第7話 金のために

「――ふざけんなよ!」


 昼練中の野球部の声や体育館でバスケをしている音が遠くに聞こえる校舎裏で、ひときわ甲高い怒号が響き渡った。


 冬二たちと同じ青色のネクタイをした濡羽色の長髪の少女・瀬戸せとれいは、上級生によってワイシャツの首元を掴まれ、校舎に叩きつけられる。


「ちょっ、落ち着きなよ、美里みさと

「黙っててっ! これは私とコイツの問題でしょっ」


 美里と呼ばれた女子生徒は、同級生の制止を振り切って鋭い目つきで怜を睨みつける。しかし当の怜に一切怖がる様子はなく、涼しげな表情で美里を見つめ返して淡々と言う。


「突然呼び出して、何の用でしょうか、先輩?」

「私の彼氏と寝たでしょっ⁉ アンタとホテルに入っていったの見てた奴いるんだからッ」

「……は?」


 怜は首を傾げた。

 もちろん、美里の言う『寝た』というのが、どういう意味を表しているのか分からないわけではない。単純に、彼女に覚えがないのだ。


 思い当たらない様子の怜に美里はさらに苛立ちをつのらせ、首元を乱暴に離すと、ポケットからスマホを取り出し一枚の画像を見せつけた。


「コイツよっ!」


 髪を茶色に染めた、少しやんちゃそうなそこそこイケメンの男が写っていた。背格好から、男は高校生ではなく大学生のようだった。

 怜はその写真をじっと見つめ、やがて思い当たったのか、「あぁ」と呟く。そして、ちらりと美里へ視線を移すと、露骨ろこつにため息をついた。


「なんだ、彼女いたんだ。……いないって言ってたのに」

「――――ッ‼」

「みさ――」


 こらえ切れず、というのだろう。美里の同級生が制止する間もなく――

 ぱちんっ、と。怒りで煮えたぎった美里の平手打ちが、怜の左頬をたたいた。頬が赤く染まり、口内を切ったのか口角から一筋の血が流れる。

 それでも怜は動じることなく、淡々と口角から流れる血をぬぐった。


「……満足しました? だったらもう行っていいですかね?」

「ふざ――ッ」


 美里がもう一度、手を振りかぶり怜を叩くときだった。


「あ、先生、こっちこっち。なんかヤバい雰囲気っす」


 校舎裏に男子生徒の声が聞こえた。


「――――っ」

「やばいよ美里。行こっ」


 美里と同級生は、慌ててその場から立ち去る。代わりに、その場には怜と同じ色のネクタイを締めた青年・古窯こよう冬二とうじが立った。

 冬二は去っていた美里たちを一瞥すると、怜に向き直り声をかける。


「大丈夫か?」

「うん。ありがと、助かったよ」


 素直に感謝を述べる怜に、冬二は目を丸くした。


「意外だな。余計な事するなって言われるかと思った」


 怜は「なにそれ」と苦笑いを浮かべる。


「さすがに顔を何回も殴られるのは困るからさ」


 怜はポケットから折り畳みの手鏡を取り出し、叩かれた場所を確認する。腫れや発赤が少ないことに安堵しながら、怜は冬二へ向き直り、首を傾げた。


「あれ? キミどこかで……」

「自販機の前で会っただろ」


「あー、そういえばそうだった。キミ、名前は?」

「……古窯こよう冬二とうじ


「コヨウ……、変な名字」

「俺もそう思う」


 怜はスカートに付いた土埃つちぼこりはらいつつ、先ほどよりも少し柔らかい表情で「なにそれ」と呟く。ポケットから財布を取り出し、残金を確認してから、冬二に言う。


「自販機行こ。お礼にジュース奢るよ」


 怜はそう言って歩き出す。しかし、冬二はその場に立ち止まったまま、後に続かない。


「あれ、行かないの? ……あ、もしかしてあたしの名前? そういえば言ってなかったね。あたしは――」

「瀬戸怜さん、だろ」

「……ま、この学校にいれば普通は知ってるか」


 怜は力なく笑う。


「ジュースはいらない。代わりに一つ教えてくれ」

「ん? なに?」

「昨日の夜、どこにいた?」

「昨日……? えー、普通に家にいたけど?」


 冬二の質問に、怜は誤魔化すように笑った。そんな彼女を、冬二はとがめるような目つきで見つめる。無言で見つめる冬二に、観念したように怜は乾いた笑みを消した。


「…………ふーん。そっか。その目、キミ、どっかで見てたんだ」

「ああ」


 頷く冬二に、怜はふざけた様子で頭を抱えた。


「失敗したぁ。見られないようにずっと気を付けてたんだけどなぁ」

「……どうしてだ?」


「どうして? んー、どうしてだと思う?」

「……さぁ」

「うわ、冷たっ。……お金くれるって言うからさ。しかも結構良い金額」


「また金か」と冬二は小さく呟く。

 怜の言い様は、冬二がこれまで相対してきた犯罪者たちと何ら変わりなかった。


売春それってさ、良くねぇことだろ?」


 冬二のその言葉に、無感情を貫いてきた怜が初めてあからさまに顔をしかめた。


「え、なに? もしかして古窯くんって、『風俗で説教おじさん』タイプ?」

「説教するつもりなんてねぇけど、瀬戸さんがやってるのはダメなことだろ」


「……うざ。あたしが何をしようがあたしの勝手でしょ。からだを売るのはただの手段。対価としてあたしはお金を貰ってる。バイトとか仕事と何が違うの?」


「躰を売ることが悪いとは言わねぇよ。けど頭良いなら当然知ってるだろ? 未成年のは立派な犯罪だ」

「それは……」


 怜が言いよどむ。


「警察に見つかってない今なら、まだ間に合う。どうしても金が欲しいって言うなら学園ここを卒業してからでも――」


「それじゃ遅いのッ‼」


 静寂に満ちた校舎裏に悲痛な叫び声が響いた。これまで淡々と平静を保っていた怜が、初めて特別に強い感情を表へ出した。そしてハッと我に返る。


「……余計なお世話。これはあたしの問題なの。だから放っておいてよ」


 怜はそう言って踵を返す。途中、背中越しに冬二へ言う。


「それにさ。あの時間であたしを見たってことは、キミもその場に居たってことでしょ? なら、キミも同罪だよね」


 それだけ言うと、怜は校舎裏から立ち去った。


 その場に残された冬二は、校舎に寄りかかると深いため息をついた。ポケットからスマホを取り出し、昨日受けた任務の概要データファイルを開く。


「確定だな」


 風俗店の入口の奥に、微かに見える六華学園の制服を着た少女は、瀬戸怜だ。

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月影の暗殺者と六華の聖女 向陽 @KitaKoYo

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