第11話 秘密の話とリオンの気持ち

 医務室にリオンがいない事に戸惑っていれば、菊花と目が合う。


「さくらちゃん、わざわざ来てくれたの?」

「う、ん。ほら、お昼だし、ご飯一緒に食べようと思って」


 急いで中に入り、扉を閉める。そして、こちらへ驚いた顔を向ける菊花へと近付く。


「あ……。もう、そんな時間なんだ……」


 菊花ちゃん?


 一瞬視線を落とした菊花だったが、その表情はひどく苦しそうなものに思えた。


「何かあった?」

「え?」

「私でよければ、聞くから」


 泣いていたのかもしれないと思う程、菊花の目が潤んでいた事に気付いてしまった。だからこそほっとけなくて、無理に踏み込んでしまう。

 けれど、菊花は柔らかく笑ってくれた。


「さくらちゃんってさ、ずっと、優しいね」

「え? そ、そうかな?」

「見ていて思ったの。どんな相手にも、優しいなって」


 続けて「座って?」と促され、ベッドの近くにある丸椅子へ腰を下ろす。

 しかし菊花の言葉に照れながらも、彼女の声の弱々しさが気になった。


「あのね、さくらちゃんは隠したい事なのかもしれないけれど、それでも、教えてほしいの。知ってるよね? 恋のかたちを知りたくての事」


 心の準備ができないままに、避けてきた話題を出され、ごくりと喉を鳴らす。

 けれど、みんなと話し合いをした時にアデレード先生からの提案を受け入れたので、それを言葉にする。


「……うん。知ってる。どうして知ってるのか、聞いてくれる? 私の話、信じられないかもしれないけど」

「聞く。全部、信じる」


 たどたどしく話すさくらと違い、菊花の声に力が戻り、言い切られた。

 だからさくらも、彼女の目を真っ直ぐ見つめる。


「私ね、手術の最中に、生死を彷徨ったの。その時、恋のかたちを知りたくてを、ゲームしていた夢を、見ていたみたいで……。特別ルートでクリアしたら、手術が成功して、私の願いも叶って、目が覚めた。ゲームの世界が現実にもあるなんて、信じられないかもしれないけど……」


 さくらの意識が途切れた時の事を思い出させるのは心苦しいと、アデレード先生は言っていた。けれどさくらはその理由が1番納得してくれるような気がして、こうして話している。

 そんなさくらの言葉を遮る事なく聞き続けていた菊花は、驚き顔のまま話し出した。


「夢……。わたしも、夢! ずっとね、夢で見てきたの。ゲームの内容を。よく調べてみたら、現実の世界にこの学園があって、夢をこんなに見るわたしがヒロインじゃないかって、勘違いして。わたしね、夢の中で全ルートを見たの。でも、特別ルートなんてなかった。だからさくらちゃんがヒロインなんだって、納得した」


 全ルートってわかるのはやっぱり……。


 クリアされた事がないゲームの全エンディングがわかるのは、やはり製作者に関係する人だからだろう。

 しかし、夢の中で見たにしては詳しく覚えている菊花に対して、ただただ素直に驚くしかなった。

 そんな彼女の口は、次の言葉を伝えるために動き出している。


「だから聞きたいの。特別ルートって、何?」


 ここまで聞かれる事は想定していた。けれど、どうにも緊張して声が掠れる。


「特別ルートは、みんなで力を合わせて、奇跡を起こすっていう、ルートだった。だからね、私、大切なみんなと、みんなが生きる世界も全部含めて、これからも一緒に生きていきたいって、強く願ったんだ。そしたらね、ゲーム内の願いの木に、花が咲いたんだ」


 さくらの言葉を、菊花は前のめりで聞き続けていた。そしてしばらく沈黙したあと、ぽつりと呟いた。


「それだけ?」


 嘘は言っていないが、あえて伝えていない真実もある。きっと、世界が融合して歴史が大きく変わってしまったなんて、菊花は知らないだろう。それを説明するのは難しく、そして不要であるとも思えたので、伏せたのだ。


「これだけ」

「……確かに、話を聞いていると、それっぽいラストなのかなって思う。けれど、もっと何か、特別な事ってなかった?」

「これ以上は何も――」


 菊花を納得させるにはどうすればいいかと考えた時、ふと、ある言葉が浮かんだ。


「『何が起きても、あなたの心を貫く覚悟を。それができた時、奇跡は起こる』」

「えっ?」

「あっ! なんだろ? 勝手に喋っちゃった。でも、この言葉があったから、自分の本当の願いを見つけられた気がする」


 不思議そうに眺めてくる菊花へ説明をしていれば、もやがかかっていた記憶が呼び起こされる。


 私の背中を優しく、力強く押してくれた、大切な言葉。


 生死を彷徨った時、さくらに戻ってきてほしいと言うみんなの声が聞こえていた。けれど、他にも大切な事があったはずなのに、思い出せずにいたものがある。

 それがこの言葉だったのだろうと、確信した。


 まるで、神様からの言葉みたいだなって、今なら思える。

 たぶん、きっとそうだ。


 アゼツや自分達の事を見守っていてくれていたであろう神様へ、感謝の念を抱く。

 すると、沈黙していた菊花が勢い良く喋り出した。


「わたしね、さくらちゃんが隠し事している理由って、ヒロインの事を話しちゃうと記憶がなくなるのかと思っていたの。恋のかたちを知りたくても、知らない人しかいなかったし。それでも、こんなにはっきり見る夢は夢なんかじゃないって、必死にしがみついて、諦めなかった」


 希望の光を宿したような菊花の瞳が、さくらだけを見ている。


「さっきのさくらちゃんの言葉で、勇気が出た。わたしの知らない特別ルートに、何かもっと大きな秘密があるのかと思ったけれどね。それでも、わたし達はそれぞれ前もって、ゲームで予行練習できた。それならその知識を活かすしかないよね?」


 菊花の言葉にどきりとしながらも、最後の言葉に首を傾げる。どう言う意味なのか問いたいが、菊花が楽しそうに話し続けるので割り込めない。


「さくらちゃん、誰とも結ばれない、友情エンドみたいなルートでクリアしたって事だよね? それがこの世界に反映されて、今がある。凄い! 夢物語すぎるけど、魔法がある世界で、しかも願いの木が関わっているからこそ、こんなに不思議な事が起きているんだって思えるもの! だから今、2周目を楽しんでいるの?」

「2周目?」

「だって、願いの木に花を咲かすのは学園生活を1年送らなきゃいけないでしょ? それなのに、また高校2年生の始まりに戻っているのは、2周目だからでしょ?」


 現実の世界の事なのに、菊花はまるでゲームの事のように話し続ける。

 だから思わず、口を挟んだ。


「2周目とか、そんなんじゃないよ! それにゲームは、私がクリアしたから消えちゃった」

「消えた?」

「うん。夢で、クリアしたら消えるって、説明されたから……」


 全ては夢じゃない。だからこそ、こんなにも話が複雑になっていく。

 それでも、ゲームが終わった事だけは知ってほしいと、願いを込めるしかない。


「……そういう設定でも、あったのかもね」


 さらに詳しく聞かれるかと思ったが、菊花は独自の解釈をして納得した様子だ。

 けれど声から、どことなく寂しさが伝わる。


「設定とかはわからないけど、でも知ってるのは私達だけみたいだから、内緒にしよう? みんな、現実の世界で生きてるんだし」


 他の人に言いふらされても問題ないかもしれない。けれど、ゲームに関わるみんなには踏み込んでほしくない。

 それには、自分だけがゲームの記憶がある事にしなければならない。それを、みんなにも伝えている。

 だからこそ、さくらはそんな約束を取り付けようとした。


「ふふっ。そう、現実だもの。いいよ。2人だけの秘密ね。それならね、秘密を守る代わりに協力してほしい事があるの」

「何かな? 私に出来る事なら何でもするよ!」


 よかった!

 これでもう、みんな振り回されないはず!


 さくらは世界が融合した秘密、そしてみんなをゲームのキャラとして対応するのをやめさせる事に成功したと、気が緩んだ。


「さくらちゃんは、みんなと一緒に生きていければいいんだよね?」

「うん!」

「今、好きな人っている?」

「へっ? いないよ?」


 いきなり話が違う方向へ進み、胸がざわざわし始める。


「だったらね、わたしもやっぱり、ヒロインの立場を知りたいの。だからね、元ヒロインのさくらちゃんにしかお願いできない。だって1番仲が良いから」


 元ヒロイン……。


 この表現にもやもやするが、菊花は頬を染めて微笑んできた。


「わたし、リオンが好きなの。ずっと、夢の中で恋してきた。でもね、リオンは『大切な想い出のある場所で、あなたと2人きりになりたくありません』なんて言って、すぐに消えちゃって……」


 リオンの名前に、胸を刺されたような痛みが走る。そして菊花も秘密を打ち明けたからか、彼を呼び捨てた事にも、複雑な気持ちを抱く。


 医務室での、大切な想い出?

 ここは私にとって、大切な想い出の場所だけど……。


 リオンの言葉を無意味に反芻するが、心当たりがない。むしろ、ここで彼から自分の名前の意味に触れられ、今でもその言葉が胸に輝いているのはさくらの方なのだ。だから、リオンの考えが予想できない。

 けれど答えに辿り着く前に、菊花の声がさくらの耳に届く。


「そんなところもゲームの時のままで、かっこいいなって思うの。夢とは少しだけ違うところもあるけれど、それはきっと、現実の世界だからだろうね。そう思うと、諦めきれない。だからね――」


 聞きたくない。


 耳を塞いでしまいたかった。でも、動けなかった。


「さくらちゃん、協力してくれる? リオンを攻略するの」


 自分で決めた事を改めて言われただけなのに、胸が苦しくてすぐに返事ができない。

 それに攻略という言葉も、引っかかる。

 でもきっと、惹かれ合っている。

 だからこそ、あとは2人が接する時間をたくさん作れさえすれば、恋のお手伝いは成功する。

 それなのに、さくらの心臓はそれを拒絶するように、痛い程波打っていた。


 ***


 もうそろそろ戻らねばと思いつつも、願いの木に背を預け、リオンは空を見上げていた。


『無茶しちゃったと思ってる。けれど、ここまでしてくれて、本当にありがとう。リオンくんは優しいから、甘えちゃって……。でも、だから、もう少しだけ一緒にいたい。だめ、ですか?』


 そう囁いてきた菊花の顔が、頭から離れない。


 彼女の言葉に嘘はないように思えた。

 ですが、あの目。

 好意というよりは……。


 過去、ゲーム内で出会ったヒロイン達を思い出し、比べ続ける。しかし、決定的な違いがわからない。

 けれどそれは、さくらの『菊花と2人きりにしようする言葉』に傷付き、冷静な分析ができないのだとも答えが出ていた。


「さくらは、私の事など……」


 さくらは皆を大切な存在として見ている。そこから先へ、特別な存在として見てほしいと願うのは、自身の我儘なのだ。

 それでも、ゲーム内でも現実の世界でも、彼女の事を想わない日はなかった。

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