第19話         6

 もしかしたら、アツヤ君は昨日、あまり寝てなかったのかも知れない。

 終わった後、珍しくそのままオレの横で寝てる彼を見て、何となくだけどそう思った。

 珍しいというか、初めてかも? いつもなら、さっさとオレから離れて、床に寝転がってTVの方を向いちゃうのに。


 すうすうと寝息を立てる、無防備な寝顔をじっと見る。

 濃い眉、閉じてても端正な目、すっきりと高い鼻、形のいい唇。1つ1つのパーツもいいけど、全体的なバランスもよくて、つくづく整った顔立ちだ。

 いつもは生意気なことしか言わない唇が、今は少し半開きになってて、ちょっと幼い。

 眉毛も今は自然なカーブを描いてて、リラックスしてるようだった。


 そっと手を伸ばして、固い髪を指ですく。

 短い黒髪は少し汗で湿ってて、その理由を考えるとドギマギした。

 好きだなぁ、と思う。

 こんな感情を17歳の少年相手に持つなんて、ダメなんだって分かってる。けど。

「好きだよ、アツヤ君。ずっと側にいて。大人にならないで」

 大人になったら……1人でも生活できるようになってしまったら。アツヤ君はきっとこの部屋になんか、いつまでも留まっててくれないだろう。

 居場所を求めて、縋るようにオレを抱くこともなくなるだろう。

 束縛されるのはイヤだって知ってるから、束縛はしない。したくてもできない。


「アツヤ君……」

 小声で名前を呟きながら、眠る少年に顔を寄せる。

 つるんとした頬に軽く唇を落とすと、濃いまつ毛がひくっと揺れた。

 起きてる時はこんな真似、絶対に自分からはできない。

 くすっと笑いながら、もう1度固い髪を撫で、オレはそっとベッドから降りた。

 降りる時、ギシッとベッドが鳴ってギョッとしたけど、幸いにもアツヤ君は、まだ眠ったままだった。



 イノシシ肉は、ネットで探したレシピ通りに、チーズを挟んでカツにした。

 うちのフライパンは相変わらず小さいままで、揚げ物を作るのも1度に少しずつしかできない。

 イノシシのチーズカツも、揚げられるのは1度に3つ。キャベツやトマトと一緒に1枚のお皿に盛りつけると、次の3つを揚げてる間に、さっそくアツヤ君に持ってかれた。

「いただきます!」

 いつものセリフが、じゅうじゅうと油の音に混じって聞こえてきて、いつも通りだなぁと思う。


 オレの分ができるまで待ってくれないのは相変わらずで、料理中のオレに生意気な声がかかるのも、いつもと同じだ。

「大橋さん、メシ」

 とか。「お茶」とか。

「自分で取りに来れば?」

 ちらっと振り向いて、冷ややかに言ってやっても、アツヤ君は余裕の顔を崩さない。


「メシの最中に、立ったり座ったりすんの、イヤなんスよ」

「何言ってんの」

 そんなの、オレだってイヤだよ。それ以前に、ちゃんと準備を整えてから、一緒に食べた方が美味しいと思う。みんな揃ってから手を合わせて……って、給食でもそうだろう?

 そりゃあ高校生なら、お昼だってみんな揃ってって訳じゃないかもだけど。アツヤ君は団らんとか、そういうのは求めてないのかな?


「今、手が離せないから無理」

 オレはわざと冷たくそう言って、菜箸片手にコンロを向いた。

「ぼうっと立ってるだけじゃないっスか」

「揚げ物の最中だから、怖いんだよ。火事の元だ」

 背中を向けたままで告げると、じゅわじゅわと立つ揚げ物の音の中に、「へーぇ」と見透かしたような声が混じる。

「怖いっつーより、単に不器用なんじゃねーんスか?」

 不器用って。料理もしたことないくせに、生意気だ。

 背中にすっごく視線を感じて、じわっと顔が熱くなったけど、意地でも振り向いてやらなかった。


 ウソでも「手伝いますよ」とか、言ってくれれば可愛いのに。

 それか、何も言わなくても手伝ってくれれば、もっといいのに。

 ドカッと座ったまま動かなくて、たまに動いたと思ったらちょっかいばかりで、もう、ホントに役に立たない。

 けど、そんなダメっぷりも、ヒモっぷりも、何もかもがオレは嫌いじゃないから、仕方ない。むしろ、オレがいないとダメなんだって気がして、そんなに悪い気はしなかった。

 ずっと彼は、このままなんだろうなと思った。



 アツヤ君から合宿の話を聞いたのは、月曜日の朝のことだ。その時オレは出勤前で、慌ただしくネクタイを結んでた。

「来週からオレ、しばらくいねーっスから」

 世間話するみたいにさらっと言われたから、危うく聞き流すとこだった。

「合宿か何か?」

「そんな感じっスかね」

「部活の?」

「まあ」


 合宿と聞いて思い出すのは、高校の時の野球部の合宿だ。柔道や剣道の授業で使う、格技場の2階に和室があって、布団も食器も揃ってた。

 あんな感じで、学校に泊まるんだろうか?

 部活って、入ってたの? 野球部? いや、合宿するのは運動部だけとは限らないけど。

「そうか。いつまで?」

 オレの問いにアツヤ君は肩を竦めて、「知らねっス」って答えた。


 ホントに知らないのか、知ってるけどどうでもいいのか、それとも言いたくないのか……本当のことは分からなかった。

 でも、アツヤ君は前からそんな感じだったし。特に学校や家族のことを訊こうとすると、はぐらかされることも多かったから、曖昧な返事をされても、不思議には思わなかった。

 表向き、彼がオレの母校に通ってることも、知らないことになってたし。家族でも恋人でもないオレに、それ以上の詮索はできない。

「じゃあ、分かったら教えて」

 オレはそう言って、通勤カバンを手に家を出た。


 忘れてた訳じゃないけど、いざその前日になるまで、合宿のことを失念してたのは、そんなに不安じゃなかったからだろうか。

 オレの知ってる高校の、知ってる合宿所。担任は旧友で、その連絡先も分かってたから、無意識に安心してたと思う。

 部活に入ってるかどうかも分かんないアツヤ君が、何のために、なぜこの時期に、合宿なんて行ったりするのか。その不自然さに、全然気付かなかった。

 アツヤ君の私物というと、最初からスポーツバッグ1つしかなかった。着替えだって、元々は学生服しかない。

 数ヶ月の間に、ある程度は買ったり貸したりしたけど、考えてみれば、それもそんなに多くなかった。


 勉強道具をスポーツバッグにしまい込み、着替えは全部オレの貸した旅行バッグをに詰め込んで。日曜の午後、アツヤ君は久し振りに何もせず、ごろごろと寝転がってTVを見てた。

「あ、明日から合宿だっけ」

 オレがそう言っても、こっちを振り向きもしない。

「いつまで?」

 その問いにも、答えはなかった。ただ、ぼそりと冗談っぽく言われた。


「オレのいねー間に、引っ越しなんかしねーっスよね?」


「しないよ」

 オレは即答して、くすっと笑った。

 そりゃあ持ち家じゃなくて賃貸だけど、社宅扱いで、家賃は給料から天引きになってるし。真面目な話、契約って言うモノがあるんだから、そんな簡単に転居はできない。

 そう言うと、アツヤ君は「そっスよね」ってふふっと笑って、また寝転がったままTVに向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る