第24話        2

 アツヤ君を矯正スクールに入れた親戚の人は、血縁も遠いけど住んでるとこも遠いらしい。

 イトコ違い? って、初めて聞いたけど、お父さんかお母さんのイトコにあたる人だとか。とにかくそれより近い血縁で、保護者を引き受けられる人はいないようだった。

 天涯孤独って程じゃないのかもだけど、頼れる親戚がいないのは、寂しいんじゃないかと思う。

 肝心のそのイトコ違いの親戚だって、現住所は海外なんだそうだ。

 もしかしたら矯正スクールじゃなくて、海外に連れて行かれてたかも知れない。その可能性を知って、ギョッとした。

 大事なら手元に引き取るはずだ――って、職場の後輩君は言ってたけど。

 犬猫と違って、人間を引き取るには色々大変だと思うし、アツヤ君の意志だってある。少なくともオレは、彼が日本に残ってくれてて良かったと思った。


 全寮制のそういうスクールに入所させたのは、生活態度の改善とか、素行不良の矯正とか、家出の罰とかだけじゃなくて……悪い交友関係を断ち切らせるっていう理由もあったようだ。

 どこで寝泊まりしてたかを言わなかったから、そうなってしまったんだろうか。

 悪い交友関係って、オレのコト?

 確かに、17歳の少年と肉体関係を持つのは犯罪だし。ちゃんと好きだったとか、強引に迫られたとか、どんなに言い訳したって悪いのはオレに決まってる。

 オレたちのホントの関係については、花ノ木にも話してない。アツヤ君のホントの気持ちも、分からないままだけど。

『好きっスよ』

 たった1度だけ言われた言葉を、オレは当分忘れられそうになかった。



 中ジョッキ3杯のビールを飲んで、程よくいい気分になった後、居酒屋を出た。

「お疲れ様っしたー」

 酔った後輩の大声に苦笑しながら、手を振って帰路につく。

 居酒屋で確かに浮かべてた笑みは、家が近付くごとに少しずつ消えて、代わりにじわっと視界がぼやける。

 ペットの世話をすることもなければ、ご飯の心配もしなくなって、自炊する気力もなくなった。

 アツヤ君が合宿に行ってるって思い込んでた時は、まだそれでもひとり分のご飯を作ってたけど、今はちょっと気分的に無理だ。


 ガチャン。カギを開けて玄関のドアを開けても、そこには暗闇があるだけで、TVの音すら聞こえない。

 ただいま、と呟いても、「あー」って無愛想な声すら帰って来なくて、ひとりなんだと思い知る。

 部屋は朝、オレが出てった時のままで、散らかっても片付いてもいない。

 上着とネクタイを床に落とし、Yシャツの第2ボタンまで外した後、スラックスのままでベッドにドサッとダイブする。

 無防備にうつぶせで寝てたって、「だらしないっスよ」なんて生意気なことも言われないし、襲われることもない。

 「腹減ってんスけど」とか「大橋さん、メシ」とか、遠慮の無い声に、渋々起きることもない。

 自由、だ。


 ごろんと寝返りを打つと照明が眩しくて、片手で目元をそっと覆う。

「自由だぁ……」

 静寂を打ち消そうとして、ぽつりと呟く。

 スラックスがシワになるかな、と一瞬思ったけど、今は何もかもどうでもよかった。

 いい気持ち。

 酔いが回って。今日はこのまま寝られそうだと思った。



 翌朝は、花ノ木からのメールで起こされた。

――メシでも食わねぇ?――

 そんな誘い文句で呼び出された先は、前に花ノ木と再会した場所。つまり、近所の大型スーパーだった。

 宿酔いって程じゃないけど、食欲はなかったから、讃岐うどんの店で温かいうどんを頼んで、トッピングに大根おろしと梅干しを選んだ。

「ウソだろ、そんだけで足りるのか? お前、チームで一番食い意地張ってたじゃねぇか」

「一番じゃないだろ」

 花ノ木は驚いてたけど、教師兼顧問やってる彼とは違って、オレは座りっぱなしの事務仕事中心だし。もうアスリートでもないんだから、食べ過ぎると腹回りに来てしまう。


「お前、痩せてねぇ?」

「どうかな。筋肉は落ちたかも知れないけど」

 それだって、毎日の筋トレをやめたなら当然だ。むしろ最近は、外食とコンビニ弁当が増えた分、カロリーが心配なくらいだった。


 めんもつゆも残さず腹に入れると腹八分目で、ようやく気分も落ち着いた。

 アイス緑茶を注文して飲んでると、ガツガツと定食を食べながら花ノ木が言った。

「明日さ、瀬田の面会に行って来ようと思うんだけど」

 あまりにさり気なく言われたから、一瞬何のことか分かんなかった。

「……えっ、……面会?」

 ぽかんと開けた口からストローが落ちて、ハッとする。

 なんで花ノ木が? そう思ったけど、担任だったなら当たり前なのか。

 羨ましがるべきなのか、見放されてないのを喜ぶべきなのか、自分でもよく分からない。踏ん切りつけられないままの自分を、反省するべきかも知れない。


「そんなに意外か?」

「……いや、急だなと思って」

「急でもねぇだろ」

 それこそ意外そうに言われたけど、黙って肩を竦めるしかなかった。

 面会は自由だって、教えてくれたのは花ノ木だ。オレだって行きたいと思うなら行けばいい。

 「一緒に行くか?」って誘われたけど、首を振って断った。

 行くならひとりで会う方がいい。

「何か伝言あるなら、伝えるけど」

 その申し出にも、「やめとく」って首を振った。伝言じゃダメな気がした。

 どうしてこんなにモヤモヤするのかというと、何一つアツヤ君本人から説明されてないからだ。


『迎えに行ったらどうですか?』

 昨日、後輩に言われた言葉が、ずっと耳に残ってる。


 まだそんな勇気は、出せそうになかったけど。

 「明日」とか「来週」とか、具体的なことはまだ、考えられそうにないけど。

「オレ、ひとりで行ってみるよ」

 ぼそっと告げると、花ノ木は「そうか」って1つため息をついた。

 大きな手でくしゃっと頭を撫でられると、子ども扱いされてるみたいで複雑だ。

「元気出せ、エース。まだ試合は終わってねぇ」

「試合じゃないし」

 もうエースでもない。でも、確かに終わった訳じゃない。


「大橋の髪って、伸ばすと猫毛だったんだな」

「そっちこそ天パじゃん」

 旧友の手を振り払い、お返しに頭を撫で返す。

 あの夜、アツヤ君の固い髪をそっと撫でたことを思い出し、目の端に少し涙が滲んだ。

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