第2話 百合妄想はキモいけどそれはそれとして現実で見るとドキッとするよね
「あ、これ新刊でたんだ? 読んでいい?」
「はい。もちろんです。どんどん読んでください」
お風呂からあがったのでお茶をのみつつ、気のいい佐枝子の返答に夏芽は頷きながら本棚から漫画をとった。ベッド下段にもたれるようにしながら腰を下ろす。ちょっとだけ手を伸ばして机の上にコップを置いて本を開く。
漫画は仲のいい友達同士がひょんなことからキスをしてしまい、お互いを意識すると言う内容だ。一巻の時点でベタだなーと思っていたし二巻も同様だが、綺麗で可愛い絵柄とリアリティのある感情描写につい引き込まれてしまう。
「うーん」
一気に読んでしまった。基本テンプレなのだけど、ちょいちょい挟まれるギャグも面白くて夢中になってしまう。悔しいけど最近前より百合にはまっている。まんまと術中にはまっている気がするけど、佐枝子のチョイスもいいのだ。
「ねぇ、もっとこんな感じのラブコメ系がいいんだけど、おすすめないの?」
立ち上がって漫画片手に佐枝子に近寄り、肩に手をかけながら尋ねる。集中すると声だけでは気づかれないこともあるからいつもこうしている。
「ん? あ、なんですか?」
「だから、これ系のおすすめ」
「あー、はいはい。友情発系ですね。だったらちょっと古いですけど名作が」
「ん? てか、またあの二人で書いてるの」
「ちょちょ、見ないでくださいっば!」
何の気なしに見えたパソコン画面に桐絵と言う名前が見えてつい呆れてしまう夏芽に、佐枝子は慌てながら手で隠そうとするが両手をかざしたって隠れるものではない。
「見られて困るものを堂々と書かないでよ」
「うぅ、そうはいいますけど、でもあの二人見て百合妄想しないほうが変じゃないですか? あんなの絶対付き合ってますよ!」
そう言うところが気持ち悪いのだけど、自覚なさすぎるだろ。と夏目は呆れてしまう。
さっきの夕食の時だってそうだ。確かにあの二人は人目を引く。アメリが見るからに外国の血の入った目立つ美人なのはもちろんとして、その横にいる桐絵は対比するように小柄で可愛らしく、甲斐甲斐しく世話をして二人仲良く一緒にいる姿は普通に可愛く微笑ましく、つい目で追ってしまう。佐枝子だけの話ではない。
だけどだからと言って、こそこそ隠れて盗み聞きはない。もちろん公共の場所だし二人だって聞こえて問題ないと思って会話しているのだろうし、聞いていたと知れたところで怒られることでもないだろう。ないけど、こそこそしている時点で気持ち悪い。
そしてなにより、現実の人間をいちいち百合目線で見てカップル扱いし、あまつさえその本人そのもので小説を書くなんて、おぞましさすら感じる。
「あのさぁ、誰もが百合妄想するとか言う妄想をまずやめな?」
創作活動自体はすごいと思うが、生ものを書いている時点で引くしかない。まだ芸能人などの画面の向こうの存在なら、アニメなどの二次創作のようなものだと思うが、身近すぎる。
してしまうのは仕方ないとして、せめてもう少し隠してほしい。
冷たく言う夏芽に、佐枝子はしょんぼりしながら画面を隠すのをやめて椅子にすわりなおし、上目遣いに夏芽を見上げていかにも可哀想な顔をする。
「そ、そんな言い方しなくても……。夏芽さんだって百合、好きになってきましたよね?」
「それとこれとは別」
「えー」
だがそれでほだされる夏芽ではない。佐枝子は兄がいるので割と人に甘えたり媚びを売るのに躊躇がないタイプなのだ。確かに黙っていれば真面目で内気で可愛い文学少女のようだが、
だからこそギャップがひどすぎて引くのだ。
「と言うか、そんなに現実に影響されるってことは、創作小説も実体験とか元にしてたりするの?」
「いやいや、さすがに前世の記憶はないです」
そんなことは言っていないし、そもそも切りのいいところまで読ませてもらったけどファンタジー世界だけど転生物じゃなかったでしょ。夏芽はすぐにふざける佐枝子にため息をつきながら腰に手を当てる。
「そこまで言ってないし、普通にまあ、キスとか? 経験あるのかなって」
「嫌ですね。私のようなキモオタにそんな経験あると思いますか?」
「いや、胸をはられても」
「だからキスシーンまでしか書けないですし」
もう少し恥じらいを持ってほしい。なにがまでだ。そもそもオリジナルだから問題ないとはいえ普通に自作小説を見せてくるのも心臓強すぎるし、何を人が寝ている横でキスシーン以上を書こうとしているのか。健全なままでいてほしい。
「まあいいや。とにかく、漫画、おすすめどれって?」
「あ、はいはい。これです」
「ふーん。ありがと」
「いえいえ。と言うか、そう言う夏芽さんはキスの経験あるんですか?」
「はー? きもい」
改めて席をたった佐枝子から漫画を受け取り、元の場所に腰を下ろしたところに不意打ちの質問をされて思わず反射的に拒絶してしまった。
しかし佐枝子はさすがに強心臓のようで傷ついた様子もなくきょとんとしている。
「えー。さすがにひどくないですか? ただ私は夏芽さんが経験済みなら、その恋愛経験を聞いて参考にさせてもらおうかと。言わば取材であって変な意味はないんですけど」
「あんたにだけは言わない」
「……あの、実は私嫌われてたりします?」
いや、そりゃあ小説のネタにすると言われて恋バナをする人はいないだろう。なぜ急に不安そうになっているのか。
「いや、普通に人としては、好きだよ」
言いながら、何だかちょっと照れてしまった。フツーに好きくらい、別に友達に言うのは全然フツーだ。夏芽的に照れることじゃない。
だけど相手は他ならぬ佐枝子なのだ。佐枝子は百合が好きで、女の子が好きなのだ。別にだからって偏見でいう訳じゃないけど、こう、異性には軽々しく好きって言えないような、でも意識しているみたいで言えないのも嫌で、何だか、変な感じになってしまった。
「ほんとですか!? 何だか予防線張られましたけど、これだけ赤裸々に見せてるのは夏芽さんが初めてなので、受け入れてもらえて嬉しいです。私も好きですよ!」
「……」
それに引き換え、凄く朗らかに言われてしまった。佐枝子は言葉を選ばない。好きとか、可愛いとか美少女とか、普通そこまで言わないでしょって思うほどあけすけに夏芽に好意を伝えてくる。
別に悪い気はしないのだけど、佐枝子に言われるといつも反応に困ってしまうのだ。
机の前で椅子に座ってくるくる軽く回るようにゆれた佐枝子は夏芽の無言にはっとしたように右手をあげるようにして再度口を開く。
「あ、もちろん普通の意味なので安心してください」
「別に心配はしてないけど。てか、女の子が好きなんだよね?」
「え? うーん。そんなこと言いましたっけ?」
「あれ、違うの?」
確かに、明確に恋愛対象が同性だと言われたわけではない。百合が好きだから同性愛者と言うのは短慮がすぎるのはわかる。だけどあまりにガチすぎるし、何となく今までの振る舞いで当然そうなのだろうと思っていた。
首をかしげる夏芽に、佐枝子は視線をあげて気まずそうに眉をかく。
「あー、いえ。好きですけど。でも、恋愛として聞いてますよね? 女の子を見るとつい百合妄想してしまって、だいたいそう言うのってカップルなので、私が好きって言うのはあんまり考えてないですね」
「あ、そう言う感じなんだ。まあ理屈はわかるけど」
「でもまあ、今のところあんまり自分が恋愛するって意識してないですね。なので安心してください。同室とは言え夏芽さんによこしまな目を向けたりしてませんから」
「いや、別に心配してないけどさぁ。でもじゃあ、片思いすら恋愛経験ないのに書いてるんだ? それはちょっとすごいかも。想像だけで書けるものなんだ」
「まあ、そこは妄想力の賜物ですよ」
すごいとは思うけど、そこでそう言う言い方するから素直に尊敬しきれないのだけど。
「というか、実際この学校、あの二人以外にも普通に隠さずに恋人になってる人とかいるでしょ? そう言う人らは参考にしないの?」
「いやですね、恋人同士のやり取りを盗み見るとか駄目ですし、何より実際にしてることをそのまま書いたらもうノンフィクションじゃないですか。私はあくまでそれっぽくて見栄えする二人を見て妄想した妄想小説を書いてるんですよ」
「いや、まあ……色々置いといて、じゃああの二人が本当に付き合ってたら書くのやめるの?」
「…………そ、それはまあ、実際に目にしてそのまま書くわけじゃありませんし?」
書くらしい。態度が一貫しているんだかいないんだか。もうすでに言ってもどうしようもないと受け入れてはいるが、どうしてそうも生もので書きたがるのか。
「まあ、本人らに気付かれないようにして迷惑かけないなら、私から言うことじゃないけどさ」
「もちろんです。こんな姿、夏芽さんにしか見せませんから!」
……いや、嬉しくはない。最初こそこそしていて、普通に事故で見えてしまって開き直られて今に至るわけだし。ただまあ、素直に好かれている感だされるのは悪い気はしないけど。
「あっそ」
結局反応に困ってまた冷たくあしらってしまった。だけど言われた本人は気にした様子もなく、えー? とか言って苦笑しつつ普通に前を向きなおして、また執筆を再開した。
「……」
こういうところが淡白だから付き合いやすいのだけど、何と言うか、最近少し肩透かしな気がしないでもない。まあ、どうでもいいけど。
○
「あのー、それ、私のなんですけど」
「残してたでしょ」
「そうですけど……いやいいですけども」
夏休み明けのテストがなんとか終わり、後は帰るだけだ。疲れから乾いた喉を潤すため、ちょうど廊下で出会った佐枝子の持っている缶ジュースを飲みほしたら微妙に言いたげな目で見られてしまった。
飲み干せずに持ち歩いている感じだったし、普通にちょっとちょうだいって言って受け取ったのに。
「と言うか、珍しいですね。文化棟で会うなんて」
「図書室に本返しにきただけ。佐枝子こそ、部活で図書室つかうの?」
夏芽の入っている吹奏楽部は音楽室を使うので文化系の部室が集まるこの部室棟には普段あまり来ないのだけど、今日は部室棟内にある第二図書館で借りた参考書を返しにいくところだ。ちょうど通りがかりに部室から出てきて何だか自然な流れで一緒に歩いているので、佐枝子もこれから図書室に行くのだろう。
「今日は部活はありません。ちょっとだけ部室に用事があったので、ついでに図書室にでも寄ろうかと」
「ふぅん。普通の小説も読むんだ?」
「いやですね、私が読むのは全て、普通の小説ですよ」
「はいはい。ん? あ、あの二人いるよ」
相槌をうちながら外からの日差しのまぶしさに目を細めながら目をやり、そのまま視線をおとしてふいに下にある木陰のベンチが目に入った。
そこには日陰でも目立つ金の髪がひかり、思わずそう報告していた。
「あ、ほんとですね。いやー、こうして遠目から見ても、いいですね。絵になります」
「そうだね」
それは事実だ。痛いくらいの日差しだけど、木漏れ日がさしこむ二人の様子はきらめいていて、遠目にも仲のいい様が見て取れて和む。
「あ」
「!?」
と思ってなんとなく横目に見ながら歩いていると、通り過ぎそうになるところでふいにアメリが桐絵にじゃれつくようにして頬に口づけた。
外国じゃあるまいし、頬とは言えそんな簡単にキスをするなんて滅多に見るものではない。それを実際に目にすると、街角でどうでもいいカップルがしているのが視界にはいったのとは違い、何故かドキッとしてつい凝視してしまった。
それに桐絵は周りを見回したけど、誰もいないと思ったらしく怒ったようにしつつも飛び上がるような驚きは見られなかった。初めてではないのだろうと考えてしまって、下世話な自分にはっと我に返った。
思わず立ち止まってしまったが、じろじろ見るものではない。慌てて顔ごとそらし、佐枝子が視界に入る。
「……」
その表情に、思わず見入ってしまった。てっきりまた、にやにやしたしまりのない顔をしているんだろうと思い込んでいた。だってあの二人が頬とは言えキスをしていて、もう実質カップルみたいなものだったのだ。百合妄想をしていた佐枝子は大喜びなはずだった。
「……佐枝子?」
なのに佐枝子は全然喜んでいなかった。
困っているみたいに、何だか泣きそうにすら見えた。寂しそうな子供みたいに眉を寄せて、強がるみたいに口元は笑っているのに、どこかぎこちない。まるで迷子みたいな顔をしていた。
「あっ、す、すみません! つ、つい見入ってしまいまして。へへへ。いやあ、やっぱりあの二人は絵になりますよね。ごちそうさまですねぇ」
「いやその反応はきも過ぎでしょ」
誤魔化すにしてもない。心配していた分なんだこいつと思ってしまって思った以上に冷たい声になってしまった。佐枝子は大げさにがっくり肩をおとしてみせる。
「うぅ。すみません。今のはちょっと、自分でも思います」
「とにかく、図書室行って早く帰るよ」
「はーい」
とりあえずさっきの顔をまたさせるのは嫌なので、やや強引だがさっさと帰ることにした。
本を返すと佐枝子の方はやっぱり借りるのはやめたとのことで、背を押すようにして寮に戻る。着替えてすぐに佐枝子はいつものように席についてパソコンを起動させた。
「小説書くの?」
「あ、はい。あ、違いますよ。今日はアメリさんたちのじゃないですから」
「それはいいけど」
「そうですか? いやでも、やっぱりああ言うの見てしまうと創作意欲はわいてきますよね」
「そうなんだ」
それは、本心なのだろうか。先日も自分が恋愛することには興味がないみたいに言っていた。だけど今はそれが本心とは思えない。
だってさっきの顔を見てしまったから。
「執筆はいいけど、こないだ自分が恋愛する気はないみたいに言ってたけど、実際に見たら羨ましかったりするんじゃないの?」
あの二人が恋人だったらと盛り上がっていたけど、もしかしてそれはどちらかを本気で好きだったのではないだろうか。あの切なそうな表情は、失恋を自覚したからではないのだろうか。
そう思って、ベッドにもたれながらいつものように座りながら尋ねてみた。別に聞いたからってどうにもできないけど。でもあんな顔をして、そのくせ隠されるくらいなら相談にだってのるし、胸をかしたっていい。
「えー、どうしたんですか? そんなに恋バナ好きでしたっけ」
「いいでしょ別に」
「……まあ、そんなの、どうでもいいじゃないですか。どうせ私が恋愛をしたいと思ったって、私なんかと付き合う人はいないんですから」
そう言って佐枝子は苦笑すると振り向くのをやめてさっと前を向いた。ディスプレイに向かった佐枝子の顔は当然見えない。
佐枝子の言葉に夏芽は黙った。部屋の中にカタカタとキーボードを押す音がなる。
夏芽はなんと言ってあげればいいのかわからなかった。佐枝子はきっと傷ついているのだろう。今の問いかけも、その傷口を直視させたようなものだ。
何かしてあげたい。付き合う人なんていないって、佐枝子を好きになる人がいないだなんて。どうしてそんな風に自虐的になるのか。何がそんな風に佐枝子に思わせるのか。
「……」
佐枝子は普通にいい子だ。ちょっと百合妄想で暴走しているけど部屋の外に持ち出さない分別もあるし、日常生活における気遣いはむしろ細やかでちょっとしたことにも気配りしてくれて優しい。見た目だって、眼鏡をかけておさげがみとちょっと地味な文学少女を狙いすぎ感はあるけどそれが自然に似合っているし、普通に顔も可愛い。体格も普通だし、成績は割といいし運動も普通にできて特別劣っているところはない。
だから、そんなことないよ。佐枝子だってその気になれば恋人位いくらでもできる。そんな慰めを本気百パーセントで言うことは簡単だ。
でもきっとその言葉では本気とは伝わらないだろう。
「ねぇ、取材とかしたいなら、私付き合ってあげてもいいよ」
「え? なんです? 取材って」
「だからさ……佐枝子が恋人なんてできないって言うなら、それじゃあ小説の幅が広がらないって言うか、だから……キスとか、付き合ってあげてもいいけど?」
別に、変な意味じゃない。ただ佐枝子があんな顔をしてほしくないし、私は友達としていつもの笑顔でいてほしいし、ちょっとくらい協力したい。それだけだ。
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