第5話

 実質、水谷ショウマだと?

 ふざけるな! 冗談じゃない!


 お手洗いへ通じるコーナーを曲がろうとしたら、ハンカチで手をポンポンする女子、マミと接触しそうになった。

 体の重心を左足へとスライドさせ、なんとか衝突をまぬがれる。


「ごめん、マミ!」

「大丈夫? 顔色が普通じゃないけれども」

「かなりヤバい! 死にそうなレベルでヤバい! 今の俺は1分1秒が惜しい!」

「そ……そう……」


 ヤバいの意味を便意がヤバいと解釈したであろうマミは、クールな顔をしかめているが、今はそれどころじゃない。


 ユウトは個室にロックをかけた。

 便座に腰かけるなり、ショウマ宛のメッセージを作文する。


『もしかして昨夜の写真、ファン向けに公開しちゃった?』


 これで送信。

 ふぅ〜、と吐息をもらしてから激しく後悔した。


 バカか、俺は。

 ショウマはもっとも忙しい日本人の1人。


 スマホを頻繁ひんぱんにチェックするわけがない。

 芸能科のある高校に在籍しているが、ほとんど登校できていない、と教えてくれたじゃないか。


 返信を諦め、ユウトが肩を落とした時、スマホが揺れた。


 ショウマからだ。

 移動中か知らないが、すぐメッセージに気づいてくれたのは幸運だった。


『うん、アップしたよ。事務所が管理している俺の公式アカウントに。あれ? お母さんに許可をもらったけれども何も聞いてない? お父さんとお兄ちゃんに伝えておく、と話していたけれども……』


 ユウトは「おふくろ〜!」と声に出してえた。

 この場合、お母さんとは水谷の母ではなく早瀬の母だろう。


『もしかして、お兄ちゃんの学校で問題になった? 迷惑かけちゃった? だったら、ごめん……』


『いや、大丈夫。後ろの席の女子からいきなり質問されてビビっただけ。本当に大丈夫だから』


『そっか。よかった。なら安心した』


 よくよく聞けば、ショウマも事務所社長とマネージャーの指示であの写真をアップしたらしい。

 人々の耳目を集めるエピソードがあった方が有利に働く、という営業面の判断だとか。


 ショウマのSNSには、


『生みの親と育ての親、4人の親がいる俺は周りの2倍恵まれています! だから普通の2倍がんばれます!』


 と優等生じみた本人コメントが投稿されており、


『いい家族愛』

『17年ぶりってすげぇ!』

『ますますショウマくんが好きになった!』


 といったファンからの応援メッセージが数多く寄せられている。


 なるほど。

 母も応援したくなるわけだ。


 ダシに使われたユウトとしては、くだんの事務所社長とマネージャーにクレームの一本でも入れてやりたい。

 しかし、弟のショウマに文句をいうのはお門違いというやつ。


『これからドラマの撮影だっけ? がんばって。応援している』


『ありがとう』


 スマホを伏せてから特大のため息をこぼす。


「どうしよう……俺ってショウマの兄ってガラじゃないのだが……高校を卒業するまで、このネタでいじられ続けるよな」


 将来の苦労まで想像したユウトは、まだ朝っぱらというのに半日分のエネルギーを消費してしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る