第35話           8

 教師なんて仕事をしてると、こういう修羅場に慣れるんだろうか? 花の木は落ち付いた態度で冷静に、アツヤ君の親戚に向き合ってる。

「教師だ、味方だからって、何だってんだ? 所詮、他人だろうが!?」

 仁王立ちした大男に睨みつけられても、花ノ木は冷静なままだ。

「未成年後見人は、1人とは決まってない。虐待を阻止するために、役割分担する場合もあるんです。どうでしょう? 離れていては目も行き届きませんし。財産の管理は、あなたがそのまま継続するとして、こちらでの生活管理は、我々にお任せください。勿論、身元の確認は必要でしょうが……」


 教師らしい口調でそう言って、花ノ木がオレに目配せをした。

 身元の確認かな? ならこういう時は、まず名刺だ。

 オレは床から上着を拾い上げ、内ポケットの名刺入れから名刺を1枚取り出した。

「大橋と申します」

 両手で差し出した名刺を、アツヤ君の親戚が片手でサッと奪い取る。

 けど、受け取ってくれた訳じゃなかった。そのままぐしゃっと握りつぶされ、床にぽいっと放られた。


 名刺っていうのは身分証明そのものだ。ビジネスマンの顔みたいなものだろう。

 海外では、そんな重要でもないとは聞くけど。見もしないで握りつぶして、本人の目の前で捨てるって、侮辱されてると思ってもいい。

 そりゃオレだって、アツヤ君に対する気持ちはヨコシマなものだし、あんま誉められた人間でもないけど。でもこんな人には任せられないなって、強く思った。


「アツヤ君の生活は、オレが管理します。衣食住も責任持つし、勉強も。学校にもきちんと行かせます」

 そんなこと、この人に今言っても仕方ないのかも知れないけど。

 でも、オトナの勝手な権限で、アツヤ君が自分からやろうとしたこと、潰されたくなかった。自由になるために色々考えて、いっぱい勉強して試験だって受けたのに。


「知るか! 勝手なこと言うんじゃねぇ! 山奥に一生引っ込んでりゃいーのに、ゴタゴタ理屈こねやがって。Fuck it!」

 親戚の人は喚きながら、床に座り込むアツヤ君の胸倉を、ぐいっと掴んで強引に立たせた。

 太い腕が振り上げられるのを見て、「ちょっ!」って焦る。

 けど、それより花ノ木のケータイが、ピピッカシャッと音を立てる方が早かった。

「写真データは、家庭裁判所の方に書類とまとめて提出させて貰います」

 静かに、でも怒った声で、花ノ木がきっぱりと言う。

 裁判所でどうするのか、オレにはよく分からなかった。でもその一言に、相手が怯んだのは分かった。

 ちっ、と舌打ちしてアツヤ君から手を離してる。


「こっちだってこんなクソガキの世話、やりたくてやってる訳じゃねーんだよ! けど、覚えてろよ? バカにしやがって。あと3年はてめぇの財産、1円たりとも自由にさせねーからな!」

 親戚の捨てゼリフに、対抗するようにアツヤ君が言った。

「3年じゃねーよ、2年だ! 今日で18だからな!」

 それにも「知るか!」って吐き捨てるように言って、アツヤ君の親戚は大股でリビングダイニングを出て行った。

 ついでに「どけっ!」ってわざとらしく、花ノ木を突き飛ばすのも忘れない。

 どうするのかと思ったけど、ホントに出てったみたいで、玄関の戸がバタンと閉まった。


 しんと鎮まった家の中で、5秒くらいは固まってただろうか。

「はーあ、まったく……」

 花ノ木が脱力して、がくっと床にしゃがみ込んだ。

「あんな後見選んだの誰だよ? 裁判所か?」

「オレだって、頼んだ訳じゃねーっスよ」

 花ノ木のぼやきに、ムッと言い返すアツヤ君。でも、さすがに悪いとは思ったんだろうか。花ノ木に素直に頭を下げた。

「迷惑かけて、すんませんっした」


「大橋さんも、すんません」

 真面目な顔でそんな風に頭を下げられると、逆に何だか困惑する。いつだって強気な態度で、オレを振り回してばっかだったくせに。素直にされると調子が狂う。

 けど改めて、「どこにも居場所がない」って前に言ってたことに、納得した。

 初めて会った時の、彼の顔を思い出す。

「もういいよ。もっと甘えてくれ」

 思わずぎゅっと抱き付くと、アツヤ君は一瞬びくっとしたけど、じきに肩の力を抜いた。ふっと耳元で笑いながら、甘えるように抱き返されて、じわじわ顔が熱くなる。

 ちょっと、今、2人きりじゃないんだけど?


 どぎまぎしながら花ノ木の方に目をやると、「懐いてんなぁ」って苦笑された。

 懐いてるって、そういう表現でいいんだろうか。

「まあ……これから大変だけど、取り敢えず、メシ食い行くか? 腹減ってたら気分も下向くしな」

 花の木にぱんぱんと肩を叩かれて、アツヤ君から身を離す。

 言われてみれば空腹だ。

「オレなんか、戻って来てからほとんど食ってねーっスよ」

 アツヤ君がお腹をさすりながら言った。


「パンや冷えた弁当なんかを適当に渡されてはいたんスけど、それ以前に、ちょっとココじゃ食う気になんなくて」

 アツヤ君は目を細め、リビングダイニングを見回した。

 ホントなら一番生活感のある部屋の筈なのに、今はガランとしてて、もの寂しい。

 エアコン点いてないせいもあるんだろうけど、すごく寒くて、誰も住んでないんだって知らしめてるようだった。

 ここに明かりがあったことを、今は思い出したくないのかも知れない。


 ホントはすぐにでもオレんとこに戻りたかったらしいけど、殴られた顔を見せて心配させたくなかったから、腫れが引くまでは我慢するつもりだったんだとか。

 それならそれで、電話くれればよかったのに。そう思ったけど、ケータイも持ってないし、固定電話も解約されてたなら、仕方ないのかも知れない。公衆電話だって、そんな都合よく近くにある訳ないもんね。

 結局あの親戚の人は、今後も後見人を続けるつもりなんだろうか? あんなに文句言うくらいなら、オレに任せてくれればいいのに。

 けど、そういうのはやっぱり、後日みんなで冷静になって、きちっと話し合った方がいいんだろう。


 花ノ木が言うには、後見人の報酬がアツヤ君ちの預金から支払われてたりするらしい。お金が絡むなら、複雑になるのも仕方ない。

 知らないことばかりで不安もあるけど、アツヤ君と引き離されないように、オレもしっかりしようと思う。

 心強い味方もいるし、1人じゃないってのは大切だ。

「花ノ木、ありがとう」

 にへっと笑って礼を言うと、花ノ木は大きなため息をついて、「まーな」って肩を竦めた。


 寒々しい空っぽの家にカギを掛けて、花ノ木の車に3人で乗り込む。

「アツヤ君、何食べたい?」

 オレの問いに「肉」って短く答えるアツヤ君。

 後部座席にどっかり座ってる姿を見ると、頬はまだ少し腫れてるものの、悲痛な感じはしなかった。

 心細いのがなくなったんだろうか? それとも、色々吹っ切れた?

 さっき親戚の人からオレを庇ってくれた時も、すごく格好よかった。思い出すと、ふふっと笑える。好きだなぁ。


「そういや、さっき18になったって言ってたっけ。おめでとう。じゃあ、ステーキにする?」

「焼き肉の方が、肉食えるんじゃねぇ?」

 花の木を加えてわいわい喋りながら、和やかなドライブを楽しんだ。

「祝うなら、これも一緒にお願いします」

 ニヤッと笑いながら、アツヤ君が見せてくれたのは、高認試験の合格通知。1発合格はホントにスゴイ。


「えっ、じゃあケーキも買う?」

「そうっスね。帰ったら、スィートハニーシュガーパイとか」


 スイートハニーシュガーパイ、何だか甘そうな名前だなー……。と、呑気にうなずいてたオレが、その意味を教えられたのは、オレたちの部屋に帰ってからだった。

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