自分が何者かなんてわからない

「物干しみたいに、二本の柱を立ててそこにロープを張ってください。その後で四隅にロープを。それを固定するためにひもを通して杭に引っ掛けてください」

「杭が地面に刺さらないんだけど」

「あわわわ。石でカンカンやってください。固定が甘いと風で吹き飛びますから」


 香魚の指導の下、ブルーシートを使って簡易のテントを作る。香魚は『慣れればすぐにできますよ』とか言ってたけど……結構きつい。できたころには息絶え絶えになっていた。


「あ-、疲れた。もうなにもしたくない……」

「そうですね。体力温存の意味も含めて今日はもう寝ましょう。あ、開けた缶詰は水に捨ててくださいね」

「……海? 水にゴミ捨てるのはモラル的にどうなの?」

「でもそのままだと食べ残しに虫が寄ってきますよ。ハエとか」


 香魚の言葉に従い、缶詰を思いっきり遠くに投げる。言ってもか弱い女子の筋力。そう遠くない場所に水音が響いた。虫にたかられるとか真っ平御免よ。


 明かりは起こした火と満天の空に輝く星々と月。街の明かりなんてないから、ほとんど暗闇だ。夜空に吸い込まれそうになる。そんな感覚を生まれて初めて抱いた。暗闇の中に輝く星を、奇麗と思った。


「星って……こんなに奇麗だったんだ」

「町の灯があると目立ちませんからね。スモッグがないともっときれいに見えますよ」

「そっか……」


 それ以外見る者もなかった、という事もあるけど圧倒的な夜を前に心が奪われていた。


 私は別に自然を大事になんて言うタイプじゃない。ネットとかで環境破壊に憂いる人を『そういう考えもある』程度にしか見ていない。SDGs? そういうのもよくわからない。何か頑張ってるんだな、ぐらいだ。


 ただその人たちが守ろうとしているのがこの光景や感動だというのなら、それは理解できる。人間では生み出すことのできない光景。何も手を加えれば壊れてしまう感動。それは確かに存在するのだ。


「奇麗だよね。 星に手を伸ばすとかありきたりで古臭い表現だけど、気持ちはわかる。こんなに暗い中で輝く光は、希望に見えるわ」


 圧倒的な黒の中、小さく光る白。それは闇が圧倒的だからこそ、輝かしい。昔の人が星にロマンを重ねたのが、よくわかる。


「星の光は秒速約三十万キロ。一秒で地球を七周半します」


 香魚が語るのは、私もなんとなく聞いたことがある知識だ。


「それでも太陽までは8分弱。太陽系端っこの冥王星まで大体6時間。あの星は、さらにもっともっと遠くで輝いて、地球に光が届いています。もしかしたら、もうあの星は爆発してなくなっているかもしれません」

「私達にはまだあるように見えるのにね」


 私達が見ている光は、はるか遠くで輝いた星の残渣。太陽だって、爆発して8分ぐらいはまだあるように見えるのだ。


「はい。あるように見えてもないんです。いいえ、あると思ってるのはあくまで自分だけで、もしかしたらもう本当は何もないかもしれないんです」

「香魚?」


 声の中に含まれるいつもと違う重さに気づき、私は香魚に問いかける。


「――とか、奇麗な星空を前にアンニュイになる香魚でした! あははー」

「あははー、じゃないわよ。くだらない誤魔化しないの。何考えてたのよ」

「お姉さまに知識マウント取りつつ詩人的なことを――」

「香魚」


 さらに誤魔化そうとする香魚を、一言で黙らせる。私の意図を察したのか、いろいろ観念したのか俯いてしゃべりだす。


「私は、遺伝子を取り込めばなんにでもなれます。遺伝子さえあれば、なんにでもなれます。

 じゃあ、私は何なんでしょうか?」


 どこかあやふやに、喋りながら言いたいことをまとめている。そんな感じで香魚はしゃべりだす。


「人間でもない。魚でもない。決まった種族でもない。決まった植物でもない。変貌するから、決まった形を持っていない。

 なんにでもなれるから、なんにでもない。私はここにいるように見えるけど、もしかしたら何もないのかもしれないんです」


 自分自身の定義。


 私は人間として生まれて、型にはまった生き方をして皆川香織というパーソナリティを確立している。それはベースとなるモノがあるからだ。それが種族だったり、国籍だったり、あるいは生活だったりする。


 香魚には、それがない。それがないと自分で認めている。


 なんにでも変身できる形のない存在。どんな状況でも適応できるからこそ、定まった自分を持たない。ここにいる自分は、実は『そういうガワ』を被った何かなのだ。違った環境に行けば違った『ガワ』を被る。


 変幻自在。千変万化。移ろい変わる存在。だからこそ、そこに芯がない。自分が誰なのか、わからない。


 そんなの――


「そんなの、わかるわけないでしょ」


 分かるわけがない。他人のことを『分かる』なんて傲慢だ。自分勝手に他人の事を決めつけるなんて、横暴だ。


「そもそも私だって自分のことはわかんないわよ。こんな状況じゃ日本の女子高生なんて肩書きも意味はないし。

 あるのは今まで生きてきた経験だけ。学校で習った知識は役に立たないし、香魚にお世話にならないと生きていけない無能無知なんだから」


 言ってから少し自分が情けなくなったけど、それは事実だから仕方ない。


 私は香魚に頼らないと一日持たずに死んでるだろう。食料や水は言うに及ばず、テントだって碌に張れやしない。そもそもあの洪水に飲まれて死んでいただろうし。


「でも香織お姉さまには過去に確かにそういう事実があったから、それは無駄じゃないし――」

「そうよ。なくなったとしても無駄じゃないわ。世界が洪水リセットされても、私が生きてきたことは意味がある。星が消えても光が残って、誰かを照らすように。

 それは香魚にも意味はあるわ。貴方は私を助けてくれた」


 言って私は香魚に手を伸ばし、引き寄せる。下半身が水に出ない程度に体を寄せる香魚。


「香魚からすれば生きるためにとった行動だったかもしれないけど、私はそれで助かったしそこに意味があるわ。あれは間違いなく香魚の行動よ。

 それを無意味だなんて言わせない。私は香魚の行動をなかったことになんかしない。香魚は私を助けてくれて、ここにいるんだから」


 自分が何者かなんてわからない。わかるはずがない。


 そんなものは、これから作り上げるしかないのだ。生きて、動いて、行動して。


「貴方の本当の形は私にはわからない。知らない。想像もできない。

 でも私にとって貴方は命の恩人で、私の妹の香魚よ。それはゆるぎない事実だから」

「う……は、ぃ」


 涙ぐんだ目で頷く香魚。納得した、と言うよりはすがる寄る辺を見つけたような安堵する表情。そのまま体重を私に預けるように顔を近づけてくる。私も思わず顔を近づけ――


「いや待った! 待って待って待ってー!」


 我に返って両手で香魚を遠ざける。何しようとしていた私!?


「うぐぅ!? あ、あれ? 今キスするような流れじゃありませんでしたか!?」

「ない! 香魚がいろいろ悩んでるからびしっと言っただけ! 香魚も何でそんなこと思ったのよ!」

「香織お姉さまのイケメンぶりにくらっと来てつい」

「つい、でキスすようとするな! 香魚、貴方そういう価値観軽すぎ!」


 ノリでキスしようとするとか、どんだけ軽いのよこの子は。


「っていうか思いっきり個性あるじゃないの貴方。キス魔とか」

「そんなぁ! 香魚はお姉さま以外とキスしたいなんて思いませんよ。その分頻度が多いように思えるだけで」

「……っ!? だ、からぁ、そんなことを軽々しく言うな!」


 私以外とキスしたくない、と言う部分にちょっと動揺する。いや待って、それはまあその、他のDNAが混じるといろいろ大変だからとかそういう意味なんだろうけど、その、いや、だからそれで動揺するのは、別に。


「と、とにかくキスは一日三度まで! 唾液補充と水分補充の時だけ! それ以外は乙女の貞操的にダメなんだから!」

「ぶー。香織お姉さまのけちー」

「ケチじゃない! こういうルールは大事なんだから! もう寝るわよ!」


 これ以上香魚と会話してると、またいろいろ乱されそうなので一旦寝る。ちがうもん、空気に流されそうになっただけで、私は普通の性癖なんだから!


 眠りにつくまでの数分間。キスする前の香魚の顔が脳裏から離れなかったとか、ないんだからね。

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