第32話           5

 高認試験の合格発表の日は、朝からすっごく緊張した。

 金曜日だったから当然出勤したんだけど。でも、朝からソワソワしっぱなしで、集中できなかった。時計が気になって、単純なタイプミスばっか繰り返してしまって、資料作成もはかどらない。

「今日はどうしたんだね? また猫かね?」

 って、上司にも注意されたし、後輩にも心配された。

「主任、何か心配事でもあるんですか?」

「いや、心配事っていうか……」

 心配事になるのかな? アツヤ君の合否が気になって、情けないけど落ち着かない1日だった。


「オレで良かったら悩み聞きますよ。どうです、一杯?」

 後輩が飲みに誘ってくれたけど、今日ばかりは断った。アツヤ君から電話があるかも知れない。

「ありがとう、また今度」

 後輩には礼を言って、そそくさと会社を後にする。

 すぐに出られるようにケータイを持ち歩いて、お風呂の中にも持ち込んだ。けど残念ながら、日付が変わってもアツヤ君からの連絡はなかった。

 土曜の朝が来ても、日曜になっても、電話が鳴る気配すらない。

 オレから連絡する勇気も出ないまま――ついには月曜になってしまって。


「受からなかったの、かな?」

 それしか理由が思い付かなかった。


 アツヤ君について、得意げにあれこれ語れる程よく知ってる訳じゃないけど、プライドが高そうなのは、何となく分かる。

 オレに「絶対戻る」って言っちゃった手前、受かってなければ格好もつかない。落ちてました、なんてオレに電話するのも、きっと気まずくてできないだろう。

 オレだって、そんな予想しながら「どうだった?」って訊く程無神経にはなれないし。しばらく、そっとしとく方がいいんだろうか?


 でも、あんま放っとくと、離れて行っちゃいそうで怖い。

 好きだよって。待ってるよ、って。伝えたいけど、どうなんだろう? オレから連絡することで、気分を軽くしてあげられる? それとも、かえって重荷になるだろうか?

 今は単純に、声が聴きたいんだけど。

 安否確認したい。そんな理由で電話しちゃダメかな?


 こういう時、つくづくケータイ禁止は厳しいと思う。メールできれば便利なのに。

 相手からの電話を待つか、こっちから受付にかけて、呼び出して貰うしかないのって、すごく不便だ。

 悪い環境や悪い交友を、断ち切るのにはいいのかもだけど、大事な交流すら遠くなってしまいそう。

 アツヤ君も、呼び出し電話は落ち着いて話せないって言ってたし。オレも、「大橋と申しますけど、瀬田敦也君を……」って、何度も電話するのは気まずかった。


 けどさすがに、何日も経つと我慢できなくなった。

 合否結果なんてどうでもいい。元気かどうか知りたい。声が聴きたい。12月も10日を過ぎて、そろそろ年末年始の予定も立てたい。

 もう不合格の気まずさも収まってるだろうし……呼び出し電話はいらないって言ってたけど、たまにはオレから電話してもいいよね?



 オレはさんざん悩んだ末に、アツヤ君に電話を掛けた。

 もっと早くに電話すれば良かった。

「いつもお世話になってります。大橋と申しますけど、瀬田敦也君を呼んで頂けますでしょうか?」

 ドキドキしながら電話を掛けると、スクールの受付の女の人は、『あら?』って、不思議そうに言ったんだ。


『瀬田敦也君なら、もう退所しましたよ』


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。

「えっ……と?」

 退所? アツヤ君が? いつ……どこへ?


「あ、の、1人で、ですか?」

『いいえー、保護者の方とご一緒でしたよ』

 わざわざ海外から来られたみたいで……とか、職員にご挨拶代わりにお土産を……とか。受付の人は語ってくれたけど、ちっとも耳に入らなかった。

 保護者って、お父さんかお母さんのイトコっていう人だよね? イトコ違いっていうんだっけ?

 海外からわざわざ来た、って。じゃあ今は?

 退所したってことは、高認試験、受かったのかな? じゃあなんで、うちに来ないんだろう?


 ショックもあったけど、何よりも焦りの方が大きかった。

 アツヤ君は今、どこだろう? なんでうちに来ないんだろう? 来れないとしたら、どんな理由? まだ日本にいるんだよね?


 携帯電話を握り締めても、アツヤ君からの着信はない。

 元からケータイを持ってなかった彼に、オレから電話することはできない。

 またあの、夏の終わりと一緒だ。

 アツヤ君が、オレの腕の中からすり抜けて行ってしまう。

 オレはまたここでひとりで、彼を待たなきゃいけないのかな?

 でも、受け身でいるだけじゃダメだ。自分でも動かないと。前回は、養子縁組だって考えたんだし。今回だって、何かできることはある筈だ。


 アツヤ君が――オレに飽きちゃった、っていう可能性もゼロじゃないけど。

 でも、そうだとしても、こんな風に訳の分かんないままで、さよならになるのはイヤだった。諦めたくない。


 握り締めてたケータイに向き直り、アドレス帳から花ノ木の電話番号を呼び出す。

「アツヤ君の家、教えて!」

 もしもし、も言わずに上ずった声でそう言うと、花ノ木は電話の向こうで、『はあ!?』って驚いたような声を上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る