第6話 急ぎの話と菊花の確認したかった事

  22時には寮の自室へ帰らなくてはならない。今は19時過ぎ。時間はまだあるが、さくらは術後の体に負担をかけないよう、早めに寝ている。なのでアリアの言った通り、1時間程度話したら戻る予定でいた。


「2人きりで話せて、さくらちゃんがすぐに帰れるのはここしかないと思うんだけど、いい?」

「むしろ、ここを選んでくれてありがとう!」


 菊花が申し訳なさそうに招き入れてくれたのは、彼女の部屋。整理整頓が行き届いており、几帳面さが窺える。

 さくらもゲーム内では1人部屋だったので、懐かしさから見回す。


 クリーム色を基調とした部屋には、木製の机や扉が備え付けられている。

 部屋の入り口から見て、右側の壁に向かうように置かれた机は横に長く、たくさんの物が置ける。


 そこに、鏡としても使える丸いデジタルフォトフレームが置かれていた。

 音声は消しているようだが、菊花と両親と思われる男女の様々な映像が流れ続けている。


 家族写真、いいな。

 私も飾ろうかな……、えっ!?


 さくらがそう考えた瞬間、あり得ないものが映し出された。

 白い背景に青く輝く葉が数枚舞っている。そしてその下に、薄ピンク色の文字が並ぶ。


 なんで、恋のかたちを知りたくてのタイトル画面が……。


 他の写真や動画と違い、すぐに消えてしまった。けれど、見間違いではないのだと、さくらの心臓がうるさく騒ぐ。


「……さくらちゃん、何か気になる事でも、ある?」

「え?」

「わたしの部屋に面白いものでもあった?」

「いや、あの……」


 じっと見つめてくる菊花の真っ黒な瞳から逃れるように、さくらは顔を背ける。


 とにかく、落ち着こう。


 質問するにせよ、さくらがどうして知っているのかも話さなければならない。だから混乱する頭を整理するため、室内を眺めながら深呼吸した。


 机の後方にはベッドとタンスが並ぶ。そして使い魔がいる場合、寝床の籠もあるのだ。

 ゲーム内では、白うさぎ姿のアゼツがその中に丸まっていたのを思い出し、さくらの気持ちが僅かに落ち着く。


 そして玄関に続く廊下には、電子レンジと大きな冷蔵庫が設置されている。

 食堂から料理やお菓子を持ち帰る事ができるので、その時活躍する。

 それらの向かい側に、お風呂場とトイレがあるつくりだ。


 今の自室は大きさも配置も少し違うが、同じような内装ではある。

 だからこそ、それらしい言い訳を思い付いた。


「1人部屋ってこんな感じなんだって思ったら、つい、じっくり見ちゃって……」


 振り向けば、先程と変わらない顔の菊花が目に入る。その右奥にあるデジタルフォトフレームはあまり見ないように意識しながら、声を絞り出した。


「そうなんだ。変なものでもあったのかなって、心配になっちゃった」


 菊花の言葉にぎくりとしながらも、さくらはなんとか笑ってみせた。


 聞きたい。けど、聞けない。

 恋のかたちを知りたくての乙女ゲーは、私達以外の記憶から消えたはず。

 私が知らないだけでまた誰かが乙女ゲーを作ったのかもしれないけど、違ったら?


 今の生活に何らかの影響が出てしまう事を恐れ、さくらは先にアゼツへ相談しようと決めた。

 すると、菊花が言葉を続けた。


「ずっと立ってるのも疲れちゃうし、座ってね?」

「あっ! 椅子、持たせっぱなしだったね!」


 菊花の穏やかな声に促され、さくらはお礼を言いながら折り畳み式の赤い椅子を受け取る。各階の廊下に用意されているもので、こうして部屋で集まる時には重宝している。


「それで、話って何かな?」


 入ってきた扉に背を向けて座り、待ってくれている菊花へ、さくらは話題を変えるように声をかける。

 すると、彼女は自室の椅子を音もなくこちらに寄せてきた。


「あのさ、さくらちゃんってわたしとほぼ同じくらいにこの学園に来たんだよね?」

「そうだよ。在籍はしてたけど、入院中はWEB上で授業を受けてて――」

「それなのに、どうやって友達ができたの?」


 2人きりなのにひそひそと話す菊花を不思議に思っていたら、言葉を遮られた。


 とりあえず違う話に持っていけたけど、急いで話す事でもないような……。


 本題に入らなくていいのだろうか? と考えつつも、あらかじめ用意していた返答を伝える。


「アデレード先生がね、交流を取り持ってくれたんだ。学園に在籍しているならどんな子達がいるか知ってほしいって。会いたい人がいれば、待っている人がいれば、どんな困難も乗り越えられる。手術が成功したら、みんなを含め、他の生徒とも一緒に学園生活を楽しめますからねって……」


 両親や担当看護師の美咲、他のクラスメイトにもそのような記憶として残されているのだが、さくらは口頭でしか知らない。

 けれど、必死に掴み取った現実を言葉にして、涙が込み上げる。


「……そっか。手術、成功して良かったね」

「うん。だからこうして、菊花ちゃんとも会えたし」


 菊花の表情が曇り、さくらは急いで目をこする。しんみりさせる気はなかったのに、また目の前がぼやける。それでも、ぎこちなく笑みを作った。

 すると、菊花は切なそうな顔を向けてきた。


「辛い事、思い出させちゃったよね。ごめんなさい」

「謝らなくていいから! これは、嬉し涙だから」

「それならいいんだけれど……」


 さくらの言葉を信用していないようで、菊花の表情は変わらない。

 どうすればいいかと考えた時、彼女の目が輝いた気がした。


「じゃあさ、遠慮なく質問しちゃうんだけれど、どうして学園内にも詳しいの? ここ、すっごく広いよね? どうして迷わずに移動できるの?」


 菊花ちゃん、私の事よく見てるなぁ。


 菊花の質問に、さくらはまたも用意していた設定を言う。


「私ね、記憶力が凄くいいの。ほら、ずっと病室にいたから、覚える時間は山ほどあったし。どんな校舎なのかな? って、VR使って学園案内図を探索してたんだ」


 これなら誰でも納得するよね。

 みんなありがとう!


 事前に下見をするのは当たり前。地図や学校、職場のオフィスといった公開されている場所には、VRを通してダイブできる。それを理由にすればいいと、みんなからの助言を受けていた事に感謝する。


 そして、この学園の校舎も人気のひとつ。だから、生徒でなくとも内装を楽しんでいる人が多いそうだ。

 その影響もあるのだろうがすぐに定員オーバーし、募集を締め切られる。菊花のように事情のある転入生の方が逆に入りやすいだろう。

 そんな余計な考えが生まれた時、菊花がゆっくりと瞬きした。


「なるほどね。それで迷わないのね。急にこんな話をして、ごめんね? でもね、何だかさくらちゃんがずっとこの学園で生活していたぐらい馴染んでいて、羨ましかったの」

「そんな、ことは……」


 菊花が泣きそうに見えて、友人を騙す事に良心が痛んだ。だから、なるべく本心を伝える。


「少しだけ、交流が早かっただけで、菊花ちゃんもすぐに馴染めるよ」

「そうかな? さくらちゃんがそう言ってくれるなら、そうなるのかもね」


 ふふっと笑う菊花にほっとすれば、彼女の笑みが深くなった。


「だってさくらちゃんの周りには、たくさんの素敵な人がいるもの。特に、リオンくんとか、ラウルくんとか。他にも、上級生も下級生も、女の子も、たくさん」

「それはね、みんなが私の病気の事をよく知ってるから」


 さくらが特に一緒にいるのは、やはりみんな。他のクラスメイトとも仲は良いが、違いが顕著なのだろう。でも、それが当たり前のように記憶されているので、菊花のように気にする人はいない。


「あと、さくらちゃんの弟さん……、アゼツくんもべったりだよね。まるで、使い魔みたいに」

「アゼツが本当に使い魔だったら可愛いのに!」

「……彼の場合、うさぎっぽいのが似合いそう」

「う、うさ、うさぎ!? いや、アゼツはそこまで可愛くないって!」


 似合うも何も、白うさぎだったけど!

 でもそれは言えないし!


 変な声を出しながらも、菊花への返答を済ます。

 そんな動揺したままのさくらへ、菊花がさらに椅子を動かし、詰め寄ってくる。


「ねぇ、さくらちゃんって、乙女ゲーム、好き?」

「す、好きだけど……」


 膝が触れ合いそうな程の距離に気を取られていれば、妙な質問が飛んでくる。


「恋のかたちを知りたくて、っていう乙女ゲーム、知ってる?」


 世界に2人だけしかいないような錯覚を抱きながら、菊花の真剣な目を見つめ、言葉の意味を理解する。

 そんなさくらは、強張る事しか出来なかった。


 ***


 1人になり、菊花は机に頬杖をつく。


『乙女ゲーってたくさんあるし、すぐ思い出せないかな』、かぁ。

 さくらちゃんならすぐに答えてくれると思ったけれど、もっと仲良くならないと教えてくれないかもね。


 菊花の質問に答えたあと、さくらは少し疲れてしまったと申し訳なさそうに帰っていた。


「でも、これを見た時に凄い驚いた顔をしていたから、それだけでも大収穫」


 そっと、デジタルフォトフレームに触れ、恋のかたちを知りたくてのタイトル画面を選択する。


 これはわたしが夢の中で見たままを再現したもの。

 普通の人は気にしない。だって、知らないから。

 準備しておいてよかった。

 さくらちゃんの反応、わかりやすすぎる。


「さくらちゃんの秘密、早く知りたいな。それとも、話しちゃうとヒロインじゃなくなる、とか?」


 もしもの事を想定しつつ、それでも菊花が諦める事はなかった。

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