そう言えば名乗ってなかったわね
「この水害が川の氾濫といった、一地域だけの災害ではないことはわかると思います」
視界一杯に広がる水平線を見ながら人魚は言った。地の果てならず、水の果てが見えない。それが360度全てに広がっている。枝を探す際にこの場所を軽く歩いたけど、沖の方に陸地らしいものは何も見えなかった。
「お姉さまはこの水害をあらかじめ知ってましたか?」
「まさか。知ってたら高台とかに逃げただろうし。いきなり水が来て、その後はあんたの知る通りよ」
「はい、ほとんどの人がそうだと思います。兆候も何もなく、いきなり水が襲い掛かってきた。それはかなり異常です。しかも水はゲリラ豪雨の比じゃあありません。
あ、穴を掘ったらその周りに石を置いてください」
人魚の指示に従うように作業する私。穴を掘り、石を敷き詰める。そこに私が持ってきた枯れ枝を置いて、固形燃料を置く。
「火はどうやって起こすのよ? マッチもライターも水につかったら使えなくない?」
「ふふん。抜かりはありません。メタルマッチです!」
「めたるまっち?」
人魚が手にしているのはちっちゃい棒が付いたキーホルダーだ。なんでもこするだけで火花が出て、しかも濡れてても水気を拭きとれば使えるらしい。便利なもんがあるのねー。
「と言うわけでお姉さまお願いします」
「私がやるの!?」
「だってそこまで行けませんし……」
火をともす場所は濡れて消えたら困るから、水辺から離してと言うことになった。当然、水から上がれない人魚からは遠い位置だ。アドバイスや話をすることもあって、水辺から2mぐらいの位置になった。
「どうやって火をつけるのよ」
「擦ったら火花が出ますよ。固形燃料を穴の中に入れて、そこに先端を当てて一気に擦ってください」
「こ、こう? ひゃあ!? び、びっくりしたぁ!」
初めての着火に驚く私。ライターだって使ったことないから、一気に火が出て驚いた。燃えている固形燃料が枯れ木を燃やし、赤く燃え始める。ほのかな温もりが体を温めていく。
「とりあえず服を脱いで乾かしましょう。さあ、早くお姉さまのおみ足を」
「脱いで乾かすのには賛成だけど、なんか下心ない?」
「お姉さまの健康と安全が一番です。さあ、さあ!」
ちょっぴり興奮気味の人魚にわずかばかり恐怖を感じつつ、しかし悪意とかはないことも知っているので服を脱ぐ。女同士と言うこともあるけど、人魚は水から上がれないから安全ではある。
「話を戻しますけど、この水害は天変地異と言ってもいいです。日本は島国ですが、だからこそ津波などの水害対策は世界最高規模です。その日本でさえ防衛や予測ができなかったのですから」
「人魚なんてファンタジーにそんな話されると、ちょっと違和感あるわね」
厳密には人魚じゃなく、どっかの研究所が作ったモノらしいけど。
「じゃあなに? 地球温暖化とかで北極とか南極の氷が解けたとか?」
「可能性としてはゼロです。気温はそこまで高くはありませんし、そもそもこれだけの水が温暖化で一気に溶けるのは不自然です」
昔から言われている温暖化問題。海面上昇とか時々聞くけど、あまりピンとこなかった。実際その通りで、気温が一度上がったところであまり世界が変わったとは思えない。専門家からすれば違うんだろうけど。
「なら何なのよ?」
「その……あまりに突拍子もない話ですし、そもそも根拠はありません。あくまで状況的にそれが一番しっくりくるんじゃないかっていうだけで聞いてくださいね」
そんな前置きをたっぷりした後で、人魚は自分でもこれはどうなんだ、と言う表情を浮かべて指を空に向けた。
「宇宙から水が落ちてきたんだと思います」
「……はああ?」
「正確には隕石ですね。常温で液体化する物質を大量に含んだ隕石。巨大な隕石が一個降ってきたのか、あるいは複数の塊が飛んできたのか。それで大気圏で溶けて地球上に大量の水が発生した……と言う考えです」
なんだその理論――平時ならそう笑い飛ばしていただろう。『もー。冗談うまいんだからー』って笑った後で、あとでこっそりネットで『液体 隕石』とかでググってまずないよね、って確認して。
「だって地球上の水量は決まってるんですよ。それがいきなり増えるとかありえません! 海底火山が一気に噴火して巨大大陸ができた、っていうよりは宇宙から液体が降ってきたほうが現実味が――」
「あー、うん。そうね」
「……ええ、わかってますよ。信じられないのは私も同じですし」
適当な相槌にふてくされる人魚。拗ねてる拗ねてる。
「あー、そうじゃないの。私はそんな説を思いつきどころか考えもしなかったし。むしろわからないまま置いておくよりは、仮説がある方が前向きでいいんじゃない。
要するに判断するには材料が足りないってことでしょ。それぐらい突拍子もないことが起きたとしか思えないことが起きたってことで」
「ええ。まあ」
「じゃあしょうがないわ。わからないものはわからない。それを知るよりも、やるべきことはたくさんあるしね」
言ってこの話題を打ち切った。世界が変貌した原因が分かったところで、どうにかできるなんて思えない。10代女子が天変地異に立ち向かうなんて、なんてハリウッド映画よ。それよりも、今日生きるために頑張らないと。
「っていうか、貴方以外と博識ね。正直驚いたわ」
「えへへー。褒められちゃいました。もっと褒めてもいいんですよ。頭撫でてくれてもいいんですよ」
「……まあ、それぐらいなら」
水の中からいろいろなものを取ってきてくれたのだ。それを褒めてあげるぐらいはしてもいいだろう。水面に近づき、人魚の頭に手を当てる。やわらかい髪。人間の髪。それを指で梳いていく。
「はふぅ。お姉さまの手、優しいです」
「この髪で潜るの、大変じゃない?」
「慣れればそうでもありませんよ。どっちかって言うと胸の脂肪の方が重くて――あいたぁ! あいあんくろー!? あいあんくろーって言うんですよね、これ! お姉さまの手が頭に食い込んでます!」
私よりほんの少し大きい胸に手を当てる人魚。思わずなでている手が滑って力が入ってしまう。事故よ、事故。
「なんで、同じ、遺伝子なのに、ここまで、差が出るの、よ!」
「乳房の発達は思春期までの乳腺の発達で姿勢や生活態度が原因――ぎぶぎぶぎぶっ! ぎぶっていったからはなしてくださーい!」
いろいろ理不尽に耐えて、手を離す私。その後で、大きくため息をついた。
「サバイバル知識もそうだけどそういう知識ってどこで学んだのよ。そのアダプトナントカっていうのにも関係あるの?」
「
寂しそうに微笑む人魚。弱弱しく壊れそうな、そんな顔。聞かれたくない。聞かないでほしい。そんな、守りの笑顔。
聞けば何かが壊れてしまう。だけど聞いたら教えてくれるだろう。この子は私に逆らわない。それは私がいないと人間じゃなくなるという事もあるけど、きっとそうじゃなくても――
「まあ、いいわ。貴方は私を騙そうとしてるわけじゃないんだしね」
手を振ってため息をつく。少なくともこの子は私の敵じゃない。そもそもこんな状況だ。余計な喧嘩の火種は抱えないに越したことはない。
「……いいんですか?」
「誰だって触れられたくないことはあるでしょ。私にだって、貴方にだって――」
そこまで言った後で、私はこの子の名前を知らないことに気づいた。ついで言うと、自己紹介も。……どんだけ遅いのかって言われそうだけど、こんな状況なだけに勘弁してほしい。他人に無関心すぎる私の性格もあるけど。
「そう言えば名乗ってなかったわね。私は皆川香織。もう意味はないけど、高校二年生。
貴方の名前は?」
「はい? アダプタブル――」
「それは名称とかでしょ? 私で言えば人間とか日本人とかそういうの。あなた自身を示す名前は?」
私の問いかけに、彼女は口と瞳を同時に笑みの形に変えて答えた。
「私、そういうのはないんです」
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