第二章
第12話 初めての赤点
菊花と秘密を共有してから、ぼーっとする事が増えた。彼女の正体はもはや、探る気にもなれない。わかったところで、現状が何も変わらないからだ。
そして、菊花とリオンの恋をお手伝いするのも、思ったよりも大変だった。
ラウルには悪いが、ここは気持ちが通じ合っている2人を優先しようと心を鬼にしたのだ。
しかしリオンに避けられる事が続き、うまく事が運ばない。
きっと、自分と話す事で好きな人に誤解されたくないからだろう。ゲーム内でも元攻略キャラのみんなはノワールを除き、頑なに攻略されたくないと言っていたのを態度でも示していた。
それを知っているからこそ、さくらはこの考えに至った。
何故か安堵もしていたが、寂しい気持ち、そしてもどかしさを感じて、気が休まらない。それが理由で、勉強も疎かになった。
結果、さくらは初めての赤点を取った。
勉強だけが、取り柄だったのに……。
アデレード先生の特別授業という名の補習を受けるべく、誰もいない自分の教室で1人、考えにふけっている。
みんなも同席したがったが、付き合わせるのは悪いからと、断ってしまった。
実際は、この状況が情けなくて1人になりたかっただけ。
やはり新しい歴史が覚えきれておらず、融合前の記憶とごちゃごちゃになってしまい、悲惨な結果に。
昨日は両親にも心配され、わざわざ仕事を休んでまで学園に来てくれた。
『あんなに大変な手術だったんだ。勉強の事は気にしなくていい。術後、それだけの影響で済んでいる事が、お父さんには奇跡に感じるよ』
『今まで、入院しながら勉強を頑張ってきた事はよく知ってるのよ? だからね、頑張り屋さんなさくらは、自分を責める事なんてないの。今回もよく頑張ったね』
お父さん、お母さん……。
手術の影響なんて、嘘ついてごめんなさい。
さくらは面会室での会話を思い出し、また泣きそうになる。両親の姿を見たら勝手に涙が流れ、慰められ続けた。
術中に生死を彷徨った影響で、部分的に記憶があやふやになってしまっていると、アデレード先生が伝えている。
だからこそ、本当の事が言えないやましさが態度に現れたのかもしれない。
泣き顔なんて、見せたくなかったのに。
さくらだけではなく、両親だって一緒に病気と闘ってくれたのだ。もう元気な姿しか見せないと、そう決めていたはずだった。
どうしちゃったんだろ、私……。
闘病中、誰かの前で泣く事なんてなかった。それなのに、今はその時よりも気持ちが不安定だ。
すると、コツっと、ヒールの音が響いた。
「さくらさん、お待たせしました」
アデレード先生が転移の魔法で現れ、さくらに微笑みながら近付いてくる。
「アデレード先生の自由な時間まで、申し訳な――」
「これは先生として当然の事で、また、私個人としても、動きたくて動いた事です。なので、さくらさんから謝られる理由が見当たりませんが?」
紫銀の髪をなびかせながら歩いてくるアデレード先生へ、頭を下げようとした。
しかしそれより早く、先程よりも柔らかい声で静止される。
「でも……」
「テスト後、急遽でしたが前の世界の歴史に関する問題だけを送りましたよね? そちらは満点でした。なので覚えるまでが大変でしょうが、さくらさんなら大丈夫でしょう」
自室に直接送られてきた、融合前の歴史のテスト。それはすらすら解けた。しかし、現在の歴史はいつ覚え終わるのかわからない。
途方に暮れたくなるさくらの前の席へ、アデレード先生が面接でも始めるように、静かに腰を下ろした。
「ですから今日は、違う話をしましょう」
何を言っているのか理解する前に、アデレード先生が眼鏡を指で軽く押し上げる。
「さくらさんの笑顔が消えてしまった理由は、何でしょうか?」
「え……」
予想もしていなかった言葉に、声がもれた。
それをアデレード先生は気にする素振りも見せず、さくらの返事を待ってくれている。
「私、笑えてませんか?」
「責めているわけではありませんよ? ただ、大切な友人が辛い思いをしているのなら、私にできる事はないかと、足掻いているだけです」
ゆう、じん……。
まさかの言葉に、さくらの目頭が熱くなってくる。
「今は私と2人きりです。きっと周りからは、勉強をしているように見えるでしょう」
急いで涙を拭えば、アデレード先生が指をくるくると回し、何か魔法を掛けている。それは彼女の言葉を実現させるものだろうと、ぼんやり思う。
「私といる事は、不快ではないですか?」
「……そんな事、あるわけないです!!」
突然、穏やかな表情のままアデレード先生が問いかけてきた内容に、さくらの意識がはっきりとする。次いで、机を叩きながら立ち上がりかけた自身にはっとし、座り直した。
「そこまではっきりと否定してもらえる事が、どんなに嬉しいか。私達は皆、試練を乗り越えここに存在しています」
幸せそうに微笑んだアデレード先生が、真剣な顔になる。
「確かな絆があり、言葉は必要ないかもしれない。けれど、その人の心は、その人が言葉にしないと伝わりません。だからこそ、さくらさんの心を、教えてほしいのです」
アデレード先生の真っ直ぐな言葉と、慈しむような眼差しに、さくらの胸の中から何かが溢れてきた。それを、何とか言葉にしてみる。
「あの、私……、自分が、わからなくて」
「何が、わからないのですか?」
机の上で組む自身の手を、アデレード先生が包み込んでくれる。ひんやりとしたが、すぐに心地好い温もりが伝わり、心が緩んでいく。
「みんなの恋をお手伝いしたいはずなのに、したくないんです……」
菊花とゲームの話をしたその時の、彼女の言葉から違和感が拭えない事。それが先に出てくると思っていたのだが、さくらが最初に口にしたのは別のものだった。
「何故、でしょうか?」
「みんなを、誰かに取られちゃうみたいで、寂しくて、それが、嫌で。子供っぽいのはわかってるんです。でも、どんどん独占欲が出てきて……」
「わかりますよ。大切な人が自分以外も大切にするのを、喜べない時もあります。自分とだけ仲良くしてほしいと思うのは、悪い事ではありません」
「でも! でも……。これじゃ、みんなに、嫌われ……」
みんなが大切にしてくれるのは、こんな事を考える自分ではない。だからまた目の前がぼやけ、最後まで言葉にならなかった。
「誰かに嫌われてしまう事は、とても怖い事です。ましてや大切な人にそう思われてしまう恐怖は、消し去る事はできないでしょう。けれどさくらさんはその感情に任せて、誰かを傷付け、相手の自由を奪う行動は起こしていませんよね?」
涙を拭いながら、アデレード先生の言葉に頷く。そんなさくらの頭を、アデレード先生はゆっくりと撫で続けてくれた。
「言い換えれば、それだけ相手を思い遣る心も同時に存在しているのです。それは確かに、相手にも伝わっているはずです。ですから、そんなさくらさんを誰が嫌いになれるのでしょうか? 人には相性というものも存在しますが、私達がさくらさんを嫌う事は一生、ありませんよ」
強調した言い方をしたのは、さくらを安心させたいからだろう。そんなアデレード先生の心遣いが嬉しくて、さらに溢れた涙を押さえるように、両手で顔を覆う。
「さくらさんは孤独ではありません。それでも、こうして自分の見たくない感情が湧き上がってきた時、誰かに向かって言葉にする事はとても苦しいでしょう。けれど、その瞬間に自分の心と向き合っている。ゲーム内の時からずっと変わらずに、ですよね。それがさくらさんの強さです」
強さ……。
本当にそうなのだろうか? と、目元に残る涙を指先で払いながら、顔を上げた。
「今でこそ偉そうに語っていますが、過去の私はそれが出来なかった。だからこそ、そんな私へ心を開いてくれるさくらさんの存在に、救われてもいるのですよ」
急に、アデレード先生の黒の瞳が光を無くした気がした。
昔、力の強い魔女は恐れられ、魔女狩りの犠牲となっていたと、キールから聞いた事がある。その時を思い出させてしまったのだろうかと心配になったが、すぐにアデレード先生は何事もなかったように笑みを浮かべた。
「それと、今から話す事は私の憶測ですが、そんなに恋のお手伝いをする事にこだわるのは、さくらさん自身が恋をしたいと思っているからではないでしょうか?」
え……?
「私が、恋?」
さくらの言葉に、アデレード先生が楽しげな声を出す。
「人というものは、積極的に関わるものにこそ関心があると思うのです。興味がない事を、そんなに一生懸命出来る人は限られているかと」
確かに、恋してみたいって思ったけど……。
でも今はそれどころではないと伝えようとすれば、窓をコンコンと叩く音がした。
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