第11話         3

 午後3時を回った頃、掛かってきた電話を受けて、課長が「うっ」と言葉に詰まった。

「……それは大変申し訳ない。信頼できる者に、大至急持って行かせます」

 どうやら何か、ミスがあったらしい。

 大至急って大変だな、と他人事のように見てたら、目が合った。

「大橋君」

 課長に手招きされてギョッとする。

「は? い」

 嫌な予感がするあまり、妙な返事になってしまったのは仕方ないだろう。

 営業部か総務部か知らないけど、課長が自分で行けばいいのに……と思ってたら、「大宮に行ってくれ」って言うから、ビックリした。


「えっ、大宮って、あの大宮ですか?」

 とっさに訊くと、「他にどの大宮があるんだね?」って真顔で返された。いや、ないけど。オレは事務方なのに……。

 けど不満に思っても、仕事なんだから「NO」は言えない。

「重要なデータだからね、キミのような、信頼できる社員にしか任せられないから」

 信頼って。何言ってるんですか、偶然目が合っただけでしょー……と、心の中でツッコミを入れるけど、口には出せないし、断れない。

 データならネットで送ればいいのにって思うけど、それができない肉筆サイン必須やコピー不可の書類があるのも確かだった。


「はい……分かりました」

 うなずくと、「くれぐれも頼むよ」って、会社のロゴの入った白い封筒を渡された。封筒には赤い文字で「極秘」って書かれてて、ちょっと笑える。

 ホントに極秘か? 建前だけ? 赤ペンで手書きで書かれてると、逆に信ぴょう性がない。せめて「重要」とかにして欲しい。

 微妙な顔で受け取ると、ぽんと肩を叩かれた。

「それをしっかり渡してくれれば、今日は直帰でいいから。家、近所だろ」

「ええ……まあ、近いですかね」

 そんな堂々と「近所です」って言える程、近所って訳じゃないんだけど。まあ確かに、社よりは断然近いし、同じ方向ではある。


 直帰ってつまり、用事が終わったらそのまま家に帰れるってことだろうか?

 でも考えてみれば、今から大宮に行って戻って来ても、残り時間でまともに仕事できるとは思えない。なら今日の作業は保留して、明日頑張った方がいいのかも。

 オレは納得してうなずき、「行ってきます」って課長に頭を下げた。


 ラッシュじゃない時間帯に、電車に乗るのは久しぶりで新鮮だった。

 案外早くに大宮に着いたので、気分的に余裕を持って、指定されたオフィスビルに向かう。

 エントランスで待ってた、うちの会社の営業部の人に「極秘」封筒を渡すと、やっぱりちょっと笑ってた。

「お疲れ様でした、一息入れてください」

 そう言ってオレに缶コーヒーを1本押し付け、何度も頭を下げて、エレベーターに乗って行く営業さん。

 極秘かどうかはともかく、重要な書類だったことは間違いないみたいで、持って来てあげてよかったと思った。


 後は課長にケータイで電話して、「無事、渡しました」って報告すれば終了だ。

『そうか、ありがとう。速かったな、戻る?』

 電話でそんなこと訊かれたけど、「いえいえ、直帰で」って遠慮する。

 別に戻ったってよかったけど、そんなバリバリ仕事したい訳でもないし、せっかくの直帰の機会を逃すのは惜しかった。


 課長との通話を切ってケータイの画面をちらっと見ると、時刻は午後4時15分くらいだった。

 入社以来ずっと事務方で、残業はあっても早上がりなんてしたことないから、こんな時間に自由なのって、慣れなくてちょっと戸惑う。

 夏の4時過ぎって、まだこんなに明るいのか。貰ったコーヒーをビジネスバッグの中に押し込み、取り敢えずビルを出る。

 どこかに寄り道して行こうかな? それとも真っ直ぐ帰ろうか?

 こんな時間に帰ったら、アツヤ君はどんな顔するだろう?


 どうしたんスか、なんて不機嫌そうに眉根を寄せるのを想像して、ふふっと笑う。

 間違っても喜んでくれなそうだけど、あの生意気な顔をされるのも、実はそんなに嫌いじゃなかった。

 アツヤ君、家にいるのかな?

 それとも本人の言う通り、ちゃんと学校通ってる?

 駅にゆっくり向かう途中、高校生らしい制服着てる子がちらほらいて、下校時刻なのかなと思う。


 そういえば、ホントに夏の制服、いらないのか?

 オレの母校みたいに、私服校が珍しくないのも知ってるけど。アツヤ君の通う高校も、そうなんだろうか?

 私服校は、私服でも学ランでも適当なブレーザーでもいいから、学生ズボンにプリントTシャツなんて組み合わせもできて自由だ。

 でも、私服校なのかって本人に訊いても、「どうでもいーでしょ」で終わる気がする。

 自分のことを話したがらない彼だから、オレもあまり深くまで突っ込んで訊くような真似はしたくなかった。


 カフェ併設の本屋の前を通った時、そういえば最近、本も雑誌も買ってないと思い出した。

 野球雑誌ももう随分買ってなかったけど、この前花ノ木に会ったせいか、なんか色々懐かしくて、久々に読んでみようかな、と思う。

 そろそろ各学校の紹介、載ってるよね? 花ノ木も写ってる? あ、でも、顧問の先生の顔までは、写真で紹介しないのかな?

 さっそく中に入り、空席を確認しつつ、スポーツ雑誌のコーナーを探す。

 ちょっとだけコーヒー飲みながら、雑誌読んでみようかな? まだ外は明るいし……と、大きな窓ガラス越しに外を見て、ハッとした。


 アツヤ君だ。


 慌てて棚の陰に隠れ、隙間からそっと外を覗く。

 店に入って来たらどうしよう、と思ったけど、幸いにもそんな気はないみたいで、スタスタと外を歩いてく。

 ちゃんと学校、行ってたのかな?

 アツヤ君はスポーツバッグを肩に斜めに掛けてて、オレがこの間買って渡した、モスグリーンのTシャツにブラックジーンズを着てくれてた。


「う、わ……」

 痛いくらいドキッとして、カーッと顔が熱くなる。

 変なの、着て欲しいって思ってたのに、いざ普通に着てるの見せられると、なんか照れ臭い。しかも似合ってる。

 思いがけず行かされた使いっ走りだったけど、こんな早く帰れたし直帰だし、缶コーヒー貰ったし、アツヤ君も見れたし、今日はかなり運がイイ。


 アツヤ君、誘ったらカフェに寄り道しないかな?

 一緒なら軽食食べてもいいし、2人席も空いてるし、たまには外食もいいんじゃないか? ついでだし。

 そう思って、外に出ようとした時——。


「待てって!」

 聞き覚えのある声がして、花ノ木がアツヤ君に駆け寄り、その肩を掴むのが見えた。

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