第26話        4

 目的地までは4時間かかった。

 朝7時に家を出て、電車で3時間、バスで30分。同じ関東にあるのに、そのスクールはすっごく時間のかかる場所にある。

 ゴルフ場が近くにあるし、バスも1時間に1本で、特に過疎地って程でもない感じ。車さえあれば、きっと通うのだって問題ないんだろう。

 でも確かに繁華街には遠くて、学生が夜遊びするには、あまり便利な場所じゃなさそうだった。


 見た目は、田舎の昔の中学校のようだった。

 フェンスはかなり高いけど、野球場に比べれば普通かなと思う。有刺鉄線があるって訳でもない。鉄の門扉は重そうだ。その脇の通用門には守衛さんがいて、オレが近付くと門の前まで出てきてくれた。

「こんにちは。11時にお約束してた、大橋です」

 挨拶して名乗ると、守衛さんはにこにこしながら通用門を開けてくれる。

「こんにちは。遠いところへようこそ」

 愛想よく言われて、正直ちょっとだけ困惑した。ホントに何て言うか、暗いとこじゃないようだ。


「校舎の右端からお入りください」

 守衛さんに指し示され、礼を言ってこじんまりしたグラウンドを突っ切る。校舎と言われた建物は、明るい茶色の3階建てで、普通のグレーのコンクリより温かみがありそう。

 校庭は木がいっぱいで、花壇も多くて、穏やかな印象だ。

 右端にあった玄関も、入ってすぐの受け付けも、近所のクリニックか何かみたいに明るくて清潔だった。

「大橋さんですね、ようこそおいでくださいました」

 カウンターの向こうにいたオバサンが、やっぱり愛想良くオレを出迎えてくれた。

 通されたのは、受付のすぐ近くにあった、8畳くらいの明るい部屋だ。ソファセットや籐椅子のセットが置かれてて、壁際の本棚には、天井近くまでずらっと本が並んでた。


 緊張しながらソファに座ると、目の前には大きな窓。そこからは植木越しに校庭が見えて……。

「……あっ」

 花ノ木に送って貰った写真と同じだ。そう気付いた時、コンコンと部屋のドアがノックされた。


 油断してたから、飛び上がるくらい驚いた。

「はいっ」

 慌てて返事して立ち上がる。

 けどその反動で、座ってたソファが引っくり返って、ガタンと派手な音を立てた。

「うわっ、うそっ」

 ちょっと、ソファ。軽すぎ。ちょっ。うわっ、ドア開いた。

 鳥肌立つくらい焦りまくって、ソファとドアとに視線を揺らす。せっかく社会人らしくキリッと決めようと思ってたのに、しょっぱなから台無しだ。

 じわっと顔を赤らめた時――。


「はっ」

 誰かが、小バカにしたように鼻で笑った。


「何やってんスか?」

 聞き覚えのある声と共に、バタンと音を立ててドアが閉まる。

 息を呑み、ギクシャクと顔を上げると、アツヤ君がドアの前に突っ立ったまま、オレの方をじっと見てた。

 機嫌悪そうだな、って、見ただけで分かる。

 眉間にシワが寄ってて、鋭い目つきで、じろっと睨まれると居心地が悪い。

「ごめん」

 とっさに謝ると、はーっ、と大きなため息をつかれた。


 何しに来たんスか、とは訊かれなかったけど。

「なんでここに?」

 アツヤ君はそう言って、ひっくり返ってない方のソファにどすんと座った。

「なんでって。迷惑だった?」

 訊きながら、倒したソファを引き起こす。

 やっぱり軽い。軽いのが恨めしい。気を取り直して正面に座ると、アツヤ君が近いのに遠くて、よそよそしくて落ち着かない。

 迷惑だとは言われなかったけど、迷惑じゃないとも言われない。

 視線が痛いくらいに突き刺さる。


「そうじゃなくて、なんでかって訊いてんスよ」

「会いたかったから、だけど。それじゃダメなのか?」

 アツヤ君からの返事はない。

 欲しい回答じゃなかったのか? それともやっぱり、迷惑だったかな? オレに会いたくなかったんだろうか? そう思うと胸が痛い。


 少し伸びた髪。

 寝不足かな? 写真で見た通り、目の下には隈があって、どことなく不健康そうだ。

「髪、そろそろ切れば?」

 その言葉には、「関係ねーでしょ」って返された。 

「ちゃんと寝れてないの?」

 整った顔に右手を伸ばすと、スッと体ごと避けられる。それが全ての答えな気がして、グサッと胸に突き刺さった。

 目元が一瞬ぼやけてしまって、慌ててぎゅっと目を閉じる。

 不覚にも泣きそうになったけど、今は意地でも涙なんか見せたくない。けど、お陰で踏ん切りがついたかも知れない。

 諦めるか、待つか、取り戻すか。決めないと前に進めない。


「あの……さ。花ノ木から聞いたんだ。アツヤ君には、遠い親戚しかいないって」

 ためらいながら口を開くと、アツヤ君はくいっと片眉を上げて、「花ノ木?」って訊き返して来た。


 それを聞いて、思い出した。ああ、花ノ木と知り合いだってことから、ちゃんと話さなきゃいけないんだっけ。大宮で見かけたことも、それを黙ってたことも。

 なんで黙っていようとしたか、その理由も。

 ……邪推や嫉妬をしたことも。

 後ろ暗いことを面と向かって告白するのは、すごく気恥ずかしいし、勇気がいる。

「黙ってて、ごめん」

 正直に打ち明けて、謝るしかできない。

「オレ、アツヤ君の事情に踏み込むのが、怖かった。素性や名前とかだって、ずっと知りたいって思ってたけど、一度口に出したら均衡が崩れそうな気がして。キミに出て行かれるかもって、怖かった」


 何を言っても、言い訳っぽいなと思ったけど。

「……ごめん」

 オレは再度謝って、頭を下げた。


 それに対するアツヤ君の返事は、「別に」だった。

「オレも黙ってたことあったし。……お互い様でしょ」

 それは、怒ってないってことなのか?

 オレのズルさを許してくれる? ペットみたいに思ってたことも。いつか、出てくだろうって疑ってたことも?


 じゃあ、またオレと、1からやり直してくれるかな?

 ヒモじゃなくて。ペットじゃなくて。今度は――家族として。オレとやり直してくれるだろうか?

 そりゃあ、簡単にはいかないだろうと思うけど。オレも、できることは何でもするから。

 あの部屋に、戻って来てくれるかな?


 緊張にごくりと生唾を呑み込んで、オレは、スーツの内ポケットに手を触れた。震える手でそこから取り出したのは、署名・捺印済みの、公式書類。

 養子縁組の申請書だった。

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