第13話         5☆

 高校野球中継を、ほとんど見られないまま7月が過ぎた。

 オレたちの母校は残念ながら、割と早くに負けたらしい。そんなことも、花ノ木からのメールで初めて知った。

 仕事が忙しくて、TVを見てられなかったのは毎年のことだけど。今年はアツヤ君にTV前を占拠されちゃって、番組を選べなかったのも大きいと思う。

 アツヤ君が後輩だって知っちゃう前なら、高校野球にかこつけて、「アツヤ君の高校はどこ?」って、何気に訊けたと思うけど……今は逆に、そういう話題を出しにくい。


 高校は夏休みに入ったんだと思うけど、アツヤ君からそういう話は聞いてない。

 相変わらず、エアコンの利いたTVの前でゴロゴロしてるだけに見えるけど、平日のことまでは分からない。勉強してるかどうかも不明だ。

 高校生ならTV見るより、ネットやゲームの方が楽しいんじゃないかと思うんだけど、自分から能動的に何かをするような感じでもなかった。

 夏期講習とかそういうの、行ってないんだろうか?

 高3っていったら、受験生だろう。

 それとも受験しないのかな? 受験しないで……ずっとヒモでいるつもり?

 オレはそれでも構わないけど。アツヤ君はどうなんだろう? 前に花ノ木とモメてたのも、進路に関してなんじゃないか?


 そうして夏を過ごす中、田舎の祖父母から段ボールの荷物が送られて来た。

 買い物から帰ったらドアに不在票が挟まってて、あれ? と思った。でも、玄関を開けるといつも通りアツヤ君がいて、「お帰りー」なんて声がかかる。

 不在票を見ると、書かれた時刻はついさっきだ。

「宅配便、気付かなかった?」

 再配達依頼の仕方を確認しながら少年に訊くと、当たり前のように「ああ」って言われた。

「そういや、ピンポン鳴ってたっスよ」

「ええっ」

 だったら受け取ってくれればいいのに。荷物の受け取りもできないって、ホントにペット並みだと思う。うちには固定電話はないけど、もしあったとしても、電話番すらして貰えないに違いない。


「仕方ないな」

 もうー、と呆れつつケータイを取り出し、不在票に書かれてた電話番号をタップする。

 そしたらアツヤ君がゆらっと立ち上がって、ニヤニヤ笑いながらこっちに来た。

 なんか企んでそうだな、と思ったら案の定、後ろからぎゅっと抱き締められて、ハッとする。

「ア、ツヤ君、ちょっ……」

 文句を言った途端、耳に押し当ててたケータイから、『はい』って、配達スタッフの声がした。


「えっ、と。不在票見たんですけど……っ!」

 喋ってる最中なのに。イタズラなヒモ少年に、シャツの上から胸をまさぐられて、息が詰まる。

 じろっと睨みつけても、アツヤ君は余裕の顔で笑うだけだ。

『再配達のお申込みですね? 不在票のシリアルナンバーを教えてください』

「は、い、あの、っ、K-946……」

 相手と電話で話してる最中もイタズラはやまなくて、油断すると声が上ずる。

『大橋さんですね。近くにおりますので、すぐにお届けできると思います』

 そう言って通話が切れる頃には、すっかり息が弾んでた。


「ちょっと、アツヤ君! イタズラは……」

 ビシッと叱りつけようとしたセリフは、少年の唇に邪魔された。

 浅ましいオレの体は、そんな強引なキスにも快感を拾おうとしてしまう。でもオレだって大人だし。簡単にのめり込む訳にはいかない。

「……ダメだよ。もうすぐ来るって言ってたし」

 ぐいっと押し退けると、「何が、ダメなんスか?」って見透かしたように笑われたけど、挑発には乗らないで目を逸らす。

 耳元で甘く囁かれるのに弱い自覚はあるから、精一杯毅然としたい。オレはアツヤ君に背中を向けて、乱された服を整えた。



 10分足らずのうちに再配達された段ボールの中には、トウモロコシとビールとそうめんと、なぜか浴衣が入ってた。

 涼しげな水色の生地に白い模様の浴衣で、帯の他に下駄もちゃんと入ってる。

 手縫いしたのだと、祖母からの短い手紙があって、「浴衣男子っていいわよ」なんて言葉に背中を押されたような気持ちになった。


「アツヤ君。浴衣着て、花火見に行こう? アツヤ君に似合いそうな浴衣、見つけたんだ」

「花火?」

「そう、花火大会。夏だし」

 近場でもいいって言いたいとこだけど、近場に逆に抵抗あるなら、いっそ江戸川まで出てもいい。狐のお面か何かで顔を隠して歩いてもいい。

「……何言ってんスか」

 アツヤ君は「ふん」と鼻で笑って、再びTVの方に行っちゃったけど、そんなつれない態度くらいで諦める気にはなれなかった。


 思い出が欲しかったのかも知れない。

 来年はないと、心のどこかで諦めてたのかも。

 アツヤ君は、家族でも恋人でもない、ただのヒモだ。オレにはきっと、居場所としての価値しかない。何も訊かずにベッドと食事を提供してくれる、都合のいい相手なだけだろう。

 それは分かってたし、納得してたし、諦めてもいたけど――でも、どうしても諦めきれなかった。

 「ここしか居るとこねーんスよ」って、アツヤ君はいつもそう言うけど、むしろ彼の態度は逆で。いつでもここを出て行けるんだって、言ってるように聞こえてた。



 結局――。

 アツヤ君にって、スーパーで見かけたあの黒い浴衣は買ったけど、でもオレたちは花火にも祭りにも行けなかった。

 勿論、前準備は完璧だった。花火大会の日程も場所もちゃんと調べてあったし、ケータイにも保存させてた。

 浴衣の着付けも帯の締め方も、ちゃんとネットで調べて練習済みだった。アツヤ君の分の下駄だって、買ってあった。


「アツヤ君、着替えて」

 先に浴衣を着たオレが、そう言って彼に浴衣を見せた時、アツヤ君は「はー?」って文句を言いつつ、あからさまに顔をしかめた。

 けど、嫌そうな態度をスルーして、「ほら、服、脱いで」ってせかしたら、素直に立ち上ってはくれていた。

「上尾? 戸田? それとも、江戸川の花火、行く?」

 彼がTシャツを脱ぐのを手伝い、引き締まった腹筋に少々照れつつ行き先を尋ねる。

 近場ならまだ時間はあるけど、江戸川ならそろそろ出発しないと、途中からになるかも知れない。


 でも、真新しい浴衣のエリをしっかり格好よくあわせ、腰ひもで留めようと、床にヒザを突いた瞬間。

「舐めてよ」

 目の前に突然、ゆるく立ち上がったモノが出され、ぐいっと口元に押し付けられた。

 えっ、と思って視線を上げると、色気をまとう目で笑われて、ドキッとする。

「まだ時間、あるでしょ?」

 なんて。結局行く気なんかなかったくせに。バカ。生意気。出無精。


「花火、この部屋からも見えるんじゃねーの?」

「見えないよ……」

 首を振ったけど、オレの意見が採用される気配はない。どん、と床に突き倒されて、浴衣の裾を割り裂かれる。

 アツヤ君が、黒い浴衣を脱ぎ捨てるのを見せられて。


 こんな思い出ばかりを残して夏が過ぎていくんだなと、思い知らずにはいられなかった。

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