メイドカフェでバイトしていた話

拓郎

第1話

 ストリートミュージシャンというのは職業ではない。生き方である。


 毎夜のように路上で歌っていた。求められてもいない歌を、宙空にぶつけていた。誰も知らない歌を歌って、知らない酔っ払いが少し聴いて、すぐに去っていく。そのルーティンは心地良かった。たまに声をかけてくれたり、お金をくれる人もいた。

 やがて夜が深くなり、誰も聴いていない時間がやってくる。誰も聴いていない時間は嫌いではなかったのだが、その日は早めに終わることにした。

 そう思った矢先だった。男がひとり高架下に入ってきた。


 業界人のようなメガネに、逆立った髪。

 なんとなく僕のイメージする「テレビ局のプロデューサーっぽさ」があった。男は僕に和やかに話しかけてきた。

「兄ちゃん、いつもここでやってんな。いい感じなん?」

「えぇ、まぁ、いいですね」

 何がいいのか分からないまま、僕は答えていた。

「なぁ、わし、そこでメイドカフェやってんねんけど、昼間来て歌わへんか? 給料も出すで」

「メイドカフェですか。聞いたことはありますけど……でも、そもそも僕、いります?」

「生演奏があるカフェにしたいねん。興味ないか? 」

「いえ、そんなことないです。全然やります」

 興味があるというのは嘘だったが、僕はふたつ返事でOKした。

 プライドやこだわりなどなかったからだ。金さえ貰えれば、なんでもよかったというのが本音だった。

「今、ひまか? 店がどんなんか見に行こうや。こんな時間やったら店、誰もおらんから」

 僕は男の後に着いていくことにした。『SAKAEMACHI』という名の場末の歓楽街を、僕たちは歩いていった。

 ネオンがビカビカと光って、この日も人が多かった。道の隅で倒れている人や、手相占い師に客引き。ネオンさえなくなれば、この人たちも、昼起きて夜寝る生活になるのだろうか。そんなことを考えながら、歩いていたらすぐに店に着いた。
 

 店は、喫茶店の地下を無理やり掘ったような狭い施設だった。『みるくはうす』という店名が書かれている看板がある。
 コンビニのような電灯の明るさとファンシーな造りの店内に、誰もいないのは薄気味悪かった。

「昼間はここでメイドさんがワイワイやってるんすか?」

「そうそう、みんなアイドル志望の娘ばっかりやから、わしはそっちの手伝いもしながら、ここで働いてもろてんねん」

 男はどうやら地下アイドルなんかを統括するオーナーのようで、「アイドルについて」をやたらと楽しそうに喋っていた。


 その年の秋はずっと晴れていて毎日が毎日の続きみたいだった。

 カフェに行くと、メイドさんが看板を一生懸命拭いていた。太陽光がバケツの水に反射して、宝石みたいだった。

「おはようございます」

「あ、今日から歌う人やろ!? よろしくね! 」

 陰気な僕と対照的に、本名かは知らないが「ユキナ」という名札をつけた彼女は、キラキラした笑顔で看板を磨いていた。電灯もついていないのに看板は、これでもかというぐらいピカピカだった。

「凄いピカピカですね」

「せやろ? 触ってみる?音すんで! 」

 言われるがままに手のひらで触ってみると、キュッキュッと洗い立ての皿のような音がして驚いた。

「これは凄い」

「看板はムチャクチャ綺麗なほうがええやろ! 掃除ってメイドっぽいし! 」

「確かに、こんな綺麗な看板見たことないかもしれません」

 本心からそう思った。

 オーナーに軽い説明を受けて仕事が始まった。普通のバイトと比べると自由なものだった。お客さんとメイドさんのジャンケンの歌を歌ったり、みんなが知っている歌を歌ったり、伴奏をする係だった。お客さんを楽しませるのはメイドさんの役目だからそれをサポートすればいい。性には合わないが悪い気分などはなかった。

 しかし、メイドカフェというものを初めて肌で知ったが、カルチャーショックの連続だった。オプションというやつがあって、メイドさんとジャンケンをするのに千円、同席して会話をすると二千円かかるのだ。ツイスターとかいう身体が触れ合うゲームをするのに至っては、五千円もかかる。

(狂ってんな‥‥‥)

 僕の心の中から声がしたが、すぐに聞こえないフリをした。こういう世界もある、と思い込むようにした。

 僕はその日、二時間ほど働いて五千円を貰った。ありがたい収入だった。

 ただ、「この女の子たちとのツイスター一回分か」と思うと、価値があるのかないのか分からなくなった。


 しばらくすると、僕も慣れてきた。 看板磨きや掃除なんかの仕事も手伝うようになった。

 お客さんたちはいわゆる「アキバ系」の人たちだったが、意外にも明るくて気さくな連中で、すぐ仲良くなった。オタクは暗くて閉鎖的だと思っていたのは、偏見だった。

 メイドさんたちは、僕が「食うのに困っている」と言ったら、いろいろなものを作ってくれたし、とても優しくしてくれた。オムライスにハートや相合い傘を描かれるのは勘弁してほしかったが。

 店にいるアキバ系の先輩たちも、タイプの違う僕を受け入れてくれた。

 むしろアルコール抜きでハイになれる彼らは、とても健全な人間に見えた。居心地のいい空間だった。

 初日に看板を磨いていた「ユキナさん」は指名ランクNo.1のメイドさんだった。
 年が二つ上の彼女は、僕のことを弟のようにかわいがってくれた。僕も遠慮なくユキナさんには、甘えていた。

 ユキナさんは小遣いをくれるときもあったし、家に食事を作りに来てくれることもあった。調子に乗って、なんだかんだいろんなものを買って貰っていた。


 オーナーも言っていたが、メイドさんたちは、それぞれが歌手やアイドルのような活動をしている。その合間にアルバイトとして、メイドカフェに勤めているのだ。

 このメイドカフェはバイト先でもあると同時に、芸能事務所の機能を持っていた。ユキナさんも歌手を目指す女の子だった。

 僕がいつも通り演奏の仕事を終えて、バックヤードで帰り支度をしているときだった。バタンとドアを開けて、ユキナさんが入ってきた。

「あ、お疲れ様です」

「あれ、もうお帰り? 」

「えぇ、もう今日はお客さんもおらんし……」

「ちょっと暇になったもんなぁ。大丈夫?ちゃんと食べてる? 」

「食べてますし、なんか最近体重増えた気します」
 本当に増えた気がしていたのだ。

「増えた気って何よ! 計ってないん?」

「だって俺、体重計持ってないですもん」

 僕はユキナさんと話している時間が好きだった。美人なのに気取っていなくて、明るくて、開放的な人だった。それでいて自然と相手を気遣える彼女がお客さんに人気なのは頷けた。

 少し間を置いてから、ユキナさんが口を開いた。

「なぁ、前から聞きたかってんけど……一人で音楽やってるのつらいとか、寂しいとかないん?」

 そう聞かれて、僕は少し考えた。そんなこと、考えたこともなかったからだ。

「たとえばやけどね」とユキナさんは念を置くように発した。

「一人で山登ったり旅に出ても、孤独は感じへんやん? 街にいたり、学校にいたほうがよっぽど独りぼっちな気しない?」

「たしかに……」

「たぶん孤独って一人の人間にあるんじゃなくて、たくさんおる人間と人間のすき間みたいなとこにできるんかなぁって」

 どこがかゆいのか分からないような気持ちだった。かゆさは確かにあるのに、うまく拾えない自分がもどかしかった。

「そういう意味じゃ、俺は一人ぼっちなおかげで寂しくないのかもしれないです…ユキナさんはやっぱ人気者やし、その分大変なんかも……」

 彼女は唇を噛みながら、うつむいた。ここではないどこか。僕ではない誰かを見ているようだった。

「大丈夫なんですか? 俺は難しいことよく分からんけど……」

 明るい彼女が元気をなくしていると、余計心配になってしまう。

「でも、俺もいつも『楽しい楽しい!』みたいな感じでもないです。寂しいとかはないけど、習慣というか、なんか改めて考えたことなかったです。すみません…何も言えなくて」

「ごめんな、変なこと言うて。大丈夫!」

「いえ、お疲れ様でした。なんか分からんけど、元気出して下さい」

「大丈夫。ありがとう」

 ユキナさんはそう言って、いつも通りの笑顔で手を振っていた。

 

 店を出ると宵闇の歓楽街は活気付いていた。まかないの入ったコンビニ袋をぶんぶん振り回して歩道の端っこを歩いた。

(心配やけど、でもあんなふうになれたらええなぁ……無理やけど)

 誰に対しても分け隔てなく、明るいパワーを持っている彼女に僕はずっと憧れていた。

 ユキナさんのボーカルを聴いたことはなかったけど、「多くの人々に力を与えるシンガーって、こういう人がなるのかも」と思っていた。それは歌唱力やセンスなんかよりも、もっと本質的なもののような気がした。


 次の日、ユキナさんは店を辞めていた。

 オーナーに聞いたら、彼女はアイドルになることを諦めたそうだった。話を聞いた僕は「あ、そうすか」となぜか平常心を装った。

 メイドさんたちがユキナさんの話をしていても、僕は気にしていないポーズをとっていた。でも本当は違っていた。僕は正体の分からない、とにかく誰にも知られたくない感情で、胸がいっぱいになっていた。連絡先も知らなかったし、誰かに聞くこともできなかった。どうしようもない気持ちだった。寂しさが胸でカンカン鳴った。


 ユキナさんが辞めた後、すぐに店は摘発された。


 オーナーが売春の斡旋容疑で起訴されたのだ。あの店は裏でメイドさんたちの売春の温床になっていた。

 僕はそのことをオーナーの逮捕で知った。あの頃、大阪にはそういった形態の店がいくつもあったという。それらが一斉に摘発された。

 数年前には東京でも、歌舞伎町浄化作戦が行われていた。時代が『夜の街』を裁き始めたのだ。

 彼女たちの所属事務所のように、違法風俗とプロダクションが提携しているケースはビジネスにしやすかったそうだ。

 だけど、そんなことは僕にはどうでもよかった。

 僕をかわいがってくれていたユキナさんたちは、知らない男たちに買われていた。それを知らないまま、あの店で調子に乗って歌っていた自分を振り返ると、ひどく幼く痛々しくて、胃が気持ち悪くなった。まるで労働による父親の心痛を知る由もない赤ん坊のような無知さだ。

 彼女たちを買っていた男たちを今からでも殺してやりたかった。でも僕にはそんな権利もないし、何よりも筋違いの怒りに思えた。たぶん、僕は自分が何も知らなかったことが、情けなくて嫌だったのだ。


 それからの僕は店のことを一刻も早く忘れようとした。もう、何も思い出したくなかった。だけど、あのバックヤードに鳴り響いたユキナさんの「辛くないん?」が耳鳴りみたいに蘇る夜がある。誰しも「消えない傷」のように、頭の中に刻みこまれてしまった「声」があるのではないだろうか。それは消したくても、忘れようとしても、たぶん一生消えない忘れられないものだ。


 あの摘発の日から十年後、僕が道ばたで歌っていた歌がほんのりヒットした。


 リリースツアー中にこの街でワンマンライブをやることになる。リハーサル後、行くあてもなく一人、街を歩き回った。


 昔、自分がいた場所を訪れてしまうのはなぜだろう。あの頃の自分が、まだ違う時間軸で暮らしているからだろうか。


 何もできないパトロールのように街中を見回った。

 iPhoneの液晶画面は戻らないといけない時刻を表示していた。ライブハウスに戻るには『みるくはうす』の前を通らないといけない。


 そのとき、僕は自分自身があの場所を避けていたと初めて自覚した。いや、どこか意識的に尻尾を巻いていたのだろう。

 過去の恥を脳内再生すると、顔を覆いたくなるような恥ずかしさが押し寄せてくる。あんな思いをしたくなかった自分が、頭の奥で体育座りで膝の間に顔をうずめている。


 店へと近付いてくるにつれ、歩みが重くなる。眠っている恥が鮮明に脳裏に浮かび出し、滅入るような侘しさが全身を包んだ。


『みるくはうす』の跡地は廃墟化していて、残骸だけが散らばっていた。メルヘンチックな扉はそのまま朽ちていて、足元のコンクリートは何度も金づち振り下ろしたチョコレートのように砕けていた。

 この十年、借り手もつかなかったことを証明する荒れ方だった。

 あの快晴の日、ユキナさんに磨かれていた看板は無残に割れて、ひどく汚れていた。触れると手のひらが真っ黒に汚れた。もうなんの音もしなかった

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