第23話 ひとり暮らし 1
久し振りに後輩に飲みに誘われたのは、9月の末のことだった。
「主任、久し振りに1杯、どうですか?」
くいっと杯をあおる仕草に、ベタだなぁと思いつつ「うん」とうなずく。
ヒモ少年のいなくなったオレの部屋は、どんなに急いで帰っても暗いままで、誰の気配もない。
頭では分かってても、やっぱりなかなか慣れなかったから、こんな風に誘ってくれるのは有難かった。
「ちょっと待って、すぐ終わらせるから」
目の前の書類に付箋を貼って、シャーペンで軽く印をつける。
カチッと頭を押して芯を引っ込めてると、横で見てた後輩が、「あれっ」と声を上げた。
「随分可愛いシャーペンですねー、誰かのプレゼントですか?」
からかうように言われてドキッとする。プレゼントっていう単語にも、ちくっと胸が痛んだ。
「違うよ。これは伊豆で」
平静を装って答えながら、さっさとシャーペンを内ポケットにしまい込む。
イルカのモチーフの付いた水色のシャーペンは、社員旅行で買った内の1つで――アツヤ君に渡したお土産と、色違いのお揃いだった。
我ながら女々しいかなってちょっと思う。あと、社会人が使うには可愛すぎた。
「ああ、水族館の? 主任、自分用に買ったんですか?」
後輩の問いに「そう」ってうなずいて、さっさと帰り支度を整える。
じわっと顔が赤くなってくのが分かったけど、後輩はアツヤ君みたいに、見透かしたように笑ったりはしなかった。
久々にのれんをくぐった居酒屋で、カウンターに座ってビールと定食を注文した。
「今週もお疲れさまっス」
「お疲れさま」
乾杯してぐーっとジョッキをあおると、苦い炭酸がノドに心地よくて、思わずぷはーっ、と息を吐いた。
今日も仕事、終わったなぁと思う。
「いやー、しみますねぇ」
「ホントだ」
後輩の言葉に、しみじみうなずく。
元から話しやすいタイプの人だったけど、久々に誰かと一緒に食べる食事は、美味しくて楽しかった。
しばらく他愛もない話をした後で、後輩がふと思い出したように言った。
「そう言えば、猫、元気ですか?」
ドキッとした。
「う……ん。なんで?」
「いやぁ、主任、最近元気ないし。さり気に残業増えてるし。ここんとこ、前みたいに急いで帰ることもないじゃないですか。だから、どうしたのかなー、って」
――前みたいに、急いで帰ることもない。
ズバッと言い当てられて、さすがにちょっとうろたえた。
動揺を誤魔化すようにビールをあおって、ふーっ、っと長く息を吐く。
口元の泡を手の甲でこすって、それでも落ち着かなくて。何か言わなきゃって口を開くと、ついぽろっと弱音が漏れた。
「い、なくなっちゃったんだ、猫」
オレが飼ってたのは猫じゃなくて、人間のヒモだったけど。
「うちに迷い込んで、そのまま居着いてたけど、ホントは別に、保護者がちゃんといたんだって。だから、その人に連れてかれて、今は施設に……」
ぼそぼそと説明すると、後輩は「はあっ、施設!?」と驚いた声を上げた。
「保健所ですか!?」
「いや……」
アツヤ君は猫じゃないし、保健所に入れられた訳じゃないけど。
「じゃなくて、その、しつけをし直すみたいな……」
「えーっ、ヒドくないですか? なんで施設に? 大事なら手元で飼うでしょうー!?」
いや、飼うも何も、彼は猫じゃない。猫じゃないからややこしくて――思い通りにはならなくて。
「見知らぬ施設なんかで暮らすより、主任と暮らしてた方が、幸せだったんじゃないですか?」
そんな何気ない後輩の言葉に、またちょっと胸が痛んだ。
学生服姿の少年を拾って、うちに連れ帰ったのは、4月の雨の夜だった。
一緒に暮らしたのは4~5ヶ月。
ずるずると長かったような気もするし、あっという間だった気もする。
17歳の高校3年生は、「どこにも行く場所がない」と言って、ずっとオレんちに居着いてた。
学校に行ってるかどうかも分かんない、何も手伝わない、生意気ばかり言う、ヒモ少年。
オレは、彼のことをペットだと思ってたし、会社の人にもそう言ってた。「大きな猫を飼ってます」って。
そして少年に対しても、多分、そんな風に接してたんじゃないかと思う。
いつかはオレの側から離れて行くんだろうなって、最初から向き合ってあげてなかった。
だから、頼りにして貰えなかったんだろうか?
アツヤ君は、親戚の人の手によって、全寮制の矯正スクールに入所させられてしまったらしい。らしい、っていうのは、全部花ノ木から聞いた話だからだ。
本人からは、何も知らされないままだ。ちょっと困ったことになった、とか、相談も愚痴も、何もなかった。
アツヤ君の在学状況についてもよく分からない。
高校にまだギリギリ籍は残ってるとか聞いたけど、出席日数や単位とかはどうなるんだろう?
スクールに入所したままでも、高校卒業資格とか取れるんだろうか? 通信制や夜間高校みたいな感じ? いや、籍が母校にあるままなら、ダメなのか? その辺のことも分からない。
結局オレは他人で、詳しい事情を知ることができない。
だから余計に不安で――。
「まあまあ、元気出してくださいよ」
後輩に背中をパンと叩かれて、「うん」ってうなずくくらいしか、今のオレにはできなかった。
面会は自由だって花ノ木から聞いたけど、それもまた悩みどころだ。
オレは会いたいけど、アツヤ君はどうだろう? 「何しに来たんスか?」とか、冷たい顔で言われたら、立ち直れなくなりそうで怖い。踏ん切りがつかない。
「迎えに行けばいいじゃないっスか」
と、簡単に言ってくれる後輩に、「そうだね」って曖昧に笑う。
猫なら簡単だろうけど、未成年のニンゲン相手にそれは無理な話だ。分かってる。
ただ。
「自分の子にしちゃえばいいんですよ」
そんなセリフに、ドキッとした。
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