第25話 3
翌日、花ノ木からメールが来た。
――会って来たぞ――
たったそれだけの、短いメール。それだけでもドキッとしたのに、添付ファイルを開いた途端、胸がぎゅうっと苦しくなった。
不機嫌そうな顔したアツヤ君が、こっちをじっと睨んでた。
キリッと濃い眉も、切れ長でくっきり二重の涼やかな目も、高い鼻筋も、何もかも相変わらずだ。
やっぱり整った顔立ちしてるなぁって、写真で見るとしみじみ思う。
少し髪が伸びたかな? ちょっと目の下に隈があるけど、ちゃんとひとりで眠れてる? ご飯、食べてるんだろうか?
でも、思ったより元気そうだ。
なんだ、オレがいなくたって、アツヤ君は大丈夫なんじゃないか。
ペットにするみたいに、ずっとお世話してたから――オレがいないとダメなんじゃないかって錯覚してた。
元々アツヤ君は、自由だったんだ。
オレに依存なんかしてなかった。
縋るようにオレを抱いたことはあったかも知れないけど。でも、きっとオレじゃなくても良かった。
どこにも行くとこが無いっていうのは、事情を知った今となっては、納得できる。でも、ずるずるとオレの側に居続けたのは、単に楽だっただけなんじゃないかと思った。
じっと彼の顔を眺めてると、ケータイの画面が、すっと1段暗くなった。
ぽたりとそこに水滴が落ちて、自分が泣いてるのに気付く。目よりも先にケータイをぬぐって、それから湿った息を吐く。
呼吸に嗚咽が混じって、それが余計に情けなかった。
アツヤ君がいるのは、どんな部屋なんだろう?
不機嫌そうな彼の後ろに写ってるのは、オレンジと白の明るい壁。横に大きな窓があって、ガラス越しに緑の庭が見える。
「全寮制」とか「矯正スクール」とか、そういう厳しそうな単語の響きに、監獄みたいな冷たくて暗いトコを想像してた。全く違うじゃないかって、自分でも呆れる。
今まで調べようともしてなかったけど、ちゃんと公式サイトとか、調べた方がいいのかも。
「オレ、逃げてたのかな?」
今も逃げてるんだろうか?
呟くように訊いても、答えはない。オレの部屋にいるのはオレだけで、今日もひとりだ。
後輩と飲みに行ったことが知られると、他にもぽつぽつ誘われ始めた。
アツヤ君と暮らし始める前は、こうして誘われるのが楽しくて。翌日に仕事があったって、滅多に断らないくらいだったから、単に以前に戻っただけだ。
でもやっぱり、どんなに騒いでも飲んでも、以前のようには楽しめなかった。
アツヤ君が待ってる訳でもないのに、彼のことばかり気にかかる。そろそろ消灯時間かな、とか。だったらもう寝てるかな、とか。
寮は個室なのか、それとも側に誰かいるのか、ルームメイトとの仲は……なんて、余計な邪推も湧いてくる。
会えない分、余計にあれこれ考えてしまうのかも知れなかった。
「完全にペットロスですねー、主任」
そんな風に、苦笑されること数回。後輩社員からは別の猫を飼わないかって勧められた。
「割り切るのも必要ですよ」
「うん……でも」
正論だけど、そもそもうちのアパート、ペット禁止だし。それに、猫でも犬でも人間でも、アツヤ君以外と同居したい訳じゃない。
「迎えに行かないんですか?」
無関係な後輩に心配されて、ダメだなぁと思う。
迎えに行くとか連れ戻すとか、それ以前に、会いに行く勇気すら足りない。
でも、ひとりであの部屋にいたって、忘れることはできそうにないし。慣れることもできそうになかった。
パズルのピースがどかっと足りなくて、どうしようもない感じ。
胸に開いた大穴は、あの少年じゃないと塞げない。
いつアツヤ君は戻って来るんだろう?
うちの合い鍵も、多分持ってったままだと思うけど。いつかここに帰って来るって、信じて待っててもいいのかな?
……いつまで?
『オレのいない間に、引っ越ししたりしませんよね?』
アツヤ君に言われたその言葉が、唯一、彼の帰還を信じる根拠だ。
『自分ちの子にしちゃえばどうですか?』
後輩から言われたそれを、今でも時々考える。
迎えに行くのか、待つのか、それとももう待たないのか。どれにしろ、このままじゃ決められない。
「会いに行こう」
声に出して呟いて、ひとりきりの部屋で立ち上がる。
思い立ったら、今すぐ訪ねて行きたかったけど、まずは花ノ木に電話を掛けた。
「面会の仕方、教えて」
もしもし、も言わずにそう言うと、花ノ木は『唐突だな!?』って驚いてたけど、すぐに丁寧に教えてくれた。
オレなんかが行ったって、アツヤ君が会ってくれるかは分からない。
――何しに来たんスか?
冷たい目で、声で、バッサリと拒絶される可能性もあった。
――迷惑なんスけど。
とか。
――いつオレが、会いに来てくれって頼んだんスか?
とか。
それを考えると、やっぱり怖い。
面会の日、当日になってもずっと怖いままだった。
できるだけ怪しまれないように、スーツにネクタイ、革靴を履いて、社会人の顔で電車に乗った。
目的の駅まで黙って座ってる間にも、脚が震えて仕方ない。
もし「帰れ」って言われたら、素直に帰るつもりだった。
迷惑そうにされたら諦めようって、胸の中に言い聞かす。
――もう来ないでくれますか。
もしそんな風に言われたら、悲しいけど、全部忘れることにしようと思う。
引っ越そう。浴衣もシャーペンも捨ててしまおう。ペットOKのマンションに住んで、今度は可愛い猫を飼おう。
けど、もし、ちょっとでも嬉しそうにしてくれたら――。
オレは、署名・捺印済みの書類を、内ポケットの上からそっと押さえた。
アツヤ君と再び一緒に暮らすために、オレにできる最も有効な方法だと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます