第17話

 世界が一気に色を失った。


 失恋シーンに出てきそうな誇張こちょう表現だが、今まさにユウトの置かれている状況がそれだった。


 何を飲んでも、何を食べても、そんなに味がしない。

 お気に入りのJ-POPが退屈に感じられる。

 心なしか寝つきもよくない。


 リンネからメッセージが届いた。

『いま何してた〜?』という恋人のテンプレみたいなやつ。


 自分は何をやっているのだろうか。

 スマホを握った手を頭にのせて、視界をおおい隠してしまう。


 明日からちょっと遅くに家を出よう。

 そうすれば朝にマミと会うのを回避できる。


 部活動は心配しなくていい。

 他のメンバーがたくさんいるから。

 一緒に帰ろう、と向こうから誘ってくる可能性もゼロのはず。


 きっとバチが当たったのだ。

 リンネが恋人なのに、時おりマミのことを考えるという不誠実の罪だろう。


 ユウトは自分の心にそっと鍵をかけた。


 ……。

 …………。


「早瀬くん……早瀬くん……早瀬くんってば……」


 ユウトはハッとして顔を上げる。

 ここは映研の部室で、手にはサンドイッチが握られており、目の前には心配そうな顔つきのリンネがいた。


「もしかして、風邪気味?」


 滑らかな手が額にピタッと触れて、ユウトの体温は一気に上がった。


「ちょっと熱いような……」

「それは舞原さんが触れてきたから!」


 リンネは口元に手を添えながら笑い、飲みかけの野菜ジュースを差し出してくる。


「ビタミン、追加しといた方がいいんじゃないの?」

「それじゃ、間接キスになってしまうのだが……」

「遠慮しないで。小学生じゃあるまいし」


 リンネの倫理観によると、間接キスを恥じらうのは12歳で卒業らしい。


「おいしい?」

「うん、とっても」


 無添加で、苦味が強いジュースだ。

 美容には良さそう。


 最初はドキドキしていたランチデートも、4回目になると慣れてくるし、何よりクラスメイトの詮索から逃げられるいこいの場と化している。


「その髪型、とっても似合っている」

「ありがとう」


 ユウトは少しヘアスタイルを変えた。

 マミへの恋心を捨てるために髪を切るなんて、少女漫画の主人公みたいという自覚はあったが、何かを変えたくてアレコレ悩んだ末、ヘアサロンへ向かうことにした。


 しかも、単に切ったわけじゃない。

 果たしてリンネに伝わるか。


「そのヘアスタイル、昔のショウマくんじゃない? デビューしたばかりの」

「よく分かったね。さすが舞原さん」

「すごい新人が現れたってニュースになっていたから」


 リンネは楽しそうに目を細める。


「恥をしのんでプリントアウトした紙を持っていったよ。こんな感じの髪型で、と。俺とショウマ、顔の輪郭りんかくは一緒だから、絶対に失敗しないと思った。案の定、スタイリストさんも、間違いなく似合うと思います! と太鼓判を押してくれて」

「うん、男っぷりが上がっている」


 リンネが喜んでくれると、ユウトも少し嬉しい。


 もし相手がマミだったら……。

 これとは真逆の反応を見せただろう。


 もっと自分を大切にして。

 周りの意見に流されなくてもいい、と。


 マミの主張は、たぶん、正しい。

 でも、正しく生きようとすることに、近ごろのユウトは若干疲れていた。


 リンネが自分の太ももをパンパンと叩いた。

 膝枕ひざまくらをしてあげる、という意味らしい。


「いいのかよ?」

「早瀬くんがお疲れだから。ちょっとしたサービス。それに2人きりの空間は有効活用しないと」

「君って本当にいい性格をしているね」

「早瀬くんじゃなきゃ、こんな提案はしない」


 恋人の言葉に甘えるべく、パイプ椅子を並べてベンチ代わりにし、柔らかな太ももの上でそっと目を閉じる。

 リンネの手が伸びてきて、ユウトの髪の感触を楽しむように、いたりかき回したりした。


 とっても気持ちいい。

 食後のせいか、油断すると寝落ちしそう。


「舞原さんって、今週末、お仕事が入っているんだっけ?」

「うん、小さいやつね。大したことないわ」

「でも、応援している」

「応援している、か。君ならできる、の方が嬉しいな」

「舞原さんならできるよ」


 リンネは少女みたいに、うん、と返事をした。

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