空の色が真っ青だという
青い夕焼け
第1話
空の色が真っ青だという。
透き通る青空の中に真っ白い雲があるのだと。
しかし俺にはどうもまぶしくて見えなかった。
空を見上げるとナニカがあるのだ。
靄のような、キラキラと光を反射させるそれが邪魔して目を開けていられない。
だが友達にそんなことを話しても変な顔をされる。
親にも行ってみたがファミレス行きの車が眼科に変わるだけだった。
皆が外で走り回っている中、俺は少しの時間しか外に出ていられなかった。
精々、体育の授業を一限受けられる程度。
小学五年、他の子たちは皆ドッジボールやらサッカーやらに熱を上げている中、俺は仲間に入れなかった。
だから休み時間はいつも校舎の中。
親に買ってもらった本を片手にぶらぶらと歩き回る。
チャイムと同時に飛び出していく友達の背中をただ、眺めるしかなかった。
そんな時、俺と同じものを見れる奴がいた。
蝶野 花火。
彼女は俺の隣のクラス。
その時は話したことも、そんな子がいることも知らなかった。
たまたま俺がぶらついている時。
彼女が校庭側の校舎の外に面した暗い日陰の中に座り込んでいた。
誰かとボール遊びをするでもなく、ただ手に持ったスケッチブックに何かを書きながら時折まぶしそうに手をかざしていた。
「おまえ、いっつも何描いてんだ?」
いつもいつも同じ場所でしんどそうに俯いてスケッチブックを見つめている彼女のことが気になって、つい声を掛けた。
「漫画」
そっけなく返ってきた返事。
「なんでそんな暗いところで描いてんだ」
何故か日陰で座り込んでいる彼女にそう訪ねると、
「空がまぶしいから」
その後もぽつりぽつりと会話をしていくうちにどうやら彼女も俺と同じく空に変なものが見えるらしいことが分かった。
流れで名前を聞きだした俺は花火に対して妙な仲間意識を感じていた。
こいつも俺と同じ。
外で活動できる時間が限られている。
俺と同じように休み時間は一人きり。
疎外感という言葉すら知らなかった俺はその時初めて自分と同じ人間を見つけた嬉しさに心を震わせた。
花火は何を聞いても一言二言しか返事を返してくれなかったが俺には十分だった。
それから退屈だった休み時間が急に待ち遠しいものになった。
ーー
「お前さ、外で遊びたいって思うことない?」
「……? 何言ってるの?」
「うん? 何言ってるってーー」
「今外で遊んでるでしょ?」
スケッチブックをトントンとペンで叩きながら不思議そうな顔をする蝶野に俺は呆れつつ言った。
「そうじゃなくて、ドッチボールとか、鬼ごっことかさぁ」
「別に。こうして漫画描いてる方が好き」
そういってまた黙々とペンを動かし始めてしまう。
きっとこいつの中での一番優先するべきことが「漫画を描く」ということなのだ。
他のことに興味がないわけではない、と思う。
時々ぼーっと校庭走り回ってる奴らを見てるのを見かけるし。
ただそれ以上に漫画を描くのに没頭していると言うだけで。
「ふーん」
俺はそんな花火に、多分嫉妬していた。
当時は気づかなかったけど、思い返せばあの時の感情は嫉妬以外の何物でもない。
俺には好きな物がなかった。
熱中できるものがなかったから、花火が漫画に熱中している姿がやたらと目に焼き付いたんだ。
「そんな一生懸命書いて、漫画家にでもなるのか?」
だからちょっと意地悪な気持ちで、そんなことを言った。
どうせなれやしないのに。
そんな気持ちで、嫌なことを言った。
「そうだよ」
花火は当たり前のようにいった。
あんまり自然に言うもんだから、俺は何も言えなかった。
できるわけない、とか。
どうせ無理だよ、とか。
そんな言葉も出なかった。
俺と花火は同じだと思っていた。
けど違った。
花火は俺にないものを持ってた。
漫画家になるって立派な夢があった。
突き放されたみたいに胸の奥がすっと冷えて、なんだか急に自分が恥ずかしくなった。
ーー
花火と同じになりたくて。
慌てて自分の夢はなんだろう、何かないかなって考えた。
花火に負けないくらい凄い夢はないかなって。
夢って探すもんじゃなくて、気付いたら目指してるものだよみたいな話も聞くけどそんなことは俺にはどうでも良かった。
花火に並ぶものが自分にも欲しかった。
スポーツ選手。
医者。
政治家。
色々考えたけど、どれもしっくりこない。
漫画家は選択肢から外した。
花火と同じ夢。
それも悪くはないのかもしれないけど、別のものがよかった。
花火と同じ(傍点)、でも花火とは違うもの。
いつまでも見つからなくて、少し焦って。
でもふとした時に見つけた。
俺は本を読むのが好きだった。
あまり外に出られないと室内で過ごしてばかりで、その間やることといえば本を読むことくらいだったから。
机の上で一冊の本を読み終えて、これだと思った。
花火は漫画家。
なら俺は本を書く人、小説家になろうと思った。
ーー
俺はすぐに花火に話した。
「俺、小説家になる」
相変わらず一人黙々と漫画を書いていた花火だったが、俺がそう口にしたのを聞いて珍しく驚いた顔でこっちを見た。
驚いただろう。
これで俺もお前と同じだ。
対等だ。
そう思って胸を張っていた。
「もう書いた?」
「ん?」
「小説は、もう書いたの?」
書いてはいなかった。
昨日なると決めたばっかりだったから、まだ一文字も書いていない。
「まだだけど」
「ははっ」
花火は馬鹿にしたように、鼻で笑った。
「なんだよ」
なんで笑う。
花火は初めて見る表情で俺を見ると、
「口だけ〜」
ニヤニヤと笑いながら言う花火の言葉が頭に浸透すると、カッと頭に血が上った。
「今日から書くんだよ!」
ムキになって怒鳴る俺に花火は少しびっくりしたようだったが、すぐにまたニヤケ面に戻った。
俺にできるはずない。
そう思っているのがありありと伝わってくる笑い方だった。
自分でもなんでこんなにムカついたのかわからなかったが、家に帰った俺は花火を見返してやろうとすぐさま作業に取り掛かった。
それから小説を書いて書いて書きまくる。
これが自分の夢だと、バカにさせないために。
そして渾身の作品を花火へと見せた。
どうだと自慢するように。
出来は素人目に見ても、というか素人だからこそ見れたものではなかったはずだ。
設定は矛盾だらけ、文章もめちゃくちゃで、何が面白いのかわからないような出来だった。
それでも当時の俺にとっては自信作も自信作。
必ず花火の鼻を明かしてやれると息巻いていた。
花火は多くを語らなかった。
その時の俺は自信満々だったが、どう見ても出来の悪い作品だ。
それこそケラケラと笑われてもしょうがない出来だった。
しかし、花火は笑わなかった。
ぐちゃぐちゃなはずの小説を見て、鼻で笑うようなことはしなかった。
ただ一言だけ、
「意外と良い」
花火はそれだけ呟いた。
不思議なもので、あれだけ見返してやろうと息巻いていた怒りはその言葉を聞いただけですっと沈下した。
ーー
それから俺はより一層面白い小説を書くために時間を費やした。
休み時間、家に帰ってからの自由時間。その他使える時間をほぼすべてつぎ込んで俺は小説に没頭した。
ひっきりなしに手を動かした。
これほどまでに熱中することなんて今までにあっただろうか。
気づけば数時間が経っているなんてのもザラで、あっという間に時間が過ぎていく。
作品が出来上がる度に真っ先に花火に見せて感想をもらった。
「びみょー」
どうやら初めに見せた作品がたまたま良かっただけらしく、その後見せたものは大半が面白くなかったらしい。
設定が面白くないだの、何が言いたいかよくわからないだの、散々な良いようだ。
そんな花火も出来上がった漫画を俺に見てほしいと言ってきた。
流石にずっと書いてるだけあって花火のそれは俺の小説よりも、なんというかしっかり(傍点)していた。
絵は少しぐちゃっとしていて、本屋で売ってるやつとかと比べたら全然すごくはないけど。
ちゃんとキャラがいて、笑って、泣いて、怒っている。
きっと大人が見たらまだまだなんだろうけど、それでも俺から見たら凄かった。
凄い漫画だった。
「……まぁまぁだな」
でも素直に認めるのはなんか悔しかったから、そんなことを言った。
「でしょ! 面白いでしょ!」
まぁまぁとしか言ってないのに、花火はキラキラとした笑顔で言った。
そうして俺達は自分の作品が完成する度に互いに見せあい、あーでもないこーでもないと言い合った。
いつの間にか同級生達のことなど気にならなくなっていた。
「もっと上手くなったらさ、テレビとか本屋にも並ぶんだよな」
「当然。十年後にはテレビでやってるアニメは私の漫画ばっかりになるかも」
「そんないっぱい書けないだろ」
くだらない妄想だ。
「本屋に並ぶのは五年後くらいかな」
「なら俺は三年で本出す」
それでも俺達は本気でそう思ってたし、できると信じてた。
ーー
夢中になれるものがあったおかげか、凄まじい早さで月日は流れていった。
あっという間に小学校を卒業し、俺と花火は中学生になった。
幸いというか、必然というか俺の住んでいる地域では私立受験でもしない限りほとんどの生徒が同じ中学へと通う。
俺も花火もその例に漏れず、同じ中学へと進んだ。
中学生でも相変わらず俺は小説を書き続けた。
同じ小学高の奴らから聞いたのか、中学になって初めて顔を合わせた奴らは俺が何かをやっていると知っていた。
小説を書いていることは花火以外には言っていないが、日頃ずっと室内でせこせこノートに文字を書いていたのを見られていたのだろう。
あいつはそういう奴なんだと、こちらから何を言うでもなく伝わっていた。
ここでやんちゃな奴がいれば、俺がこそこそと何をしているのかとノートをふんだくり、
「こいつ、小説なんか書いてやがるぜー」
と一悶着あったのかもしれないが、幸運にも周りの連中は俺が何をしようと絡んでくることはなかった。
部活には入らなかった。
殆どの奴は何かしらの部に入っていたが、俺はそんな暇があったら全部小説に注ぎ込んだ。
中学に上がって勉強についていくのも大変になったから、費やす時間が少なくならないよう頑張った。
ーー
小学生の頃は小説が出来上がればすぐに花火に見せに行っていたが、中学に上がってからはそんなに頻繁には会わなくなった。
中学の制服に身を包んだ花火へと何度か話しかけている内に妙に恥ずかしくなった。
花火と話しているところを誰かに見られたくなかった。
俺が会いに行かなからといって、向こうから漫画を見せてくることもなかった。
だが中学生に上がり、そこそこ形になってきていた小説を溜め込んだままにするのはもったいないと思った。
けど学校で花火と話すのは恥ずかしい。
「アドレス?」
だから俺は携帯の連絡先を交換しようと花火に言った。
中学に上がったお祝いとして親から携帯をもらったのだ。
「持ってる?」
「あるよ」
花火は俺の提案にすんなり頷いた。
「でも学校持ってこれないから」
「じゃ、今度の休みにちょっと会おうぜ」
そうして初めて学校以外で花火と会うことになった。
自分から誘ったが、女子と休日に出かける。
そんな初めての経験に俺は少し緊張していた。
休日に見る花火は制服じゃないと言うこともあってなんだか小学生の頃に戻ったみたいだった。
「はい」
いつも傍にあったノート。
流石に休日までは持ち歩いていないと思ったら、やっぱり脇に挟んでいる。
連絡先を交換しながら、花火が持っているノートに目をやる。
「お前、流石にこんな時くらいノート持ってくんなよ」
しかし花火は至極不思議な顔をして首を傾げる。
漫画バカといってもおかしくない。
「なんで?」
しかし花火はノートを俺に押し付けてくる。
「なんでって、なんだよ?」
何がしたいのかよくわからなかった。
花火も俺がよくわからないと言う顔をしているのが、わからないみたいだった。
「漫画、最近見せられてなかったから」
見てよと、呟いて再びノートを押し付けてくる。
そうだった。
俺の目的はアドレスを交換することじゃなくて、小説を見せることだ。
久しぶりに花火から渡された漫画は一層上手になっていた。
絵も上手くなっているし、話の中身もこれまでより面白くなっている。
「じゃあ、次。君の番」
ん、と手を差し出された。
だが、今日は小説を持ってきていない。
「今日は持ってきてない」
「?」
「だから、来週見てくれ。連絡するから」
花火はじっと俺のことを見ていたが、しばらくして携帯を掴み、
「じゃあ、待ってるね」
ふわりと笑った顔は少しだけ大人びた表情に見えた。
ーー
これまで親としか連絡してこなかった携帯。
そんな中に現れた侵入者へと二週に一度、連絡を入れる。
『どこまで進んだ』
『今日は一ページ丸々完成させた。そっちは?』
『ぼちぼちだな』
『一月後くらいには見せられる?』
『余裕』
やりとりなんてそんなもの。
一言二言交わすだけ。
それでもそんなメッセージを送りあうだけで、どこか充足感に溢れていた。
そうしてどちらかが区切りの良いところまで完成させれば、適当な場所で待ち合わせた。
場所はほとんどファミレス。
少ない小遣いを握りしめてドリンクバーだけで何時間か過ごすこともあった。
お互い部活にも入らず、がむしゃらにかきまくったこともあってか見せ合う度に上達していった。
中学二年の夏。
夏休みに入り、まとまった時間の出来た俺は学校から出た課題など知らないと新作に没頭していた。
クラスで時々喋る程度の友達はいても、休日に遊びに行くような奴はいない。
遊びの誘いが来ないということは一見寂しい人間のようだったが、俺にはどうでもよかった。
交友関係なんてないほうが小説に回せる時間を稼げる。
そんなことよりもっと面白い小説を書いて、花火より先に俺の本を店に並べてやる。
ただそれだけを思って日がな一日机にかじりついた。
花火より先に、花火より先に。
書いて、書いて、書いて。
そして我ながら恐ろしい熱中ぶりで夏休みが終わる頃、文字にして本一冊分くらいの量の小説を書き終えた。
会心の出来だ。
さっそく花火に見せようと携帯を開いたところでふと思いついた。
そろそろ賞に応募してもいいんじゃないか。
今まで出来た小説はまっさきに花火に見せてきた。
そして花火はその度に辛辣な言葉を吐いた。
そのせいで俺はまだまだなんだと、また新しい作品を作り始めていた。
だが……。
「こんだけ書いたし、もうなんかの賞ぐらい取れるだろ」
夏休み全部使って書いた自信作だ、間違いなく全国の中学生の中で俺が一番上手い自信があった。
今までの作品の中で一番良い出来で、さらに量も一番だ。
短編、中編しか書いてこなかった俺の初めての長編だ。
すぐにネットで応募の準備を進めた。
「なんかニヤニヤして、気持ち悪い」
「っ、別にそんなことねぇって」
休み明けのファミレス。
花火に内緒で賞に応募した俺は口元の緩みを抑えきれずにいた。
応募を終えたときからずっとソワソワとして、いまいち新作へとりかかる手が進まない。
早く結果が気になって仕方ないが、一次選考の発表は年末に行われるとのことでまだ当分先だ。
先だとわかっているのに、意識がそちらに向いてしまう。
花火は妙に挙動不審な俺を不可解そうに見ていた。
「で、今回のは自信作なんだって?」
「まぁな、見て驚くがいい」
初めは書いた文章をプリントアウトして見せていたが、中学生に上がり、ネットに小説を投稿できるところがあると知ってからはそのサイトを使っている。
「長っ、驚くがいいってこれここじゃ全部読めないよ」
「じゃあ感想は電話でくれ」
なんだよ、と呟く花火は口にしたストローでズルズルとコーラを啜る。
「お前の方は? 完成したのか?」
問いかけると花火はさらに顔を顰めた。
「それが……」
花火は手提げからノートを出す。
「え、これ」
「アイデアが何も出なくて……」
そのノートは真っ白だった。
小学生の時からずっと、花火は常にノートに何かを書いていた。
花火が考えたであろうキャラや、人気の漫画キャラが所狭しと書き込まれていたのを覚えてる。
花火は困ったような表情で僅かに眉を寄せた。
「スランプか?」
「それ、プロになった人とかが使う単語でしょ」
花火は口に加えたストローを噛む。
互いに見せ合うものがないため、やることがなくなってしまった。
「ねぇ、高校どこいくの?」
互いにズルズルと飲み物を口にする中、ふと花火がそんなことを言った。
「薬高」
「そっか、じゃあ私とは別だね」
静かに呟く花火の視線はファミレスの中を行ったり来たりと動いていた。
ウェイトレスが品物を持って移動する姿、奥の席に座った女子高校生なんかを眺めている。
「高校行ったらさ、バイトとかする?」
「そんな時間ねぇだろ」
バイトなんてしてる暇があったら俺は小説の時間に使う。
「でも私は賞に応募するなら色々と準備しなくちゃいけないからさー」
「漫画家は金がかかるな」
「もしかしたらここのファミレスでバイトし始めるかも。そしたらたくさん頼んでね」
「その金はお前には入らねーぞ」
それもそっかと花火は笑った。
適当に一時間くらい過ごしてから、二人でファミレスを出る。
扉を開き、空のまばゆさに目をすぼめる。
半眼になりながら、額のあたりに手をかざす。
まだ9月の上旬。
夏の名残を感じさせる日差しが降り注いでいる。
といっても俺には眩しすぎて、夏とか冬とか関係なくまともに見れない。
空にあるナニカはいまだ晴れずに居座ったままだった。
そんな俺の横を花火はとっとっ、と軽やかに抜けていく。
「……っ?」
「何、そんな凝視して」
「いや、だってお前眩しくないのか?」
小さい頃から花火も俺と同じ様に外では長い間過ごせなかった。
俺と同じ様に、空にあるナニカが眩しいとそう言っていた。
いつもお上品に日傘をさしていた。
だが今はなんてことのないような動作で外を歩いていてる。
「んー、なんかね最近楽になってきたんだよね」
花火自身もよくわからないらしい。
不思議そうに首を傾げたまま肩に下げた手提げの持ち手をねじねじといじっている。
「ほーん」
それなら俺もそのうち眩しくなくなるのだろうか。
ーー
年が明け、応募していた小説の一次審査の結果が発表された。
発表は応募した賞のホームページにて行われるとのことだった。
学校が終わり、即座に家に帰って俺はパソコンを起動させる。
いつもの起動画面。
画面がぱっと明るくなり、パソコンが立ち上がる。
その僅かな時間すらもどかしく、俺は足をばたばたと動かしながらマウスを動かす。
そのままホームページへ飛び、自分のペンネームを探した。
ずらりと並ぶ聞き覚えのない単語達を眺めながら、見落とさないように一つ一つ確かめながら見ていく。
「……」
焦りすぎた。
もう一度見ていく。
「……ない」
時間にして一分も経っていない。
だからもう一度、念の為最初から見落としがないかを確かめた。
しかし結果は変わらなかった。
約三ヶ月、その間もし書籍化されたらどうするかなんて妄想を膨らませながらソワソワと待ち続けていた。
それなのに。
「マジかよ……」
傑作だった。
いままで一番おもしろい物が書けたと思った。
何がだめだったんだ。
何が。
俺は途端にすべてがどうでも良くなり、その日は何もやらずにふて寝した。
次の日の夜。
花火からメールが来ていた。
内容は俺の新作についての感想だった。
「今かよ……」
なんでもあいつ自身作業が進んでおらず、読んでいる時間がなかった為にここまで遅くなってしまったらしい。
『いつもより長めだからちょっと話のインパクトが弱かったかも』
というのが花火の感想の要約だった。
それから二週間後、再びファミレス。
最近の花火はどうも良いアイデアが出ないとか、行き詰まっているようで沈鬱な表情が多かったが今日は随分と上機嫌だ。
逆に俺は渾身の一作が一次選考すら突破できず、未だショックから立ち直れていない。
先に席に着いていた花火がやってきた俺の顔を見て一言「なんかあったの」と声を掛けてくる程度には暗い顔をしていた。
俺はこっそり賞に応募していたことと、あえなく落選したことを花火に話した。
「抜け駆けするから〜」
つんつんと腕を突いてくる花火は鬱陶しく、しかしそんな花火の態度がそこまで嫌ではない自分がいた。
一緒になって落ち込まれるよりも、適当に笑い飛ばしてくれる花火の態度は沈んでいた俺の気持ちをいつもの場所まで持ち上げてくれた。
「まぁ私の新作でも見て、学ぶといいよ」
そう言って花火が取り出したノートをめくる。
「うぉっ」
前に見たときよりもずっとずっと、上手くなっている。
キャラの表情が違う。
体のバランスが、動きの躍動感が。
そしてなにより書き込みの量がすごい。
かなりの時間を費やしたのがなんとなくだが、見てわかる。
「お前これ」
「夏休みは全然だったからさー、冬休みは頑張ったんだ」
花火なりの自信作らしく、どことなく誇らしげに花火は語る。
「夏にさ前の方で喋ってた女子高生いたじゃん。その人達が話してたドラマを一気にみてさちょっとピンと来たんだよね」
「ドラマ?」
「そ、私漫画ばっかりでドラマとかアニメとかはあんまり見てなかったから」
普段見ないものを見るといい刺激になるんだ、と花火はしたり顔で話す。
「何わかったようなこと」
「でも実際おもしろく書けたし」
確かに前よりずっと面白くなってはいる。
「やっぱさ、バイトとか色んな所にでかけたりとかしたほうが面白い漫画かけるよ」
「今更気づいたのかよ」
本屋で買った指南書やネットにも似たようなことはたくさん書いてある。
「じゃぁあんたは知ってたの?」
「当たり前だろ?」
「それなのに一次落選?」
「お前、それ言うかっ」
へへーんと、いたずらっぽく笑う花火。
そんな調子でその日は日が落ちる頃までくだらない話をし続けた。
ーー
三年生になり、最高学年になったからか周りの連中がにわかに騒がしくなり始めた。
先輩が卒業し、自分たちがその立場になったということで部活に入ってる連中を中心に、俗に言う「イキっている」奴らが増えた。
またクラス替えが行われたばかりということもあるのだろう、やんちゃしがちな性格の奴らはいつも以上にうるさく喋り散らかし、派手な女子達はあえて先生の言うことに逆らって見せる。
終始先生たちの怒号が学年等に響き渡り、耳障りな笑い声が休み時間を皮切りに爆発。
いつも教室でせこせこと小説を書いていた俺は比較的静かな図書室へと追いやられる羽目になった。
「あ」
そこにはまさに俺のように教室からはじき出されてきただろう生徒達が何人かいた。
その中の数人は図書の先生に絡みに行き、残った連中は静かに本を読んで時間を潰している。
そしてなんというか、俺と同じ様に漫画ばかり書いている花火もまた当然のようにそこにいた。
しゃっしゃと勉強をしているにしては大きめな音を出しながら、手にしたノートブックを睨みつけている。
「お、奇遇」
花火の前の席に座り、ノートを広げる。
「学校で会うのって中々ないよね」
「まぁ基本的に学校じゃ作業してばっかだしな」
「うわぁ、友達いなさそうなセリフ」
「お前が言えたことかよ」
すでに俺は当たり前のように友達がおらず、花火もまた漫画ばっかりに夢中になっているせいか友達がいる気配がない。
「む、私はクラス替えで一人友達出来たから」
不服そうに花火が呟く。
「はー、そうなのか」
花火に友達。友達か。
小学生の時、初めて遭った時の光景を思い出す。
日陰で一人、スケッチブックを腹に抱えて座り込んでいた花火。
眩しそうに目を細めて空を睨みつけていた花火が。
ーー何をショック受けてんだ俺は
「何でそんな顔してんの?」
「……いや」
そんな顔、とはどんな顔だろうか。
自分の顔が見れないから、今どんな顔をしているのかわからない。
花火は首を傾げながらも再びノートとのにらめっこに戻った。
おかしなことじゃない、そうだ友達くらい普通できるものだ。
ただ花火に出来たのが意外だったというか、それだけで。
「あ、わかった。私だけ友達ができて寂しんだそうなんだ」
「っ」
違う、と言い返そうとしたのに俺の口は動かなかった。
あ、え、と返答に困る俺の姿を見て花火は笑みを深める。
「まー、その子はあんまり漫画には興味ないらしいんだけどね」
「へ、へー」
そんな呟きに安心している自分がいて。
その日の作業はあまり進まなかった。
ーー
そしてあっという間に数ヶ月がすぎる。
相変わらず図書室通いは変わらない、だが。
「なにそれ、いつものノートじゃないじゃん」
俺が図書室へと持ってきたのは小説を書く用のノートではなく、勉強用のノートとワーク。保険に一応の教科書。
「ちょっとこの前のテストがまぁ」
これまではなんだかんだ授業中に話を聞いていればなんとかなっていたが、この前行われた中間テストが思っていたよりも点数が伸びなかった。
そろそろ受験も考えなければ行けない頃だし、あまり小説だけにかまけているわけにもいかない。
「ふーん、ちなみに総合何点だったの」
「大体ーー」
俺の点数を聞いた花火はピタリと動きを止めた。
「それって、低いの?」
「まぁもうちょい内申欲しいし」
そもそも低いかどうかは自分が目指している所にもよる。
「……そっか、低いか」
次の日から花火も勉強道具を持ち込み出したのは言うまでもないだろう。
それからは大体図書室に集まって勉強するのが日課になった。
花火も危機感を感じたのか、受験勉強にシフトしたらしく大体いつ見ても勉強道具を持ち寄っていた。
夏を過ぎると部活を引退した組も合わさってあっという間に受験ムードが訪れた。
あれだけ騒がしかった廊下が今では嘘のように静かになっていることからも、皆が勉強しなくてはいけない雰囲気になっているのがわかる。
周りより少し受験勉強を始めるのが早かったおかげで少し余裕のあった俺も流石に小説に時間を使えるほどの余裕はなく、この一年は勉強づくしで年を越した。
俺も花火も互いに見せるものがないためにファミレスで会う頻度は減った。
課題でわからないところがどうの、どっかの塾にはいくのかだの、メールではちょこちょこやりとりをはさみつつ放課後は図書室で勉強。
長期休みには時々気分転換も兼ねてあのファミレスで勉強会をやった。
互いに漫画と小説ほどの熱量を入れて勉強をしていたわけではないが、黙々と行う作業日すっかりなれていたらしく、心配していた学力は日に日に上がっていった。
受験当日は緊張したものの、一年のうちに蓄えた学力が火を吹き、俺は志望校に合格した。
花火もまた少し危なかったものの無事に志望校に合格したとメールが届いた。
「いやー、受験長すぎ」
「やっと新作に手をつけられる」
やば、私久々に絵書いてると叫ぶ花火を横目に俺も久方ぶりにいつものノートを広げる。
「開放感やばいね」
ニコニコと笑いながらノートにペンを走らせる花火を見て俺はうなずく。
いつものファミレスで、いつもの会話。
受験中はなんだか常に勉強のことが頭にあって、新作のストーリーを考えようにも集中しきれなかった。
互いに進学先が決まった安心感からか、いつもより少し口が軽かった。
「そろそろ卒業だね」
「そうだな」
「高校行ったらさ、彼女とか作るの?」
思いがけない質問が飛んできて、口に加えたストローが離れる。
「なんだよ、いきなり」
「いやー、まぁなんとなく」
いつもより口が軽いから、そんなことを聞いていたのか。
「彼女どころか友達すら作れるか怪しいのにか?」
「はは、言えてる」
そう言って花火は笑った。
前に俺が小説を書くと話した時と笑い方は同じ。
だがあの時にはなかった、親しみがあるような感じがした。
「私は中学で一人友達できたし、高校ではもっとできるだろうな」
「どうだかな、漫画ばっか書いてたんじゃそうそう近寄ってくるやつもいないんじゃないか?」
「負け犬の遠吠えが気持ちいいなー」
くだらないやり取り。
でも、それが心地良い。
「俺、高校生になったら今度こそ賞を取る」
「私もいよいよ持ち込みしてみようかな」
「何だ、まだしてなかったのか」
てっきりすでにそれくらいはしているのかと思っていた。
「俺は受験中も新作のアイデア自体は出してたからな、そんな調子じゃ先に本屋に作品を並べるのは俺だな」
「……普通受験中は勉強に専念するでしょ。余裕ぶっこいて第一志望落っこちちゃえば良かったのに」
互いにノートに視線を落としたままカリカリと手を動かし、話していると時間はあっという間に過ぎていく。
「……じゃあそろそろ出よっか」
四杯目のメロンソーダを飲み終わる頃、そんな花火の一言でファミレスを出る。
「ま、高校は別になるけどさ」
入り口の扉を開け、花火が振り向く。
「また連絡するからさ、あんまり寂しがらないでよね」
「誰に言ってんだ」
そうして俺達は中学を卒業した。
ーー
新しい学校。
新しい顔ぶれ。
俺は高校生になった。
同じ中学から進学した奴は数人見かけるかどうかと言った所。
まぁそいつらも友達ではないから正直いてもいなくても一緒だ。
中学よりもやや偏差値の高い高校のせいか、周りにいる連中もどこか賢そうに見える。
それでも俺のやることは変わらなかった。
「今度こそ、絶対に賞を取る」
花火も持ち込みをするという話だし、負けていられない。
受験期の遅れを取り戻す勢いで俺は小説に没頭した。
親からは何か部活に入ったらどうかと言われたが、そんなものに時間を取られたくなかったし。
満足に外にいられない俺にできる部活を考えればやはりそんな選択肢はなかった。
高校は中学のときよりもずっと自由な感じがした。
休み時間にジュースを買いに行けたり、構内に自販機があるのも新鮮だった。
給食がないから昼休みに入れば各々好き勝手に過ごす時間が訪れる。
購買に走るもよし、音楽を聞いても良し、ケトルを持ち込んでカップラーメンを作っているやつを見たときには自分が高校生になったのだという実感が湧いた。
まったくしょうもないところでの実感だったが、それだけの自由を感じたのだ。
隣の席のやつがカチャカチャとゲームの音をたてる中、俺は机の上で素早く弁当を平らげるとノートを広げる。
高校になり、自由があふれる中で俺は黙々とシャーペンを動かした。
授業はより難しくなった。
少し居眠りすればたちまち授業に置いていかれそうだ。
しかしそんなことを思っていたのも最初だけ。
三週間もすれば、置いていかれないようにノートを取っていた時間はアイデア出しの時間へと変貌した。
周りはかなりがらりと変わったが。
俺の日々は変わらない。
学校では本を読むか、小説に使えるアイデア出し、はたまたプロットづくり。
文章の殆どは家のパソコンで打った。
一日の頭の中を賞に応募する小説のことでいっぱいにし続けた。
そんな調子でやっていると中学のときと同じ様に周りからは「あいつはああいう奴なんだ」と認識される。
現実は小説とは違う。
当然、近寄ってくる物好きもいなかった。
ーー
授業をぼけっと聞きながら、小説の構成を練り、家に帰って学校で考えた文章を打ち込む。
年齢が上がったからか、はたまた受験期の勉強漬けが脳に何か作用したのかは知らないが俺は中学の時よりもずっと要領よく小説を書けるようになっていた。
学校に通いつつ、勉強しつつ。
毎日毎日、情熱を文字にしたため注ぎ込む。
面白みの欠片もない高校生活。
青春のきらめきなどそこらの道端に落としてきたかのような、そんな日々。
だがその甲斐あってか、なんと夏休み前に一作完成させることが出来た。
「やった」
途方も無い疲労感に体をだらりと崩しながら、俺は完成したものを読み返す。
長編、文庫本一冊分の量。
前はこれだけ書くのに夏休みをフルに使わなければいけなかったことを考えるとかなりの進歩だ。
花火に負けないために、かなり急ぎ足で完成させた。
前に応募した作品は何がだめだったのか、俺なりに考え。
花火が言っていたインパクトが足らないという意見も参考にしつつ、改善に向けて話を練った。
キーボードから離れた手はひくひくと小さく震えている。
やはり何度書いていようと、この書き終わったあとの充足感、達成感は言葉にできぬものがある。
あとは軽い手直しをして、賞に応募するだけ。
間違いなく一次は抜ける。
その自信があった。
凄いのが完成したから見てくれ、と花火にメールを送る。
花火に連絡を取るのは卒業前のあの時以来だ。
中学の頃はそれなりに頻繁に連絡を取り合っていたが、高校に上がってからはそれもなくなっていた。
早く見せたい。
早く感想が知りたい。
逸る気持ちを抑え、俺は花火の返事を待った。
だが、返事は中々返ってこなかった。
ーー
うちの高校は基本的にバイト禁止だが、隠れてやってるやつは何人もいる。
高校一年での夏休みということであちこちから似たような話が聞こえてくる。
短期バイトは海の家一択だの、新しく開くカフェのスタッフに応募しただの。
夏休み前最後のホームルームということもあって皆ざわざわと落ち着きがなかった。
あれから、花火の返事はまだ来ていない。
俺はどうしたんだろうとか、なんで返事が返ってこないのかを考えながらモヤモヤとしたまま数日を過ごした。
皆はもはや先生の注意など届かないほどに浮かれに浮かれ、迫りくる青春の夏休みに目を輝かせているというのに。
夏休みに入り、数日たっても花火からの連絡は返ってこない。
だがこのまま何もしないで待ってもいられない。
俺は次の作品を作り始めた。
夏休みの課題をコツコツ消化しつつ、読めずに積んでいた本を読む。
溜まっていたドラマを一気見して、使えそうなネタをメモして机に向かう。
しかしどうも進みが悪い。
集中できていない。
無心になるべく、何も考えないように適当にそのへんを走り回り。
汗をかいて、シャワーを浴びる。
そして机に向かう。
進みが止まったら立ち上がり、体を動かし、椅子に座る。
ちらちらと携帯を見て、そっと机に置く。
もう何度同じ動作を繰り返したことか。
そんな日の夜、風呂から出て携帯を見ると通知が一つ点いていた。
『ごめん、最近メール開いてなかったから気づかなかった』
そんな副題のついたメール。
花火からだ。
俺はひったくるように携帯を掴み、本文を読んだ。
曰く、ここの所忙しくてメールにもさっき気づいた。
だから新作の小説も読めていないとのことだった。
それでもいい。
都合が合う日に会おうと送った。
ーー
8月上旬、予定が空いたという花火の言で例のファミレスで待ち合わせる。
いつもの通りドリンクバーを頼み、一人ズルズルとやっていると。
「久しぶりー」
そう言って女が対面のソファに腰掛けた。
流れるようにチャイムを鳴らし、店員を呼ぶ。
「いや、連絡気づくの遅れてごめん」
両の手を合わせ、軽い感じで謝ってくる女。
「あ、いや、別に」
しかし俺は言葉に詰まった。
ぎこちない返事を返す俺ににやりとした笑みを浮かべて、
「何、綺麗になりすぎてビビってんでしょ?」
この軽口。
目の前にいる女はどうやら花火本人で間違いないらしい。
見違えた、と言うべきなのだろうか。
花火は化粧をしていた。
アイシャドウがどうとか、アイラインが云々とか詳しいことはわからない。
けど確かに綺麗になっていた。
元の花火っぽい顔なのに別人の様に大人びた顔。
たった数ヶ月経っただけなのに。
「そっちは変わらないねー」
俺の元にあるメロンソーダを指さしつつ、花火は笑う。
「私さ、高校行ったら結構友達できたよ。化粧とか今まで全然したことなかったんだけどさ、その友達とかが教えてくれて」
きゃっきゃと擬音が付きそうな程、楽しそうに喋る花火に俺は気圧されていた。
頭の中にいる花火と、目の前にいる花火のギャップに脳が必死についていこうとしているのに、上手くいかない。
「そうか」
「ん? なんか元気ない?」
「そういうわけじゃない」
しどろもどろに答える自分が恥ずかしい。
よく見れば化粧だけじゃない。
服も前にみたときよりもどことなくお洒落な雰囲気になっている。
「あ、そうそう私バイト始めたんだよ」
「バイト?」
「夏休みとかだけやってる短期バイト。ファミレスとかもやってみたかったけど先に友達に誘われちゃってさ」
どうやらその短期バイトが来週からあるらしく、それまでに遊んでおこうと今日まで友達と遊び回っていたのだという。
「なんかイベントスタッフ? らしくてけっこうきついんだって」
「へー」
「芸能人とかもしかして会えたりするのかな」
「興味あるのか?」
「そりゃ会えたらしばらく話のネタに困らないだろうし」
数カ月分の出来事をマシンガンのごとく喋る花火。
俺はほとんど花火の話を聞くだけ。
適当な相槌をして、楽しそうに目を輝かせる花火が喋るのを見ているだけ。
どんなことがあった。
何が楽しかった。
こんな発見が遭った。
どの話も花火は喜々として話し、聞いているだけだがその時の感情が伝わってくる
「そん時もその子がさー」
「前にさ、持ち込みするって言ってたけどどうなったんだ?」
だからなんとなく。
別人みたいな花火を見て不安になったから、前の花火との話を出して少し安心しようとした。
でもそうはならなかった。
「あー、持ち込み? まだ行ってない。ていうかあれから全然漫画描けてなくてさ」
「あれからって前に会った時から?」
全然描けていない……。
あの漫画のことしか考えていなかった花火が。
「そうそう。書こうとはしてたんだけどね、なんか思ったより忙しくてさー」
そう言って照れくさそうに笑う花火の表情を見て、俺は何故か強いショックを覚えた。
その後もしばらく花火は何か話していた。
だが俺は呆然としていて、何を話していたのかの記憶がない。
花火は反応の悪い俺に困惑していたが、それでも分かれる最後まで楽しそうにしていた。
ファミレスを出て、家に帰ってきた俺は糸の切れた操り人形みたいにベッドに倒れ込んだ。
「……」
花火は変わっていた。
高校生になってできた友達とやらに影響されて、小中学時代の漫画漬けが嘘のように女子高生になっていた。
普通に綺麗になって。
普通に、遊び歩いて。
普通になっていた。
「……はっ」
自分のバカさ加減に思わず笑ってしまう。
そう、これが普通だ。
友達がいて、遊んで、バイトして。
何も悪いことなんてない。
楽しそうに笑って、日々の出来事を話す花火の顔を見れば、それが健全で、それが良いことなんだ。
それなのに。
普通になってしまった花火を見て、勝手に幻滅している俺はきっと普通じゃない。
でもそれは特別とは程遠くて。
ーー
それから、俺は二週間くらいを怠惰に過ごした。
夏休みなのを良いことに、ネットサーフィンをして、買ってきたゲームをダラダラとやって、見たくもないテレビを見た。
机に向かい、小説を書こうとしても何もアイデアが浮かばなかった。
やる気も、沸かなかった。
あれだけ毎日叩いていたキーボードに触れることすらしなかった。
くだらない時間の過ごし方。
頭ではわかっているはずなのに、それでも俺はそのくだらない生活を繰り返した。
夏休みが明け、授業が始まった。
眠気を誘う国語教師の喋り、ただ声だけデカい体育教師の号令。
休み時間に響くクラスメイトの笑い声。
つまらない。
時間が過ぎ去るのが恐ろしいほどに遅かった。
俺の周りは皆楽しそうで、俺だけがつまらなそうな顔をしている。
吐き気を催しそうな退屈に嫌気がさして、俺はまた小説を書き始める。
暇な時間を埋めるように、白いノートを文字で埋めていく。
右手に握ったシャーペンを動かして。
カリカリ。カリカリ。
動かしている間は少しずつ周りの音が消えていく。
カリカリ。カリカリ。
自分の中にシャーペンの擦れる音が広がって。
そうして、長い一日を過ごす。
一週間。
二週間。
長い、月日が居残りでもするように俺の側から離れていってくれない。
書いて、書いて、書いて、書く。
そうしてあがきながら、ようやく二ヶ月が経った。
応募していた小説の一次選考が発表される時期だ。
俺はぼてぼてとゆっくり家に帰り、パソコンを開く。
前のような緊張が今はない。
機械的に手を動かし、応募した賞のホームページをクリックする。
羅列するペンネームをつらつらと眺めて、
「……」
あった。
俺の名前が。
連なるペンネームの二行目、見慣れたペンネームが書かれていた。
俺は静かにパソコンをシャットダウンした。
部屋に戻り、ベッドに倒れ込んで目を閉じる。
受かった、それなのに何も感じない。
俺はただ機械的に机に向かい、ノートを広げた。
ーー
冬が来て、年が明け。
学年が変わった。
また新しいクラスになって。
周りはどんどん変わっていく。
その顔つきはどんどん大人に近づき。
考え方もまた、成長していく。
カリカリ。カリカリ。
それでも俺は変わらない。
本を読み、メモし、文章を書く。
応募した賞は二次選考を受かり、三次選考で落ちた。
それでも俺は新しく小説を書き、また賞に応募する。
時折、花火からメールが来る。
相変わらず楽しそうにしているらしく、バイトの制服に身を包んだ自撮りや、旅行に行った時の写真なんかを送ってきた。
よく陽キャとか陰キャとかの言葉を聞くが、あれが陽キャという存在なのだと俺は思う。
それは眩しくて、とてもではないけど直視出来ない。
「……」
俺は羨ましいと思っているのだろうか。
それとも妬ましいと僻んでいるのだろうか。
わからない。
わからないということにしておきたい。
自分の気持ちを、知りたくなかった。
ーー
時間が、過ぎていく。
俺は何も進んでいないのに、ただ月日だけは前へと進んでいく。
俺だけを過去に残して、一歩一歩、進んでいく。
五月が過ぎ、スポーツ大会だなんだと浮かれる周りの声を聞きながら小説を書く。
六月が過ぎ、蒸し暑い雨に嫌気が指しながら、小説を書く。
七月が過ぎ、夏休みに入っても、小説を書く。
八月が過ぎ、送られてきたメールに目が眩んでも、小説を書く。
九月が過ぎ、文化祭の喧騒に包まれようと、小説を書く。
十月が過ぎ、十一月が過ぎ、十二月が過ぎて年が明ける。
カリカリ、カリカリ。
カリカリカリ。
「なぁ」
声を掛けられた。
冬の教室。
黒板の側のストーブに皆が身を寄せ合う中、名も知らぬクラスメイトが俺の席の隣に立っていた。
「いっつも凄い一生懸命書いてるけど、何書いてんだ?」
のそりと顔をあげる俺の手元を覗き込みながら、男は言った。
一瞬無視してしまうかと思った。
けど、からかうつもりでもないらしい。
ただ興味が湧いたという風な表情。
「小説だよ」
「おー、なんかそうらしいってのは前誰かから聞いたけど、本当に書いてるんだ」
見せてほしそうにしていたが、流石にそこまではしてやらない。
「賞とかさぁ、応募してんの?」
「あぁ」
「うぉ、すっげー」
別に応募するだけなら凄くはない。
「じゃあ将来は小説家志望?」
「いや、別に」
そう答えるとそいつは「え!?」と驚いた顔をして一言。
「じゃあなんで書いてんの?」
「それはーー」
なんで書いてるか。
そんなのは決まっている。
決まって……。
「……」
俺はなんでこんなに必死になって書いているのだろうか。
別にどうしても小説家になりたいというわけじゃない。
小説を書くのが何より好きなわけでもない。
いや、必死になってるわけじゃない。
何もしていないと、退屈で。
時間が長く感じすぎてしまうから、だから。
目標はあった。
花火より先に本屋に作品を並べるという目標が。
だが、あれからも花火は漫画を書いている様子はない。
送られてくるメールは漫画とは関係のない内容、写真。
友達と一緒に映る笑顔でいっぱいの花火。
多分本当は花火より先になんてのは対して重要じゃない。
あの花火に負けない何かがほしかった。
特別な花火と同じ、自分が特別である証のような物が欲しかった。
でも俺が追いかけていた目標は。
目指していたものは。
いつのまにか手の届かない所へ行ってしまった。
なら俺はどうすればいい。
俺は一体何をすれば。
俺はーー。
おーいと前の方から声が掛かった。
隣にいた男を呼ぶ声だ。
「あー、邪魔して悪かったな」
話しかけてきた男はそう言って去っていく。
ジュースでも買おうと誘われたのか、そのまま教室を出ていく。
その背中を、前にも見たような気がする。
いつか羨ましいと感じて、そしていつしか気にならなくなっていたはずの……。
俺はおもむろに携帯を開いた。
今日はもう何度目かもわからない賞の選考発表の日だった。
ホームページを見て、ペンネームを探す。
もう一体何度これを繰り返しただろうか。
俺は携帯をポケットへとしまう。
ずるりと背もたれから崩れ、窓を見た。
気づけば、あれだけ眩しかったナニカが消えていた。
目を細めなくても、そこにはもうなにもない。
「こんな色だったのか」
初めて見た空は寒々しいほど真っ青に染まっていた。
「……」
俺は机の上に広げたノートを閉じた。
空の色が真っ青だという 青い夕焼け @yuyakeblue
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