第13話 恋愛対象

 夕日の色に染まり始めた教室。廊下からは、誰の足音も響いていない。

 だから窓の外からの音に驚き、さくらは急いで横を向いた。


「誰かと思えば、クレスくんとキールくんですね」


 アデレード先生が小声で魔法を解除しながら立ち上がり、窓を開ける。

 何故空を飛んでいるのか疑問もあるが、黒の翼をはためかせたキールが口を開いた。


「アデレード、さくらを借りていいか?」

「特別授業は終わりましたから、気分転換をさせてあげて下さい。さくらさん、今回の授業が物足りなければ、遠慮なく連絡して下さいね」

「は、はい!」


 全く勉強なんてしていないが、さくらがまだ言い足りない事があればと、そういう意味で贈ってくれた言葉に気付く。

 すると、双子が同時に微笑んだ。


「さくら! 散歩しよ!」

「散歩?」

「ベランダに出てくれ」

「ベランダ?」


 訳がわからないが、言われた通り動く。すると、青く小さな光球がさくらの足元を撫でるように消えた。


「あれ? 靴?」

「さくらさんの荷物は自室へ送りました。履き物も交換しておきましたよ」


 後方からアデレード先生の声がすれば、クレスとキールに手を握られる。今のは魔法なのだろうが、理解できないままに周りが動く。


「あまり無理はさせないように」

「はーい!」

「では、行くとしよう」

「え、えっ!?」


 振り返れば、笑顔のアデレード先生が手を振っていた。クレスも笑い、キールに手を引かれる。

 そして彼らと触れる部分がぽかぽかしてくれば、足が地面から離れた。


「「いざ、空の散歩へ!」」


 双子の声が揃えば、本当に空中へと飛び立つ。


「まっ、待って、どうしたらいいのっ!?」

「手を離さなければいい」

「最近さぁ、雨ばっかりだったからようやく誘えたんだよねー!」


 6月の下旬ではあるが、梅雨は明けたのに空の機嫌が悪かった。でもだからといって、晴れたからと急なサプライズをされる意味もわからない。


「歩いてみるか?」

「スピード上げる? 全力出しちゃうよー!」

「あ、歩く!? 歩き方、わかんないよ! す、スピードはこのままで!」


 飛ぶのも慣れていないのに、キールからの提案は受けられない。ましてやクレスの速さはアゼツが涙目になって『怖かった』と教えてくれた事があるので、絶対に避けたい。


「じゃあゆっくりと、景色でも眺めてくれ」

「さくら、空飛ぶの好きだもんね! ゲームの中だったけどさ、ほうきで何度も飛んでて楽しそうだったし!」

「えっと、もしかして、私を楽しませようとしてくれてる?」


 不安定な浮遊感もなく、絵の中にでも飛び込んだような風景に、心が落ち着いてくる。

 未だ理由はわからないが、キールとクレスがさくらの好きな事を実行している事は理解できた。


「そ! だってさくら、全然元気ないんだもん」

「アデレードも気分転換と言っていた。これで少しは気が紛れるか?」


 アデレード先生が気付くぐらいだ。

 2人だって、わかるよね……。


 きっと、他のみんなにも心配をかけてしまっているだろう。でもその気持ちが嬉しくて、さくらの視界が歪む。


「ありが、とう……」

「なんでなんで!?」

「どうした?」


 飛ぶのをやめ、クレスとキールがさくらの顔を覗き込んでくる。


「最近ね、恋のお手伝いをしなきゃって、思ってて。でも、できなくて、よくわかんなくなっちゃって。それなのに、私の事、見ててくれて、ありがとう」


 手を離す事はできないのに、涙が止まらない。そんなさくらの目元を、困り顔の2人が優しく拭ってくれる。


「それだけどさ、さくら、自分の事はいいの?」

「自分?」

「さくらも恋したらいい」

「誰と?」


 みんなの恋のお手伝いをしたいのに、自分の事までは無理だと思うんだけど……。


 恋をしながら恋のお手伝いとは、自分には難易度が高いと自覚している。何より、相手がいないのだ。こればかりはどうする事もできないはずなのに、クレスとキールが吹き出した。


「恋のお手伝いっていうけどさ、気付いてないの?」

「気付く?」

「自分達の恋愛対象がさくらになる事もある」

「えっ!?」


 なんで!?

 ヒロインでもないのに!?


 クレスはもう我慢できないとでもいうように、すみれ色の瞳に涙を浮かべて笑い続けている。けれど、碧の目を楽しげに細めたキールの言葉に、さくらは周りを気にする余裕がなくなった。


「むしろさー、ぼく達が1番好きになる確率が高いのはさくらなのに、なんで自分を除外してるのさ!」

「そうなの!?」

「だから、さくらも自分達の誰かを好きになっていいんだ」

「えっ!?」


 考えもしなかった!!


 ゲーム内で攻略しない事を優先していたため、お互いにそういう対象ではないと思い込んでいた。だからこその衝撃で、固まってしまう。

 すると、2人が何かを企むような顔を近付けてくる。


「だからぼくと恋してみる?」

「だから自分と恋をしてみるか?」

「え……、はぁっ!? な、何言って……!!」


 両耳に吐息がかかるようにクレスとキールから囁かれ、恥ずかしさで全身が熱くなった気がした。


「さくらってわかりやすいよねー! そこがいいとこだよね!」

「だな。何を迷う必要があるんだろうな」


 笑いながら顔を離したクレスとキールは双子らしく、鏡合わせのように同じ表情を浮かべている。


「私、わかりやすい? それに、迷ってるって?」

「わかりやすいよー!」

「そ、そうなんだ……」

「迷っているのは他の奴だ。さくらはその段階でもない」

「何それ! 誰か悩んでるの?」


 さくらが首を傾げれば、藍色の長い髪が乱れる程クレスが頷く。そこまでなのかと軽くショックを受ければ、キールはプラチナブロンドを後ろへ払い、見た目は天使なのに悪魔らしい笑みを浮かべた。

 そしてさくらの問いに、鼻で笑う。


「それは気にしなくていい。そのうち解決する。今はさくらだ。自分達は本当に恋をしてもいいと思うが、さくらは違うだろう?」


 珍しく意地の悪い笑みを浮かべるキールだが、クレスも同じ顔をしている。

 何かを試されているのだろう。でも、それがわからない。


「はっきり言おうか」


 低い声を出したキールに「それがいいよ!」なんて、クレスは白い翼をはためかせながら明るく言い放つ。


「さくらはもう、恋をしているだろう?」

「恋? してないよ?」

「あー! やっぱり!! まーだ気付いてないの!?」

「まだって……」


 やれやれといった感じでキールとクレスから首を振られ、若干いらっとする。それぐらい、心当たりがない。

 すると、2人が声を揃えた。


「ゲームの時から恋してるよ!」

「ゲームの時から恋していたぞ」


 は?

 何言って……。


「………………えぇっ!?」


 一瞬、考えた。何でそんな嘘をと。

 しかし、ゲーム内でクレスとキールは感情を知る力を通常時でも使い続けていた。だから彼らの前では嘘がつけない。

 それに気付き、大声を上げた。

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