うごいてないね

aqri

動かない物

「うごいてないね」


 突然後ろから声が聞こえ、振り返ると幼稚園児くらいの女の子が立っていた。何だろう、と首をかしげると女の子は俺がつけている腕時計を指さす。


「これ?」


 しゃがんで女の子に目線を合わせ、女の子にも見えるように時計を目の前にかざす。


「うごいてないね」

「これ壊れてるんだ」

「こわれると、うごかないの?」

「動かないよ」


 この時計は父さんの形見だ。アンティークで中がかなり複雑な造りになっているらしく、普通の時計屋に持っていったら職人じゃないと直すのは無理だろうと言われた。時計はスマホを見れば事足りているので、まあいいかとそのままにしている。父さんが死んでからずっとつけてきたので、壊れていてもなんとなくつけていたかった。

 女の子はふうん、と言ってそのまま走り去っていった。親の姿は見当たらない。なんだか不思議な子だな、と思った。


「うごいてないね」


 その女の子に再び会ったのはおもちゃ屋だった。甥っ子が4歳になるので、誕生日プレゼントに何を買おうかと来てみたのだが。あの時の女の子に間違いない。

 女の子が見ていたのは、動く犬のぬいぐるみだった。柵の中でじっと動かずにいるのが不思議だったのかもしれない。


「これは動くよ」


 そう言って、手をパンパンと叩く。するとぬいぐるみはわんわん、と音を発しながら俺の方に近寄ってきた。


「これは音を鳴らすと動くんだ」

「なんで?」

「なんで、かあ。この子は音がしたときだけ起きるんだ」

「ふうん」


 そういう設定だから、というより子供に通じる言葉を選んで伝えてはみたが、伝わっただろうか。女の子は納得した様子も不満な様子もなくじっとぬいぐるみを見つめていたが、またどこかに行ってしまった。この間会ったのも高校からの帰り道だったし、この辺に住んでる子なのだろう。


「うごいてないね」


 数日後、何か服を買おうと店の前でマネキンのコーデを見ている時だった。いつの間にそこにいたのか、店の入り口、というより俺のすぐ隣にその子はいた。


「また会ったね」

「うごいてないね」


 そう言って指さしたのはマネキンだ。顔などは書かれていない、簡単な造りのものだ。服も着ているし子供目線には普通に大人に見える、のだろうか。


「これは人じゃないから動かないよ」

「うごかないの?」

「生きてないからね」

「ふうん」


 じっとマネキンを見つめ、タタっと走り出してしまう。あの子、何でそんなに動いていないものに興味があるんだろう。いや、甥っ子も言葉覚えてきたら「なんで」と「〇〇ってなに?」を常に聞いて来るので、あのくらいの年だと気になったことはつきつめたいのかも。

 俺が言ったあとに「ふうん」で終わってるのが気になるけど。納得、してくれてるんだろうか。


「うごいてないね」


スクランブル交差点で立ち止まっている人たちを指さす。


「信号が青になれば、動き出すよ」

「またうごくの?」

「信号が青になったらね」


 信号が青に変わり、信号待ちをしていた人たちが一斉に歩き出す。それをじっと見つめていると、ふと止まっている車を見て。


「うごいてないね」

「そう言うと思った。今は、車が動いちゃダメな時」

「またうごくの?」

「動くよ、車の信号が青になれば」

「ふうん」




「うごいてないね」


 女の子が指さしたのは、雲だ。大空に大小様々な雲が空に散らばっている。


「いや、動いてるんだよ」

「そうなの?」

「ここからだと動いてないように見えるけど。動いてるんだよ、雲は。ゆっくりゆっくり、すごくゆっくりね」


 上空ではとんでもないスピードで動いてるんだけど、まあそれを説明しなくてもいいだろう。


「ふうん」




「うごいてないね」


 女の子が指さしたのは、アスファルトの上で死んでいる雀だった。大きさからして子供だ、たぶん雛から成鳥になったばかり。飛ぶのに疲れたのか、烏に襲われたのかわからないが自然界ではよくあることだ。


「うごかないよ」

「うごかないの?」

「死んでしまったんだ、今までは動いていたけど、もう動かない」


 難しいかな、と思ったけどそのまま伝えた。すると女の子はいつもなら「ふうん」と言ってどこかに行くのに、今日はじっと俺を見ている。


「いきているとうごく」

「そうだね」

「しぬとうごかない」

「もう二度と、動くことはないね。生きているものは、いつか動かなくなる時が来るんだ、必ず」

るいも、うごかなくなるの?」

「え」


 目が点になった。この子、何で俺の名前を知ってるんだろう。不可解な事なんだろうけど、なんというか何度もいろいろな所で遭遇して、その都度俺がいろいろ教えているせいか、気味悪さなどはなかった。ただ不思議な感覚だ。

 ここで「何で名前知ってるの」と聞くのは野暮かな、と思った。この子の疑問には答えてあげたい。


「そうだね、うごかなくなるよ」

「いつ?」

「うーん、いつだろう。ずーっとずーっと先、しわしわのおじいちゃんになってからかな」

「ふうん」


 そんな会話をしていると、後ろから悲鳴が聞こえた。なんだ、と思い振り返る。すると数メートルもない距離のところで、男が大きな刃物を持ってこちらに向かって走って来るところだった。明らかにまともな人間じゃないのは見てわかる、目つきが完全に異常だ。


 やばい逃げないと、いやでもこの子を


 そんな思考は1秒あっただろうか。気が付いたら男は目の前に来ていて、逃げる暇がないと思ったら女の子をかばう形で前に出ていた。

 胸に凄まじい熱が生まれる。いや、温度ではない、これは痛みだ。刺された。ガクリ、と膝から崩れ落ちるのが分かった。


 心臓の辺りだ、致命傷だ。もう助からない。


 こんな時だというのに、そんな冷静な考えが頭をよぎる。そして、倒れた自分の下敷きになってしまったらこの子は逃げられなくなる、と咄嗟に横に転がって逃げろ、といった。言ったつもりだ、言えたかどうかはわからない。熱さと痛さと冷たくなる手足、意識がすぅっと消えていく感覚の中。


「うごくなよぉ~、殺せないだろぉ~?」


 男の陽気な声が聞こえ、ぎゃははは、という笑い声とともに再び男が大きく腕を振りかぶったのが見えたのを最後に、ふっと目の前が真っ暗となった。


「う~ご~くなよ~、今殺すから~!」




 目を開くと天井が見えた。どこだ、と思うと同時に体中の痛さを感じてイテテ、と声を出す。その声は枯れていて、本当に自分の声かと疑ったくらいだ。口には何かプラスチックの物がついていて、左右を目線だけで見れば点滴、なんかの装置。ああ、病院かここ、とようやく理解が追い付く。あの状況でよく生きてたな、と。こんな状態だというのに冷静に思ってしまう。


「あ!」


 聞きなれた男の子の声が聞こえた。甥っ子のたけるだ。俺を見るなりパァっと笑顔になり、バタバタと音を立てて廊下に走って行く。病院は走っちゃだめだって注意しないと。


「パパ、ママ、おばあちゃん、るいくん、おきた!」


 相変わらず声が大きいな尊は、兄貴そっくりだ。そんなことを考えていると、廊下からものすごいドタバタという数人が走り寄って来る音がした。

 本気のダッシュをして入ってきたのは母さん、兄貴だった。母さんは顔色が悪く、いつもポーカーフェイスな兄貴はめずらしく泣きそうな顔をしている。遅れて兄貴の嫁さんと尊が抱っこされて入ってきた。


「泪! 大丈夫!? 今、今先生呼ぶから!」

「……か、あ、さん」

「何!? 辛いの!?」

「病院で、はし、るなって……尊に、注意、しづらい」

「……はあ~」


 俺の言葉に母さんは安堵した様子でその場にへたり込んだ。兄貴も泣き笑いのような顔になり、お前は起きて早々それかよ、とくしゃっと髪を撫でてくる。奥さんも泪君こんな時でも相変わらずだね、とほっとした様子だ。


 その後俺はしばらく入院した。意識がはっきりとしてから母さんや兄貴から聞いた話では、あの場で頭のイカレた奴が通り魔を起こしたそうだ。何かいろいろ人生に失敗して自棄を起こしたらしいが、そんな事こっちに関係ないしどうでもいい、と二人とも詳しくは話さなかった。……ニュースで、ホステスに貢ぎまくって借金数千万あって挙句告白してフられた、って見ちゃったけどな。そんな理由で俺が死にかけたとなっちゃ俺には伝えたくなかったのもわかる。

 俺は半月くらい意識がなかったそうだ。つい先日までICUに入っていて、一応体調が安定してきたから一般病棟に移ったばかりだったらしい。本当なら死んでいてもおかしくない、というより生きているのが奇跡という状況だったと言われた。


「犯人捕まった?」

「いや、死んだ」

「は? なんで」

「心臓発作らしいぞ。お前刺した後バタって倒れてそのまま、ってのが目撃者の証言」

「デスノートの可能性あるな」

「それな」


 俺と兄貴のアホ会話を兄貴の嫁さんがくすくすと笑いながら聞いている。

 ……意識をなくす直前にきいたあの言葉。



 聞いたことない声だった。男なのか女なのかわからない、二十音声のような不思議な声。

でも、きっと。というか、たぶん、あの子だよな。

 動くな、か。俺が命云々を教えたからか。良かったのか、悪かったのか。そして俺が生きている理由。何でだろうと思ってたけど、一つ心当たりがあるとすれば


「泪も、うごかなくなるの?」

「そうだね、うごかなくなるよ」

「いつ?」

「うーん、いつだろう。ずーっとずーっと先、しわしわのおじいちゃんになってからかな」

「ふうん」


 あの会話。俺が動かなくなるのは、しわしわのおじいちゃんになってからだから。だから、だろうな。ふうん、っていうのはあの子なりの理解を示した反応だったんだ。

 助けてもらったという感謝の気持ちは不思議となかった。たぶんあの子は人助けとかそう言うつもりで俺を生かしたわけじゃないと思う。たぶん俺が冗談めいて今かな、なんて言ってたらあの犯人と同じ運命だった。

そういう子なんだろう、あの子は。




 居間のテーブルに置かれたたくさんの写真。母さん、兄貴家族、俺の家族。嫁さん、子供たち、友達、孫たち。写真を見るといつどこで撮った写真なのかを鮮明に思い出せて口元に笑みが浮かぶ。祝、米寿、のメッセージカードもたくさんもらった。孫たちの力作だ。それらを眺めていると、なんとなく気配を感じて顔を上げる。


 あの子が、いた。


 死にかけてから一度も会っていなかった。あの時は幼稚園児くらいの年だったが、今は小学生くらいの年齢になっている。


「やあ、来ると思ったよ。久しぶりだね」

「泪、しわしわのおじいちゃんになったね」

「ああ、君のおかげだ。ありがとう」

「今日、動かなくなるよ」


 女の子が無表情のままそう告げる。なんとなくそんな気がしていた。何だろうな、本当にただの予感なんだけど。だからこうして柄にもなく写真を広げて今までの人生を振り返ったりしてたわけだが。


「ずっと動き続けることも、できるよ」


 幼い少女だというのに、まるで強大な敵を前にしたレベル1の勇者のような気分になる。殺気立っているわけじゃないのに、ピンと張り詰めた空気だ。この子との問答は、間違えてはいけない。


「いや、いいんだ」

「いいの?」

「動かなくなる時がきたんだよ。雀の時に教えただろう? それにね。楽しみでもあるんだ」

「動かなくなるのが?」

「奥さんが病気のせいでだいぶ早く死んじゃってね。夫婦で過ごした時間がたった15年しかなかった。天国で50年くらい待たせちゃってるから、会いに行くのが楽しみなんだよ。いい加減、寂しいしね」

「……ふうん」


 相変わらず、納得しているのかしていないのかわからない顔だ。しかし今日はどこかに行ったりせず、そのままそこにいる。一枚の写真を手にしてじっと見つめる。


「これは何の写真?」

「ああ、それは家族旅行だ。伊豆に行ったときだね、三番目の末っ子がはしゃぎすぎて階段から落ちて骨折したっけ」

「これは?」

「長男の運動会だ。初めての運動会で俺の方がテンション高くて、カメラを新しいの買ったっけ」


 そうして次々と写真を見る。これは、これは、と聞かれ一つ一つ説明していった。

 そうして、夜も更け。




 静かに座椅子に座る彼を見て、少女は写真をテーブルに置いた。これは、と聞いても返事がない。わかっている、当然だ。

 今、彼は動かなくなったのだ。

 目元と口元には笑い皺が出来ている。よく笑う人生だったのだろうと思う。近寄って、彼の胸に耳を当てる。


「……うごいて、ないね」


 そう呟くと、彼から離れてその場を後にする。


「おやすみ、泪」



END

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