第14話 ヒモのいない旅 1

 夏休みが終わりに近付く頃、うちに住み着くヒモ少年が、TVも見ないで勉強するようになった。

 いや、前々からしてたのかも知れないけど、オレの前でしてるのは初めてだった。

 そういえば、休み明け、すぐにテストがあるんだっけ。

 でも、期末や中間の時期にだって、うちでは寝転んでばかりだったし。テストのため、っていうのとは違うかな?

 お盆休みに何か、心境の変化でもあった?

 オレは大体家にいたけど、アツヤ君は逆に、ふらっと出掛けてっちゃって、昼間は家にいなかった。

「ちょっとその辺、ブラついてただけっスよ」

 どこに行ってたのか訊いても、返って来るのはそんな返事で、相変わらず何も教えてくれない。

 しつこいって思われるのが怖くて、オレからも質問責めにはできなかった。


 誰かのお墓参りとか、行ったのかな?

 1度だけ、ふわっと線香の匂いを嗅いだ気がしたけど、やっぱり何も訊けなかった。


 課長に社員旅行の件で呼び出されたのは、そんな夏の終わりのことだった。

「大橋君、キミ、欠席とはどういうことだね?」

 って。

 欠席か出席かのアンケートに、「欠席」って書いて出したのがマズかったらしい。

 社員旅行は休日扱いなんだし、本来は自由参加のはずだ。そりゃ、参加しない人が少数派なのも知ってるけど、無理強いは良くないと思う。

 まあ、思うだけで、強気な態度には出にくいけど。

 でもアツヤ君とならともかく、会社の仲間と1泊旅行なんて、楽しいとも思えなかった。

 楽しい以前に、よそに泊まるのがイヤだ。だって……。


「えっと、欠席はダメです、かね?」

 恐る恐る尋ねると、「いかんだろうー」って真顔で言われた。

「え、でも……休みには休みたいです、し」

 口下手なりに食い下がってみたけど、福利厚生がどうとか親睦がどうとか、正論で説得されるとどうしようもない。

「猫が心配なのかね?」

 課長に呆れたように言われて、カッと顔が赤くなる。

 図星を指されて反論もできない。ただ、オレが飼ってるのは、猫じゃなくてヒモだけど。


「ペットならキミ、どこかに預けるとかあるだろう。動物病院とか、ペットホテルとか」

 オレのペットを猫だと信じきってる課長は、当たり前のようにそう言った。

「ペットの世話と社員旅行と、どっちが大事かね?」

 そう言うなら仕事と一緒だし、出勤扱いにしてくれればいいのに。

 有給を無理矢理使わされて、この上、ペットホテル代だって自分持ちになるとか、納得行かない。

 そりゃ、アツヤ君はペットじゃないし、ホテル代なんかいらないし。食事の支度がなくたって、自分で買ったり作ったりできるんだろう、けど。

 でも、不安だった。

 アツヤ君、1人で大丈夫なのかな? 留守番できる?


 たった1泊2日だけど。ちゃんと待っててくれるのかな?


 ドキドキしながら、社員旅行のことをアツヤ君に言うと、意外にも「へーっ」って言われただけだった。

「どこ行くんスか?」

 普通の態度で普通に訊かれて、こっちは逆に肩透かしだ。

「伊豆だけど」

 素直に教えると、また「ふーん」って。

 行かないで、って言われても困るけど、そう淡々とされても複雑な気分。

 それとも不安がってんのはオレだけで、アツヤ君にとっては、そう重要なコトじゃないのかな?

 何の連絡もないのがダメなだけで、あらかじめ分かってたら平気、とか?


「伊豆の土産って、何があるんスかねー?」

 シャーペンを持ったまま、オレの方にちらっと目線をくれるアツヤ君には、まったく動揺の影もない。

 お土産をさり気に催促してくる態度は、いつも通り生意気だ。

 でもそれって、ちゃんとオレのコト、待っててくれるっていう意味だよね?

「ご当地キーホルダーと『伊豆』って書かれた湯呑、どっちがいい?」

 冗談半分で訊くと、アツヤ君はふんと鼻を鳴らして、形のいい唇を笑みに歪めた。

「土産つったら、食いモンに決まってんでしょ?」

 小馬鹿にしたような口調も、ホント生意気。でも、ドキッとするくらい様になってて好きだなぁと思う。


 好きだなんて甘い言葉、意地でもヒモになんか言いたくないけど、でも事実だ。

「いい子にしてるなら、買ってくるよ」

 オレの言葉に、アツヤ君は見透かしたように「ふーん」と笑った。

「いい子じゃなくても、買ってくるんでしょ?」

 からかうようにそう言われて、ムッとしたけど、それもやっぱり事実だった。



 社員旅行といっても、全社員が一斉に一ヶ所に行く訳じゃない。基本は課とか部とかの数十人単位で、しかも去年までは、日帰りだった。

 中華街行ったり、鎌倉行ったり、日光行ったり……嬉しくはないけど、それなりにまあ楽しめた。

 今年もそうだと思ってたのに、なんで1泊なんだろう?

 電車に揺られながらも、はぁー、とため息が出る。

 珍しい特急に乗った時はちょっとだけテンションが上がったけど、家から遠ざかるごとに、少しずつ胸の奥が冷たくなった。


 アツヤ君は、今頃どうしてんのかな? 景色より何より、頭に浮かぶのは、そんなことばかりだ。

「じゃあ、行って来るね?」

 朝、靴を履きながらそう言ったオレに、彼はトーストをかじりながら、「あー」とだけ返事した。

 「行ってらっしゃい」も何も言われないまま、気の進まない旅に出る。 

「温泉、入れなくなったらカワイソーっスもんね」

 そう言って、この数日キスマークの1つもつけて来なかったくせに。アツヤ君は昨日、オレの左の鎖骨の下に、濃いキスマークを1個つけた。

 ちりっと走った痛みに、「あっ」と声を上げたけど、ダメとは言えなかった。


 所有印? 不安の表れ? それとも単に、嫌がらせかな?

 どれが正解なのかも分からないまま、大きな窓から外を眺める。


 ホントに1人で留守番させて大丈夫なのか、帰りを待っててくれるのか、何もかもが不安だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る