第22話 9
懐かしい廊下を歩き、「まずこちらへ」って通されたのは、職員室の隣の部屋だった。
薦められるまま、応接セットのソファに座る。3年間この学校に通ってたけど、こんな部屋があったなんて知らなかった。
授業を終えた花ノ木が来てくれたのは、それから1時間後のことだ。
「大橋……どうした、突然?」
不思議そうに入って来た旧友が、向かいのソファに座るのも待ち切れず、腰を浮かして性急に尋ねる。
「あのさ、アツヤ君、瀬田敦也君って、今どこ? 学校にいないのか?」
花ノ木は一瞬キョトンとして、それから「……はあ!?」って大声を上げた。
「名簿に線が引かれてたけど。どっかに転校した? いつ?」
センターテーブルに手を突いて更に訊くと、「ちょっと待て」って言われた。でも待てないし、落ち着いてもいられない。
「前にさ、大宮で花ノ木と、何か揉めてた子だよね? そう?」
「そうだけど、それが何だ?」
それが何だと言われると、どう言えばいいのか返事に困る。けど……それより、ああ、やっぱりアツヤ君なんだと分かって、胸に不安が広がった。
説明に迷うのは、後ろめたさも原因だ。肉体関係があるなんて、とても言えない。未成年だし、男同士だってこともある。
でも何より今は、アツヤ君の無事を知りたい。手掛かりがここにしかないなら、腹をくくって話すしかない。
「オレ、苗字は知らなくて、ずっと『アツヤ君』って呼んでた。アツヤ君は4月からずっと、うちで寝泊まりしてたんだ。どこにも行くとこがない、って言ってて。居候っていうか……オレの1Kのアパートで、ずっと一緒に暮らしてた」
オレの話を聞くと、花ノ木はやっぱり驚いた顔で、「はあ?」って目を見開いた。二の句が継げない、っていうのかな。口を開けたまま絶句してる。
いきなりそんなこと言われても、確かに困惑するだろう。でもオレだって、混乱したままなんだから許して欲しい。だって、何も聞いてない。
「なぁ、彼、どこに行ったんだ? 花ノ木は知ってる? オレ、合宿みたいなのに行くとしか聞いてなくて、だからてっきり、学校内にいるんだと思ってた。でも、さっき見たら名簿の名前が消されてて……」
そこまで説明したところで、「ちょっと待て」と手を振られた。花ノ木は混乱したように頭を掻いて、じっとオレに目を向ける。
「よく分かんねぇけど……そもそも、なんでお前んちに瀬田が?」
その質問はもっともだと思ったから、出会いから今までのことを簡単に説明した。
雨の夜に、びしょ濡れでうずくまってたのを拾ったこと。どこにも居場所がないって言われたこと。数日で出て行くだろうって思ったこと。泣いてたこと……それ以来ずっと、衣食住の面倒をみてたこと。
「マジか……」
花ノ木は頭を抱えて、悩むように唸った。
「お前って、そんな面倒見のいい方だっけ?」
「そういうんじゃないけど、なんか、放っとけなかったんだ。面倒見がいいのはそっちだろ、キャプテン」
「キャプテンはやめろ」とぼやかれて、ちょっとだけ笑い合い、どちらからともなくため息をつく。
オレのした説明に、完全に納得した訳じゃないかも知れない。けど、「ここだけの話だぞ」と口止めした上で、花ノ木は小声で教えてくれた。
「瀬田は今、全寮制の矯正スクールに入所してる。親戚に放浪がバレてな」
「放浪、って。……えっ、矯正スクール?」
聞き慣れない単語にドキッとした。
「それって、鑑別所みたいな……?」
不安と驚愕に鳥肌が立ったけど、よくよく聞くと、そんな怖い場所でもないようだ。
家庭裁判所が絡むような、強制措置の取られるとこじゃなくて――どちらかといえば、フリースクールに近いんだとか。
ただ、無許可での外出は禁止なんだそうで、そう自由でもないらしい。
起床時間や消灯時間が厳しいのは、生活リズムを直すため? 夜遊びをさせないようにっていう処置なんだろうか?
そういうスクールには今まで縁がなかったから、詳細はよく分からない。
「でもアツヤ君、別に飲酒も喫煙もしてないし、ドラッグとか、薬物の類にも手を出してない。夜に出歩いてもなかったし、何を矯正するんだ? 普通に学校、行ってたんだろ?」
オレの疑問に、花ノ木もうなずいた。
「オレも学校側も、なんとか保留できねぇか説得したんだけどな。でもこういうのは保護者の意向で決まるんだ。高校は義務教育じゃねぇし、うちの高校には寮がねぇだろ? どこを泊まり歩いてたかも、頑として言わなかったから、その辺も問題にされたみてぇだ」
花ノ木君はそう言って、はぁー、と深いため息をついた。
「お前を庇おうとしたのかもな」
そう言われると、胸が痛む。
17歳の子に庇われて、何なんだろう、オレ? 逆に迷惑かけたんじゃないか?
アツヤ君は春先に、ご家族を1度に亡くしたらしい。それを聞いて、あの雨の日、ひとりでびしょ濡れで座り込んでたのを思い出した。
誰もいない家に、帰りたくなかったのか?
1人で留守番してた時に、起きた事故だったんだろうか?
事故の知らせを、ケータイで聞いた? だからケータイを嫌ったのか?
アツヤ君の恐れてたモノの正体は、オレにはまだ分からない。
親戚の人には、そのまま自宅で1人暮らしして、高校に通う約束をしてたそうだ。なのに、結局はずっとオレんちにいたから――家を空けっぱなしだったのがバレて、それで、約束を破ったペナルティを受けることになったとか。
お盆の頃にはもう、入所が決まっていたらしい。
だから勉強してたのか? 勉強は関係ないのかな?
入所の直前までうちにいたってことなのか? 強制的に、家に帰らされたりしなかった? なら、そのままうちにいればよかったのに。そういう訳にいかなかったんだろうか?
入所させられるのを知って、その上で逃げずに素直に行ったのなら、アツヤ君は納得済みってことになる?
「家に帰ってなかったって聞いてさ、ろくでもねぇ連中と関わってんじゃねぇかとか、色々心配したんだけどな。そうか、お前んちにいたんだな……」
しみじみと語る花ノ木にうなずきながら、オレはアツヤ君のことを考えた。
ヒモじゃなくて、ペットじゃなくて、住所不定の野良猫じゃなくて、親愛なる同居人として。多分、初めて真剣に、彼のことを考えた。
また会うには、どうしたらいいんだろう?
また一緒に暮らすには? 赤の他人でしかないオレに、できることは何だろう?
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