第12話         4

 その後、2人がどういう会話をしてたかは、聞こえなかった。

 花ノ木に肩を掴まれ、その手を振り払うように振り向いたアツヤ君が、不機嫌そうに顔をしかめて、口を開いて。

 花ノ木はそれに何か言ってたけど、アツヤ君はじろっと相手を睨んだまま、もう何も言わなかった。くるっと背を向けて、もう振り向かず、足早に雑踏の中に消えてった。

 きっぱりと拒絶する背中は、オレに向けられたものじゃなかったけど――自分がされたみたいに、ドキッとした。

 もうカフェに寄ろうって気分じゃない。

 今の……何?

 知り合い? どういう関係? もしかして、2万円の相手って? それともオレと同様に……?


 いや、でも、少なくとも花ノ木はそんな男じゃないハズだ。ぶるんと首を振ってバカな考えを振り払い、オレは遅ればせながら駆け出した。

 追うのは花ノ木だ。

 白いポロシャツにグレーのスラックス。いかにも教師っぽい格好をした花ノ木は、高校時代から180cm半ばもあって、周りより頭一つ抜けてるから、探すのは容易だ。

 小走りに駆け寄って、後ろから「花ノ木!」と声をかける。

「えっ、あっ、大橋!?」

 花ノ木は驚いたように目を見開いて、それからちょっと気まずそうな顔をした。


「どうしたんだよ? 会社、この辺か?」

 さり気に話を向けられたけど、首を振ってスルーして、アツヤ君の去ってった方向に目を向ける。

「違うけど、さっき、あ……」

 アツヤ君、って言いそうになったのを、慌ててやめた。知り合いだと言っていいのかどうか分からない。

 でもそれだけで、花ノ木には伝わったらしい。

「さっきの……あー、見てたのか?」

 気まずそうにそう言って、髪の伸びた頭を掻いた。


 守秘義務もあるんだろう。さすがに花ノ木は、ペラペラ喋ったりはしなかった。

「あいつ、担任するクラスの生徒でさ」

 と、花ノ木が言ったのはそれだけだ。

「担任って、中央高の? 3年だっけ?」

 カマをかけて訊くとうなずかれたので、きっとそれはホントなんだろう。

 母校の後輩。担任は旧友。高3、受験生。——アツヤ君に関して知ってることが、これでまた少し増えた。

 喜んでいいのか分かんなくて、胸が苦しい。


「受験生かぁ……」

 感情を抑え、他人事のような顔で呟くと、花ノ木が1つため息をついた。

「受験もあるけどさ。何ていうか……思春期ってのは、ムズカシイ年頃だよな」

 ははっ、と笑う教師に、「そうだね」と曖昧に答える。

 あの子、知り合いなんだ、とは言えない。ヒモなんだ、とも。うちで寝泊まりしてる、とも言えない。

 未成年と不純な関係を持つのが犯罪だってことは知ってる。襲われてるのはオレの方だけど、それでも。担任の教師から見れば、オレの方が悪人だ。


「……花ノ木が担任の先生だと、楽しそうだね」

 オレはぽつりと呟いて、教師らしい顔になった旧友をじっと見た。

 花ノ木は「そうかぁ?」と照れたように笑ったけど、長話するような時間はないらしい。

「じゃあオレ、学校戻んなきゃいけねーから」

 そう言って軽く手を挙げて、アツヤ君とは反対の方に駆けてった。

「じゃあ……」

 遅ればせながら手を振って、背の高い後ろ姿をぼうっと見送る。

 この前、スーパーで会った時とは逆に、楽しい気分にはなれなかった。


 ここから学校まで、どうやって帰るんだろう? 車? バス? 自分はずっと自転車通学だったから、バスのことは詳しくない。

 アツヤ君もバスか?

 大宮に来て、それで、それからどうするの?

 花ノ木じゃなくて、アツヤ君の方を追うべきだった? 「さっきの誰?」って訊くべきだった?

 けど、訊いたところで「関係ねーでしょ」って言われたら終わりだ。

 それに、あまりそういう……後をつけたりとかは、したくない。アツヤ君にどんな事情があるのか、知りたくないって言うとウソになるけど、積極的には知りたくなかった。

 パンドラの箱を開けてしまいそうで、怖かった。


 浮かれた気分はとっくにしぼんで、この後どうしようかな、と思う。

 ブックカフェに戻る気もなくなったけど、アツヤ君のコト思うと、いつもの時間に帰った方がいいのかも知れない。

 どうしよう? どこかで時間つぶすべき? でも、行きたい場所も特になければ、買いたい物も特にない。ウィンドウショッピングする趣味もないから、時間を潰すネタもない。

 映画見るような気分でもないし、ネットカフェなんかも気が進まない。

 ぼうっとしながら最寄駅まで戻っても、まだ外は明るかった。


 駅前のロータリーを過ぎ、ベンチの前を通り過ぎてから、アパートとは違う方向の道に逸れる。

 小洒落た喫茶店もあるけど、なんとなく入りにくくて、いつもの大型スーパーに向かった。気分がどんより沈むとき、明るくて賑やかな場所をついつい目指してしまうのは、人間の本能なんだろうか?


 平日の夕方のスーパーは、食料品のセールをやってるみたいで、週末の昼よりも人が多くて賑やかだった。

 逆にフードコートはガランとしてて、食事や休憩してる人もあまりいない。

 お好み焼きのソースのニオイをふと嗅ぐと、この間のアツヤ君のことを思い出す。

 同時に、花ノ木のことも頭に浮かんで――そういえばここで会ったな、と今更ながらに思い出した。

 アツヤ君がここに来たがらないのって、そのせいなんだろうか? オレと買い物したくないって訳じゃなくて、ニアミスを避けるため?

 花ノ木と? それとも、自分のことを知ってる誰かと? 親兄弟と?


 アツヤ君を拾ったのだって、そもそも駅前のベンチだったし。元々この近所に住んでたって不思議じゃない。

 そりゃあ住宅街だし、駅周辺といっても範囲はかなり広いけど、どこかですれ違っててもおかしくはないんだと気が付いた。


 エスカレーターをぶらっと上ると、トントン、スットトントン……と、浴衣コーナーの太鼓の音が、向こうの方から聞こえて来る。

 音に誘われるようにコーナーに向かうと、この前見た黒い浴衣は、まだマネキンに着せられたままだった。

 いつか、浴衣を着て堂々と、一緒に外を歩けるようになるんだろうか?

 いつか、全部話してくれるんだろうか?

 そんな日がホントに来るのかな?



 定時くらいまで適当に時間を潰して帰ると、「お帰りー」といつも通りの気だるげな声が聞こえた。

 ホッとしながら目を向けると、アツヤ君はとうに着替えた後で、いつも通りのラフな服装でTVの前に寝転んでる。

「今日は早かったっスね」

「嬉しい?」

 ちらっとこっちを振り向く彼に尋ねると、「はあ?」って呆れたような顔された。

「今日、メシ、何っスか?」

 って。お世辞でも「嬉しい」とか言ってくれれば可愛いのに、相変わらず生意気でつれない。


 でも、そっと洗濯機を覗くと、大宮で見たTシャツがちゃんと中に入ってて、それだけのことに頬が緩んだ。

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