第15話 菊花とノワールの内緒話
夕日の中でも輝く願いの木は、血のように赤い桜を咲かせている。普段の太陽の光を浴びてほんのりピンクに色付く姿とは、程遠い。
それでも吸い寄せられるように、菊花は眺め続けた。
まだ、わたしの知らない事がある気がする。
それにさくらちゃん、どんどん元気がなくなっていくし。
やっぱり、ヒロインじゃなくなるのは嫌なのかな?
でもずっとヒロインでいるのは、ずるい。
自分の中で妬みがあるのは自覚している。誰とも結ばれなかったとしても、クリアした事実を突きつけられた時から、それは増している。
だからこそ、リオンの攻略を諦めきれない。
さくらちゃん、リオンが好きなんだろうけれど、彼との試練を受け止められるのはわたし。優しいさくらちゃんにはきっと無理。
可哀想だとは思うけど、それが事実だから。
だから早く、リオンの好感度を上げなきゃ。彼が1番好感度を上げやすいはずなのに、手応えがない。
急がなきゃ、夏休みになる。それまでに、少しでも好きになってもらわないと。
願いの木に触れれば、つるりとした感覚が冷たさと共に伝わる。本当に植物なのだろうかと思う程、鉱石のように青く輝く幹は、引っ掻いても傷ひとつ付かない。
この木にそのような事ができるのは、設定通りなら、他種族か魔法使い、もしくはあの力だけ。
球技大会はあった。だからこれからもイベントに沿った出来事が起きるはず。
でも、変。
リオンに関する七不思議の噂を聞かない。これが彼個人のイベント発生条件なのに。
やっぱり影で顔を隠していないから、イベントは起こらないの?
それならラウルのイベントも……。
逆ハーレム要素はないのに、さくらちゃんはどうやって同時に攻略できたの?
特別ルートって、いったい何?
そんなの、いつ考えていたんだろう……。
菊花は目を閉じ、願いの木へ額をつける。そして、夢の中の記憶を探る。
それにさくらちゃんの事も、やっぱり気になる。
記憶力がいいって言っていたのに、歴史のあの点数。
悪いなと思いつつも、後ろから見えたあの答え。わたしも知ってる。
驚きすぎて、その事はまだ聞けていない。でも……。
さくらちゃんもわたしも、やっぱり夢の世界が本当の現実なんじゃ――。
そう考えた瞬間、甘さを含む穏やかな声がした。
「君はよく、ここにいるよね?」
すぐに目を開け、横を向く。すると、少し離れた場所にノワールが立っていた。いったい、いつからいたのだろうと、警戒しながら彼と向き合う。
「ノワール先輩、お1人なんて珍しいですね」
先程まで鮮血のような色の光を届けていた夕日が、いつの間にか黒味を含む色へと変わっている。それに染まるノワールは、笑みを浮かべた口元を片手で軽く隠した。
あの仕草は、人を見下している時。
何か、企んでいる時でもある。
だからそういう裏があるノワールは攻略したくないし、気を付けないといけない。
1番、わたしと考えが似ている人だから。
ノワールの詳細を思い出しながら、悟られないように、にこりと微笑む。
すると彼も笑みを深くし、話し出した。
「どうして君は、いつもここに来るのかな? この学園には、他にも楽しく美しい場所があるだろう?」
「そうなのですけれど、それでもここが、お気に入りなんです」
「じゃあ僕も、ここに通っていいかな?」
「どうしてですか?」
ノワールが気にかけるのは、心に影のある子。そういう意味では、わたしも当てはまるのか。
演じきれていなかった自分に内心で舌打ちし、それでもどうにかノワールの興味を削ごうと試みる。
「そんな事をしたら、ノワール先輩を好きな女生徒さんが寂しがりますよ? いつもの皆さんといつも通り過ごして下さい。それがノワール先輩らしいです」
ここまではっきり言えば、ノワールは気付くはず。
あなたと一緒にはいたくないって。
心とは裏腹に、笑顔は崩さない。
けれどノワールの瞳が悲しげに揺れ、彼の口元から手がゆっくりと離れた。
「どうやら僕は、相当君に嫌われてしまったようだね」
珍しく、ノワールが粘る。彼の場合、気持ちが読み取れていたら引いてくれるはずなのだ。
ヒロインを除いて。
嘘……。
リオンの手応えがないのは、いつの間にかノワールの好感度が上がっていたから?
でもおかしい。いつ、ノワールルートに入ったの?
ノワールとの接点はほぼ無い。いつもさくらを通してた。
彼のルートはイベントらしいイベントは起こらず、ほぼ会話だけで好感度を上げ切り、最後だけ選択肢が現れるのだ。
ここは現実だからそんなものは出てこないが、ノワールに気に入られる台詞なんて言った覚えがない。
予測していなかった事態に、菊花の返事が遅くなる。
すると、切なそうな顔をしたノワールが近づいてきた。
「僕がここに来たい理由は、他にもあるんだ」
ノワールらしくない、ぼそりと呟く声に気を取られれば、彼の琥珀色の瞳が間近に迫った。
「この、願いの木。これは僕にとって大切な場所であり、思い出なんだ」
「……思い出、ですか?」
「そう。きっと、変な事を言っていると、君は笑うかもしれないけれどね」
ゆっくりと瞬きするノワールは微笑みながらも、どこか真剣さが窺える。だからこそ、尋ねてしまった。
するとノワールは一度言葉を切り、内緒とでも言いたいように、口の前へ人差し指を出した。
「実はね、僕は、消えてしまったゲームの中の、住人だったんだ」
……まさか!
驚きに叫びたくなるも、ノワールの気が変わらない内に問いかける。
「ノワール先輩も、記憶が、あるんですか?」
「あぁ、やっぱり。ここに通うのはそういう意味があるのかなって、ずっと思っていたんだ」
ノワールはとても気まぐれで、すぐに興味を無くす。だからこそ菊花は本題へ入った。
それに素直に答えてくれるノワールが、安心したような笑みを浮かべて、続きを紡ぐ。
「菊花も、僕と同じなんだね。君はゲームの中にいなかったけれど、記憶が2つ、あるんだろう?」
あまりにも優しく囁かれ、菊花の警戒が薄らぐ。そこへ入り込むように、さらにノワールの言葉が流れ込んでくる。
「これは、誰にも言っていない、僕の秘密。同じ思いを抱えているであろう菊花だから、伝えたんだ。ここにいる君は、いつも泣いてしまいそうな顔をしていた。だから、力になりたい」
「力って……?」
思わず聞き入れば、ぼんやりと口にした言葉にはっとする。そんな菊花の事を気にする素振りもせず、近距離のまま、ノワールが答える。
「僕に出来る事はない? 記憶があるのなら、君の力になれないだろうか? 君は、何を願っているの?」
これは、本心?
こんなに真剣なノワールは、ヒロインしか見れないはずなのに。
……ずっと、変な事ばかり。もう、ゲームのシナリオ通り、進まないのかもしれない。
でも、諦めるわけにはいかない。
ノワールの事を見極められていないのは、自分が焦っているから。けれど、彼の性格は把握している。
だから、利用できるものは、何でも利用してやる。
夢の中の情報がある限り、ノワールの好きなようにはされないだろうと予想し、菊花は彼の質問に正直に答える。
「わたしは、トゥルーエンドを目指したいだけ。母の願いを、叶えたいの」
『恋のかたちを知りたくて』の製作者は、自身の母。夢の中でずっと見てきたのだ。嬉しそうに説明する母を。
けれど、残念な結果に涙していた母の言葉が、忘れられない。
『誰にも、最後まで楽しんでもらえなかった』
どんな形であれ、クリアするのは自分でありたかった。しかしさくらに先を越された。それも、知らないルートで。
だから菊花には誰かと結ばれてクリアするしか道がないと、自身を追い込んでいる自覚はある。だから、母が1番最初に設定を考えていたリオンを選んだのもある。
それぐらい、夢だが、こんなにリアルなものはないと感じていた。そして菊花はいつしか、夢の世界が現実であるような錯覚を抱いて生きてきた。
この世界に生きる母は救う必要がない。けれど、もう1人の母の悲願を達成すれば夢に変化が現れ、救えるかもしれない。それだけを願って、ここへ来た。
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