは、何だって叶えてみせる」


 すうっと、さくらの頬から移動した菊花の指先が、あごを撫でた。


「協力してもらえなくて残念だけれど、お互い、頑張ろうね」


 満足そうに見える笑みを浮かべて、菊花は歩き出してしまった。

 残されたさくらは知らされた事実に、ただ立ち尽くしていた。

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