後日談 少年を脱ぐ日 1
シャンパンをスマートに開けるためには、まず事前にボトルをよく冷やすことが大事らしい。
冷蔵庫の奥に押し込んでたシャンパンを、ごそごそと引っ張り出す。
それを、保冷剤入りのシャンパンクーラーの中に入れておけば、しばらくの間冷え冷えだ。
ダイニングテーブルの上には、生ハムのチーズ巻とかアスパラベーコン、スティック野菜のピクルスなんかの、手作りのささやかなおつまみが並んでる。
元・ヒモでペットだった恋人のアツヤ君の、今日は20歳の誕生日だ。
まだまだ学生だけど、これからは未成年後見人も外れ、ようやく独り立ちが認められる。お酒や煙草が解禁ってだけじゃない、特別な誕生日。
去年の誕生日はケーキとステーキでお祝いしたけど、やっぱり今年はシャンパンだと思って、少し前から準備してた。
勿論、ケーキもあるしステーキもある。
ホテルのレストランとかでお祝いしようかとも思ったんだけど、そういう堅苦しいのはアツヤ君は苦手で。それも分かってたから、敢えて提案はしなかった。
あの春の日に道端でヒモ少年を拾ってから、もう2年半も経ったなんて嘘みたい。
アツヤ君と一緒だと、時間があっという間に過ぎる。
彼が転がり込んできた、この狭い1DKとも、今年でさよならだ。来年からはアツヤ君の実家に引っ越して、2人で住むことになってる。
正直、2人だと広すぎるんじゃないかと思うんだけど、どうしても手放す気にはなれないらしいし。借家にして他人に貸すのもイヤだって言うから、じゃあオレたちで住もうかってことになった。
これまでも年に数回は、荷物を取りに行ったり掃除をしたり、空気の入れ替えもしてたんだけど、やっぱり住んでないと、家って痛む。
夏頃から少しずつ私物や遺品の整理して、同時にアツヤ君も気持ちの整理をつけたんだろう。
「一軒家なら声も抑えなくていいし、遠慮しなくていいっスよね」
なんて冗談めかして笑ってた。
遠慮しなくていいなんて。もしかして今まで、遠慮してたなんて言うつもりだろうか? そんなまさか。
オレだってまだギリギリ20代だし、職場でも若い方だ、体力には自信があった。けど、さすがにアツヤ君にはついていけない。
しかも体が大きくなるにしたがって、あっちもこっちも大きくなってる気がする。
泣くほど善いどころか、気付いたら朝になってるなんてことも増えて、ちょっとヤバイ。
「年じゃないんスか?」なんて言ってたけど、絶対オレのせいじゃないだろう。
それでも、ついつい自分で必要なモノを揃えてしまうのは、期待しちゃってるからだ。ダメな大人でごめん。
でもアツヤ君ももう成人なんだし、これからは自分でも色々用意して欲しい。
そんなことより、まずはお酒だ。
オレの前では断固として飲酒させなかったから、アツヤ君が酔ったらどうなるのか、すごく楽しみ。
酔って寝ちゃうかな? 甘えて来たりしないかな? 暴れん坊になったら、どうしよう?
あれこれ考えながらシャンパングラスを用意して、料理の残りを盛りつける。
――今、駅に着いた――
アツヤ君からそんなメールを貰ってから、10分。そろそろかな、と思ったところでガチャッと鍵の開く音がして、玄関ドアが開かれた。
「お帰り」
にこやかに出迎えると、「ただいま」ってちょっと照れ臭そうな声が返る。
「バイト、お疲れ」
声をかけながら、クーラーの中からシャンパンの瓶を取り出すと、ちょうどいい具合に冷えていた。
本日の主役が手を洗って椅子に座れば、本日のヒロイン、シャンパン嬢の登場だ。
「見てて」
上部の金の包装をはがし、白い栓を覗かせて。中の炭酸で栓が飛んで行かないよう、右手でしっかりと栓を押さえながら、ゆっくり迷いなく開けていく。
栓じゃなくてボトルを回すのが、上手に開けるコツらしい。
ネットで見かけたソムリエの動画みたいにスマートに……とはなかなか難しかったけど、シューッと微かな音を立てて白い栓が抜けた瞬間、自分でもふわっと笑みが漏れた。
このかすかな音を、天使の囁きっていうんだって。
「誕生日、おめでとう」
祝いの言葉を口にしながら、用意したグラスにシャンパンを注ぐ。
スパークリングワインじゃなくて、正真正銘のシャンパンだ。ドンペリみたいな高価なんじゃないけど、特有のきれいな液色が、新品のグラスによく映えた。
微かな泡音とともに、芳しい香りがふわっと立つ。
「……えっ、シャンパン?」
アツヤ君が、ぽつりと言ってオレの顔を仰ぎ見た。
その顔は忘れてる? あ、でも、ニヤッと笑ってるから、今思い出したのかも?
「約束したでしょ、この前」
20歳のお祝いにシャンパンを。先のことを初めて約束できた、あれは2年前のクリスマスイブだった。
「そんな大昔を『この前』って、おっさんみたいっスよ」
「どうせおっさんだよ」
軽口に笑いながらグラスも満たし、乾杯を誘うように彼に掲げる。
グラスを打ち合わせないのが正しいマナーだって、知ってたけど。
アツヤ君にグラスをそっと寄せられて、かすかに響いたチンという音は、とてもキレイで嬉しかった。
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