第10話         2

 行きに15分かかった距離を、20分かけて歩いて帰ると、やっぱり汗びっしょりになった。

「ただいまー」

 ひと声かけて玄関を開ければ、スーパー程じゃないけど、ふわっと涼しい風が来る。

 出た時に見たのと同じ姿で寝転がってたヒモ少年は、「お帰りー」と言いながら、珍しく玄関までオレを出迎えた。

「あ、服……」

 買って来たよ、と言う前に、満タンの買い物袋をひょいっと持たれて運ばれる。

 もしかして重い方を持ってくれたのかな? 一瞬、そんな期待をしたけど――。


「昼メシ、何スか?」


 そう言いながらアツヤ君は、中身をテーブルの上にごちゃごちゃと積み上げた。

 ただの空腹だったみたいだ。いつものことだし、分かってたけど、期待外れでがっくりする。

「お好み焼き、一番上にあっただろ?」

 靴を脱ぎながらそう言うと、アツヤ君は「あー」と納得したような声を上げ、フードコートのレジ袋ごと、TVの前に持ってった。

「今日はパンの気分だったなー」

 なんて言うくらいなら、一緒に買いに行ってくれればいいのに。けど、今更そんなこと言っても仕方ない。

 ならやっぱりケータイを、なんて、とうに終わった話を蒸し返したくもなかった。


「いただきます!」

 パン、と手を合わせる音を聞きながら、冷蔵庫に野菜や肉を詰めていく。

 ちょっとは手伝ってくれても……なんて思うのも今更で、諦めて苦笑して、ため息をつくしかできなかった。


「オレのも残しててよ?」

 ソースの匂いに刺激されて、体が空腹を訴える。けどそれよりも先に、汗だくになったからシャワーを浴びたい。飯はさっぱりしてからだ。

 バタバタと着替えを取り出してると、アツヤ君はいつの間にかお好み焼きを半分食べ終えてて、次に焼きそばを取り出してる。

 お好み焼き2枚と焼きそばと、たこ焼きも買ってあるから、十分足りるとは思うけど。もしかして足りなかったか?

「言っとくけど、それ2人分だからね?」

 オレの言葉に、「ええー」って笑うアツヤ君。

「早く出て来ねぇと、なくなりますよ」

 そんなことを言いながら、焼きそばをわさっと食べ出したので、ちょっと慌てた。


 オレもそう言えば、高校生の時は、すっごくよく食べてた気がする。

 スポーツする上で、タンパク質とかビタミンとか、バランスよく食べるようにって言われてたけど。アツヤ君にもそういうの、気を遣った方がいいのかな?

 お好み焼きに焼きそばって、炭水化物多かった? 夕飯、冷やし中華にしようと思ったけど……やっぱり別の方がいい?

 でも彼は、野球やってるって訳でもないし、バランスは気にしなくてもいいのかも。


 髪と体を軽く洗って風呂場を出ると、アツヤ君はもう食べ終わって、TVの前でゴロ寝してた。

 濡れた髪をタオルで軽く拭きながら、さっき買った服を、スーパーのレジ袋ごとガサッと掴む。

「アツヤ君、これ、服」

 そう言って差し出したけど、彼は予想通り素っ気ない。

「あー、んー」

 こっちをちらっと見て、「置いといて」って言うだけで、何を買ったとか、どんなのを選んだとか、そういうのもまるで興味を示してはくれなかった。


 遠慮してるのかなって思わなくもないけど、遠慮するならもっと、するべきところはあるだろう。家事を手伝うとか。お使いに行くとか。

 遠慮じゃないとしたら、何だろう?

 考えてみれば、食事や体をねだられたことはあるけど、物をねだられたことは1度もない。それは物欲がないからっていうより、私物を増やしたくないんじゃないかって、そんな気がする。


 気を取り直して、お好み焼きのプラ容器を開けると、冷めてるなりにソースのニオイが広がった。

 二つ折りになった生地の間にソースとマヨがたっぷりあって、味が濃い。

 もそもそ食べてるうちにお茶が欲しくなったけど、ここで「お茶」って言ったって、取って来てくれる人なんて誰もいない。

「アツヤ君、お茶」

 試しにそう言ってヒモ少年をちらりと見ると、彼はむくっと起き上がって、「オレにも」って、ニヤッと笑った。

 ほら、やっぱり自分で取りに行くしかないみたいだ。

 

 ため息をつきつつ割り箸を置いて、腰を上げると――いきなりぐいっと手を引かれて、「うわっ」と膝をつかされた。

 次の瞬間、ちゅっと唇を奪われて、不意打ち過ぎて赤面する。

「なっ……」

 口元を覆って身を引くと、起き上がったアツヤ君がニヤニヤ笑いながら、オレの手をパッと放した。

「たこ焼きのタコよりも、真っ赤っスよ?」

 タコより赤いなんて、そんな訳ないだろう。からかうように言うトコが、本当に生意気だ。


 彼にとって、キスなんてどうせ大した価値もないんだろう。きっと多分、意味もない。

 したかったからしただけだし、気が向かなければ見向きもしない。相変わらず自由で気まぐれで、可愛げのない大きな猫だ。

 恋人でも何でもないんだから、こんな唐突なキスに喜ぶのはおかしいんだろう。


 冷蔵庫を開けて麦茶を取り、グラスを2つ手に持って、顔の熱が引くまでちょっと待つ。

「大橋さん、お茶まだ?」

「自分で取りに来なよ」

 わざと素っ気なく突き放すように言ったけど、オレがそっちに行かない理由はバレバレのようだった。見透かしたように「ふーん」と笑われて、ますます気まずい。

 背けた顔を覗き込まれると、もっと気まずい。


 でも、オレ大人だし。

 高校生のからかいに、いつまでも付き合ってはいられない。

「それより服、サイズ合うかだけでも確かめて」

 麦茶を渡しつつ頼んでみると、「はあ?」と面倒そうな顔をされた。

「後でいーっスよ」

「後だと忘れるじゃん」

 サイズ交換が、返品が、ともっともらしい言い訳をしながら、「自分のでしょ!」と重ねると、アツヤ君は一瞬口を開けた。


 頼んでない、とか言われるんじゃないかと思って、ドキッとした。

 これも束縛? 大きなお世話?

 ガサガサとビニールの音を響かせながら、アツヤ君が黙ったままオレの買った服を適当に取り出す。

 黒地に白のプリントTシャツと、モスグリーン地にグレーのプリントTシャツ。それに、ブラックデニムと生成りのカーゴパンツ。

 気に入ったのか、シュミじゃなかったか、「ふーん」だけじゃ分かんないけど――。


「Mなら、サイズいいっスよ」


 アツヤ君はそう言って、値札の付いたままの着替えをまたレジ袋の中に戻した。

 「わあっ」って喜んでくれるとは思ってなかったけど、正直ちょっとガッカリした。

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