第27話        5

「今日は、コレを渡しに来たんだ。アツヤ君さえよかったら、だけど」

 緊張に声を震わせながら、オレは書類を差し出した。四つ折りのままセンターテーブルの上に置いて、彼が手を伸ばすのをじっと待つ。

 覚悟して来たはずなのに、やっぱり気恥ずかしくて、顔をまっすぐ見られなかった。

 望みのないプロポーズをしてるみたい。カサッ、と書類を広げる音に、心臓が凍るくらい緊張した。


 書類を見るなり、アツヤ君は言葉を詰まらせた。

「これ……っ」

 驚いてはいるけど、喜んでるような言い方じゃなくて、胸の奥がじわりと冷えた。

 いきなり過ぎだったかな? 先に打診した方が良かった?

 けどオレ、口下手な自覚あるし。面と向かって、うまく気持ちを伝えられる自信がない。だから、見れば分かるようにって思ったんだけど。


「……オレさ、ずっとアツヤ君を束縛しちゃダメだって思ってた。でも、それは逃げてるだけなんだな、って。ずっと側にいて欲しいなら、ちゃんと伝えなきゃいけない。そうしないとフェアじゃないな、って思ったんだ」


 オレの言葉を聞いてるのか、聞いてないのか。アツヤ君は、じっと書類に目を落としたまま動かない。

 いつもみたいに、「あー」とか「へぇ」とか言ってくれれば、もう少し呼吸も楽になると思うんだけど。沈黙が続くと、ちょっと辛い。

「……あ、の、養子っていっても、ずっとって訳じゃないよ? もしイヤになったら、解消してもいいし……そもそも、家庭裁判所の認可がいるから、今すぐって訳にもいかない、し」

 落ち着いて喋ろうと思うのに、舌が凍り付いて、しどろもどろになってしまう。

 だんだん息が苦しくなって、オレはゆっくり息を吐いた。


 いきなり会いに来て、養子縁組持ち出すなんて、やっぱり迷惑だったかな?

 でもオレは、それが1番の方法だと思うんだ。オレがちゃんと責任持つ、って。ハッキリさせればいいと思った。

 半ノラにエサをあげるんじゃなくて、ちゃんと――いや、ペットとかヒモだとか思うんじゃなくて、ちゃんと、家族にって。

 けど、アツヤ君の口からまず出たのは、とても大きなため息だった。

 そして。


「アンタ、ちっとも分かってねぇ」


 そんなセリフと共に、オレの署名・捺印が入った養子縁組届けの書類は、びりびりと真っ二つに破られた。

「あ……」

 ひらひらと捨てられた書類の破片を、呆然と目で追いかける。

 書類なんて、また貰ってきてまた書けばいい。それだけのことなのに、ショックで思考がフリーズした。

 拒否される可能性を、考えてなかった訳じゃない。

 ただ、こんな風に破られるとは思ってなくて、どうすればいいか分からない。

「ご、めん」

 オレは呆然と謝って、片手で口元を覆った。

 胸が痛い。前が見えない。

 諦めてさっさと帰らなきゃって思うのに、体が思うように動かない。逃げたいのに立ち去れない。


 もう1度謝ろうと口を開いた時、だった。

 いきなりぐいっとスーツの胸元を掴まれて、えっ、と思うと同時に唇を塞がれた。

「んっ」

 反射的に逃げようとしたけど、それより先に抱き込まれ、髪を掴まれてて動けない。久し振りの甘い舌、強引なキスに、カッと顔が熱くなる。


 なんでキス? なんで今? オレの手は取ってくれないくせに。

 ぐいっと突っぱねても、なかなか放して貰えなくて、ようやくキスがほどけた時には、少し息があがってた。

「なん、で?」

 キスの理由を訊いても、アツヤ君は答えない。代わりに、さっきと同じ言葉を低い声で言われた。

「アンタは何も分かってねぇ」

「何が?」

 混乱して狼狽うろたえるオレを、アツヤ君がぎゅっと抱き締める。そしてそのまま、叩きつけるように言った。


「オレは、アンタの子になりてぇ訳じゃねぇ。アンタの男になりてーんだ!」


 再びキスされて、反論を奪われる。

 オレの「男」に、って。そのセリフを理解するのにも、十秒以上かかった。

 オレをぎゅうぎゅうと抱き締める腕。まだまだ細い、けど、少しずつ成長してる体。その……心。

 無意識に子供扱いしてたんだって、自覚して反省する。ペット扱いの次は子供扱いだなんて、オレ、どうしよう、最低かも。


「ごめん」

 何度目かの謝罪を口にすると、抱き締められたまま、ふんと鼻で笑われた。

「謝ってばかりっスね。ホントに悪ぃと思ってんスか?」

「思ってるよ」

 謝罪を素直に受け取らないとこ、相変わらずイヤミで生意気だ。でも、そんな生意気な少年が、好きだから。


「オレを信じて、大人しく待っててくださいよ。絶対すぐに戻るから」


 そう言われたら、もう「分かった」としか答えようがなかった。



 その後は談話室を出て、アツヤ君の案内で、校内を少し散歩した。

 といっても、グラウンドの周りを歩いたり、花壇を眺めたり、小さな池を見たりしただけだ。

 野球どころかサッカーもできないくらいの狭いグラウンドだから、あっという間に1周してしまう。でも今まで、そんなふうに2人並んで外を歩いたことなかったから、新鮮だった。


 歩きながら、遠縁の親戚についても少しだけ教えてくれた。

 お盆に、その親戚の人が突然帰国したんだそうだ。仏壇に線香あげようとしたら留守なもんだから、それで不在がバレたって。

 もしケータイを持ってれば、帰国前に連絡を貰えたかも知れない。留守がバレて「今どこだ?」って電話されても、誤魔化しつつすぐに帰れたかも知れない。

 けどそんなこと、今更言っても仕方ない。

 怒鳴られたり殴られたりなんかはなかったけど、呆れられて、話も聞いて貰えなかったって。ここへの入所も勝手に決められて、勝手に手続きされたらしい。


「で、ここに、高校卒業するまで入ってろって言われちまって」

「そう、か……」

 高校卒業までなら、残り数ヶ月? ってか、授業は? 単位は大丈夫? 普通に3月で卒業できそう? 留年したりはしないのかな?

 ……と、思ったけど。

「じゃあ高卒の認定試験に受かりゃいいのか、って訊いたら、それでもOKだっつーから。受けることにしたんスよ」

 アツヤ君はさらっとそう言って、ニヤッと笑った。


「高卒の、認定?」

 それは何となく聞いたことあるけど。えっ、現役の高校生でも、受けられる試験なのか? 内容は? 難しいんじゃないか?

 じゃあ、そのために勉強、頑張ってるんだろうか。

 隈の浮かんだ目元を、じっと見つめる。最初不健康そうに見えたソレが、今は少し頼もしい。

 8歳も年下の少年だと思って、無意識に「オレがやらなきゃ」って思ってたけど。アツヤ君はちゃんと自分で考えて、ひとりで行動できるんだな。

 オレの浅知恵なんかじゃ太刀打ちできない。アツヤ君は、スゴイ。


「頑張るし、受かるつもりでいますけどね。落ちちまったらダセェから、いつまで不在かは言えなかった。それに、親戚の言いなりになるしかねぇのも格好つかねーっつーか……知られたくなかったんス」


 アツヤ君はそう言って、色々黙ってたことを謝ってくれた。

 ダサイとか格好つかないとか、気にしなくていいのに。けど、そう言っちゃうのもまた、子供扱いなのかも知れない。

「そう、か……」

 オレは色々納得して、アツヤ君の目元に右手を伸ばした。今度はスッと避けられることもなく、あっさりと触らせてくれる。

 隈の上からそっと親指でなぞると、アツヤ君がふっと頬を緩める。少し大人びたその笑みは、彼の成長を感じさせた。

 寝なきゃダメだよ、なんて上から目線で注意するのも、もう彼には似合わない。


「ムリしないでね?」

 苦笑しながら手を離すと、彼はその手をぐっと掴んで、「ああ」って自信たっぷりに笑った。

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