第33話           6

 次の日の夕方、会社を早退して、花の木と待ち合わせた。

 住所を教えてくれるだけで良かったんだけど、「車で一緒に行こう」って言われると断れない。彼自身も気になるんだろう。

 アツヤ君の退所は、花の木も知らされてなかったらしくて、驚いてた。

 高校の担任の先生でも知らないなんて、やっぱり変じゃないかと思う。

 学校に届出されてた自宅の電話番号も、解約されたのか、繋がらなかったって話だった。


「家にいると思う?」

「どうかな……」

 そこ以外、アツヤ君が行きそうな場所が思い当たらない。

 うちにも来てなくて、学校にも行ってなくて。駅前の、初めて会ったあのベンチも見に行ったけど、やっぱり彼はいなかった。

 なら後は自宅だろう。もしそこにいなけりゃ、お手上げだ。


 気になることはもう1つ。アツヤ君が今、1人なのかどうか。

 退所の時は親戚が一緒だったって言ってたけど、今も一緒なんだろうか?

 ……何のために?

 オレんちはともかく、なんで学校にも退所を知らせてないんだろう? 出席日数、気にしてないの? 彼の親戚は、何を考えてるんだろう? そんなので「保護者」って言える? 後見人なんだっけ?


「アツヤ君の親戚って、どんな人? 会ったことある?」

 オレの問いに花ノ木は、「1回だけな」って顔をしかめた。

「遠い親戚だっつーし、瀬田のご両親が亡くなるまで、会ったこともなかったっつーからさ。情も何もねぇのかも知んねーけどさ……」

 愚痴めいたことを言って、ため息をつく花の木。

「会えば分かる」

 ぼそりと告げられた言葉には、色んな感情が乗せられてるように聞こえた。



 やがて車は、住宅街の一角にある大きな家の前で停まった。

 街路灯にぼんやり照らされた庭は、ちらっと見ただけでも草ぼうぼうで、手入れされてないのが分かる。

 門は開いてたけど、家の明かりは点いてない。郵便受けは空っぽだ。

 玄関先の呼び鈴を2度3度押したけど、返事はなかった。

「空き家みてぇじゃん。電気もガスも止まってんじゃねぇか?」

「だったら呼び鈴は鳴らないだろ」


 ためらう花ノ木を置いて、門の中に踏み入れる。

 確信があった訳じゃない。家の明かりも点いてない。けど何か、うまく言えないけど、ここで帰っちゃダメな気がした。

「おい、大橋……」

 花ノ木の制止も聞こえないフリして、ガンガンと玄関のドアを叩く。

「アツヤ君! アツヤ君、いたら返事して!」

 どうせ鍵はかかってるんだろうなと思いつつ、冷えたドアノブを掴んで回す。ガチャッと鍵に阻まれると予想してたから、あっさりとドアが開いてビックリした。


「開いた!?」

「開いたじゃねぇよ。ちょっ、ヤバいって、大橋!」

 

 花ノ木にまた止められたけど、振り切って玄関に入る。

「お前、変なとこで大胆になんのやめろ」

 ぼそっとぼやかれたものの、足を止める気にはなれなかった。ダメなのは分かってるけど、行かなきゃって思う。

 暗い玄関に、履き古したスニーカーだけがあったからかも知れない。

「アツヤ君?」

 彼の名前を呼びながら、スニーカーの隣に革靴を脱いだ。


 フローリングの床は、靴下の上からもじんと感じるくらい冷えきってた。

 まっすぐ続く廊下と、上に伸びる階段。ちょっと迷ったけどそのまま廊下を進み、最初のふすまをガラッと開ける。

 和室の中は真っ暗だけど、明かりを探すまでもなく、誰もいないのが分かった。

「アツヤ君、いないの?」

 開けっ放しの玄関から差し込む明かりだけじゃ、イマイチ奥までは分からない。

 でも、照明のスイッチの場所も分かんないから、暗く冷たい廊下を、手探りで進むしかなかった。


 奥のドアを開けると、かなり広い部屋が現れた。

 奥の大きな窓から街明かりが差し込んでて、ぼんやりと家具の影が見える。リビングダイニングかな?

 入り口付近の壁を撫でると、幸いスイッチが指に触れる。2つのスイッチをパチンと点けると、ダイニングとリビングの両方が1度に明るくなった。

「あっ」

 思わず声を上げたのは、リビングのソファの上に、黒い頭が見えたからだ。


「アツヤ君!」

 大声で呼びかけると、その黒い頭がびくんと跳ねた。

「電気も点けないで、どうしたの?」

 声のトーンを落としてそっと近付くと、拒絶するみたいに背中を向けられる。

 ドキッとはしたけど、「関係ねーでしょ」とか「放っといてくださいよ」とか、言葉に出された訳じゃない。ホントの拒絶じゃないような気がして、そのまま前に回り込んだ。

 消えたままだったのは照明だけじゃない。エアコンも点いてなくて、リビングはしんと寒い。

 吐息が白くなるくらいの部屋で、コートも着ないでソファの上で縮こまってて、どうしたんだろう?


 前に回り込むと、更に背中を向けられたけど、構わずスーツの上着を脱いで、アツヤ君の肩に着せかけた。

 アツヤ君はそれをグッと握り締めて、払い落とそうとはしなかった。

「久し振りだね、アツヤ君。……顔、見せて?」

 けど彼は、顔を伏せたまま首を振った。

「すんません」

 掠れた声での小さな謝罪に、ドキッとする。

「今、合わせる顔がねーんで、帰って貰えねーっスか」


 そんな弱々しい声、初めて聞いた。

 いつもあんなに自信たっぷりで、生意気で、遠慮なんかしなかったくせに。見透かしたような態度で、オレのこと翻弄してたくせに。合わせる顔がないって?

「高認試験のことなら……」

「そうじゃねーんス」


 オレのセリフに重なるように、アツヤ君が力なく否定する。

 その直後、開けっ放しだった玄関の方から、何やら揉めるような声がした。

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