第六話『急展開』
「はぁ……はぁ……」
ひっそりと息を潜める。
慣れ親しんだ洞窟の中だというのに、いつもの安心感は微塵も感じられない。
ぴちゃぴちゃという湧き水の音、洞窟内に吹く風の音が、がやけに大きく耳に残った。
───頼む。神様、もし居るならば私を助けてくれ。
今まで信じたことも無い神に縋る。
薄情かもしれないが、人間危機が迫ればなんにでも縋りたくなるものらしい。
しかし幾ばくかの時が過ぎた時、無常にもそれはやってきてしまった。
「グギャ……」
「ギャゥァ!」
「グギャア?」
外から声が聞こえてくる。
あいつらの声だ。
私を見失ったため、周囲を探索しているのだろう。
くそっ……!
上手く撒けたと思っていたが、追跡されていたらしい。
「どうしてこんな……」
思わず愚痴が漏れる。
しかし、近くまで来ているあいつらに見つからないよう、すぐにまた息を潜めた。
洞窟の外からは今も尚、私を探して歩き回る変態達の声と足音が響いている。
それは、いままで観察してきた、ヤツらの統率のない動きとは一線を画していた。
素晴らしく統率の取れた、集団的な動き。
私を見つけるためだけに重点を置き、その膨大な数で周辺を探し回るというものだ。
普段の変態共ならば、こうはいかない。
───しかし、今はあいつが指揮を取っているのだ。
「グガァ!ギャァガァァァア!」
前に黒い猪を解体していた、変態共より一回り大きな体躯をしたおそらくボス格の変態。
そいつが変態共を統率し、私を探させているのだ。
そんなヤツらの動きを観察しながら、私はどうしてこうなったのか思考をめぐらせる。
───事の発端は今日の探索時に起こった。
まず、今まで奴らはヴリエの木を境にして、洞窟のある此方側に来ることはなかったのだ。
なぜかは分からないが、今まではそうだった。
しかし、今日だけは違った。
「……」
私いつもどうり探索、及び変態共の観察に向かった時のことだ。
いつもどうりの時間で、いつもどうりの道筋で、いつもどうり変態共の集落に向かい、道中ではしっかりと植物や生物の観察研究をして、ヴリエの実もいくつか採取していた。
おかしな所など、ひとつもない。
今までと変わらないいつもの行動。
そして、今日はステータスも上がり、大幅な行動範囲拡大が見込める……筈だった。
筈だったのだ。
……だが、変態共の集落の様子が違った。
通常ならば全員がバラバラに行動していて、協調性なんて微塵も感じられないような……
集落にいる者の方が少ないような時間だった。
それ故に、今まで1匹で行動しているはぐれの変態を狩ることができていたのだ。
……いや、今思えば、はぐれを倒していたのが良くなかったのかもしれない。
とにかく、いつも集まるなんてことはしない変態共だったのだが、その日は全員が村にいた。
私はすぐにどこかおかしいことに気がついた。
集落には、中心に広場のような場所があり各々が好きに集まったり、殴りあったり、動物の死体を壊したりしている様子が時折見られるのだ。
しかし、今日はそんな様子も見当たらない。
いつも好き勝手しているその場所で、全員が何かを待つように座っていた。
グキャグギャとうるさい声が広場中に響いていた。
そして、そいつは来たのだ。
「グギャァァァゥァァア!」
変態達のボス格、筋骨隆々の肉体を持った、恐ろしい怪物。
そいつは、広場にいる変態達に向かってひとつ咆哮をあげる。
それに呼応するかのように大きな声を張り上げる変態共。
しばらくそれが続き、私は驚きを隠せずゆっくりと後ずさりした。
……しかし、そこでミスをしてしまった。
よくあるやつだ。
後ずさりした時に、木の枝を踏み抜いてしまった。
パキッという音がやけに大きく響いた。
瞬間、私の方を振り向くボス格。
その顔は醜悪で、ニタッと笑ったかと思うと、一際大きな叫び声をあげたのだ。
───その瞬間、私は走った。
あれはやばい。そう脳が叫んでいた。
全力で洞窟に走った。
だけど、完全に撒ききれなかったんだ!
だって、今、その怪物は私を探して洞窟の外を歩き回っているのだから。
私を殺さんとして、歩き回っているのだから!
「あぁ、はぁ……はぁ……!」
呼吸が荒くなるのを感じる。
だめだ。落ち着かなければ……!
慌てる頭を無理やり理性で抑え込む。
ははっ、すごい汗だ。我ながら相当焦ってるな。
手で額に滲む汗を拭う。
その間にも、私の頭は思考を続けていた。
「あいつらをどうにかする方法……」
恐らくここにいても、勝ち目はない。
こんな狭い所でやり合ったら、攻撃を避けられずもろに受けて死ぬ未来しか見えない。
ならばどうするか。
───ならば、答えはひとつしかない。
「よし……!」
私は覚悟を決めて立ち上がる。
ゆっくりと歩き、洞窟の入口部分から外の様子を伺った。
見ると、怪物+変態達はヴリエの木辺りを探しているようだう。
先程は洞窟のすぐ近くにいると思ったが、案外離れているな……ならば!
「今しかない!」
その言葉を皮切りに走り出す。
ただただ必死に前だけを見て、走る。
「グギャア!」
「グキャッ!」
「グギャギャ!」
後方から変態共の鳴き声が聞こえた。
まぁ当然だ。全力で走れば足音も必然的にでかくなる。
見つかることは想定内!
「グガアアアァァアアア!」
来たな!
私は後方をちらっと見やる。
そこには、変態が数匹と変態共の親玉、あの怪物が迫ってきている最中だった。
───追いつかれないように必死に走る。
木々の中を転けないように、木に当たらないように気をつけながら……気をつけながら走っていく。
だからこそ、あいつらに距離を詰められていた。
ていうか、そもそも私は体力がない。持久走最下位は伊達じゃないのだ。
まぁ、こうなるのは当然の結果である。
「万事休すか……!」
私は、思わずそう呟いた。
変態共は一塊となって私の後方を走っている。
追いかけてきている怪物の顔は、酷く醜悪な笑みを浮かべているのが見て分かった。
きっと捕まえたあと、どうやって痛ぶろうかと考えているのだろう。
私をどうやって殺そうか考えているのだろう。
私は、弱いと……
私は何も出来ないと……
私は、為すすべもなく、やられてしまうと……
「そう思っているのだろう!だが残念だったな?!
───喰らえぇぇええええぇぇぇぇぇぇえ!【掛け布団】!」
しかし、私は突如として走っていた勢いのまま後方を向き、何かを投げるような動作とともに思い切り叫んだ!
「グガァァア!?」
すると、叫んだ次の瞬間。
私の手から放物線を描くように広く薄い、しかし丈夫そうな白い布が変態たちに向かって飛び出した。
それは、ふわりと変態共に向かっていき全員を包み込む。
私の後ろを走っていた変態共は為すすべもなく、私の新たなふとん技【掛け布団】に絡まってしまったのだ。
「グガァァァア!!?」
必死に抜け出そうともがく変態共。
しかし、簡単には抜け出せない。
何故ならば、ふとんスキルの材質変化により【掛け布団】には粘着性を付与してあるからだ!
そして、抜け出せないのは変態共だけではない。
そのボス格すらも、捕らえているのだよ!
【掛け布団】を抜けようと動くさまが、どこか可笑しく感じる。あの怪物の剛腕ですら【掛け布団】は破れないようだ。
「はぁ〜、助かった……!」
思わず安堵の声をあげる私。
そして、自らの声を聞いたことで、生き残ったということを実感する。
これは進歩だ。
私は確実に強くなっている!
この世界に来る前の私であれば、洞窟に追っ手が来た時点できっと諦めていたことだろう!
いや、追いかけられた時点で死んでいたかもしれない!
しかし……しかしだよ!
今の私は、あの怪物相手に、攻撃せずとも勝つことが出来るのだ!
やり方次第で、私は格上を完封できる力を持っているのだ!
そう……私は、ふとんさえあれば、なんでも出来る!
「ふふふ……作戦成功だ!」
洞窟にいる時とは打って変わって、最高の笑顔で勝利を宣言する。その間も変態共は抜け出せない。
愉快だ。最高に嬉しい!
強くなったことに対して、生きていけることに対して、こんなにも喜びを感じたことは無かった!
震える拳を諌めながら、私はひとまず誰も抜け出しそうにないのを確認すると、急いでまた走り出す。
今まで守ってくれていた洞窟には申し訳ないが、これはもう行くしかない!
目指す方向は変態共の集落!
「……の先の場所だ!待ってろよ人族!」
まぁ、まだいるかは分からないけど!
この世界の人族が人間とは限らないからな!
……だが、予感がするのだ!
この先にはなにかがきっとある!
「予定は狂ったが、まぁいい!行くぞ!」
そうして私の冒険は、なし崩し的に始まった。
いつもどうりの流れで、いつもどうり動き、いつもどうりに朝を迎える。
そうやって今まで、計画的に慎重に動いてきた。
しかし、今回は先に進むこと以外何も考えていない!
計画性皆無!凄まじい無鉄砲!
だが……きっとそういうものだろう?
生きるというのはなぁ?!
「ふふっ!久々に楽しみだな!」
今の私の顔には、きっと笑みが浮かんでいる。
それほどまでに、気持ちが晴れていた。
この先には何があるのだろう。
この先には、何が待っているのだろう。
───さぁ、いつもどうりは終わりだ。
「いざ、行こう!冒険へ!」
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